第29話 乙女が掴むもの
この日シエンナは、夕暮れを迎える前に作業を終えた。晩の食事時まで大分ゆとりがある。暇を持て余した結果、彼女はメイド控え室へと向かった。自腹で買った本を読み耽りつつ、最近支給されるようになった塩味コーンフレークを楽しもうというのである。
身軽な動きで部屋まで歩き、ドアノブに手をかけた。すると中からは談笑が漏れ伝わってくる。どことなく既視感を覚えるのだが、ひとまず室内に足を踏み入れた。
「あっ、シエンナだ。3日ぶりだねぇー」
まず最初に見かけたのはユーミルだった。メイドの任を解かれ、作家としての役割を与えられたというのに、今もこうして足繁く通っている。彼女曰く、城は着想の宝庫とのこと。特に恋愛ネタには困らないと言って譲らないのだ。
「ほんとだ、シエンナちゃんでねぇけ。お邪魔してんべよ」
「これはこれは。私コローネも、同席させていただいておりますぞ」
当然のようにナテュルが寛ぎ、今日に限っては付添人までいた。と言っても、コローネの体格は小動物並みなので、実質1人分のスペースがあれば十分である。
「はぁ、どうも。ごゆっくり」
3人の歓迎ぶりとは落差のあるトーンで返答した。構ってくれるなよと言外に伝えたつもりなのだが、上手く通じなかった様である。
「ねぇねぇ、シエンナちゃんはどう思うべ? 男の人を落とす方法!」
「それを聞きますか。恋人の1人も出来た事の無いアタシに」
「そうなんだべか? 美人だからモテそうなんだけどなぁ」
「恋愛術だったらユーミルの方が詳しいでしょうに。あんだけ濃密な話を書くんですから」
ナテュルがそちらを見ると、ユーミルは舌を出して戯(おど)けてみせた。
「ごめんなさい。私は妄想だったら完璧なんですけど、リアルの恋愛はてんで苦手でぇ」
「そっかぁ。何か教えてもらえたらと思ったんだけど、そう都合良くいかねぇんだなぁ」
ここには年頃の美女が揃っている。しかし何かしらの理由から、皆は相当に奥手であり、恋だの愛だのという話には極端に疎いのだ。
となると、縋(すが)るべきは年の功である。
「お嬢様。ここはやはり、爺の案でいくしかありませんな」
「美味い手料理を作って仲良くなる、だっけか?」
「ええ。古来より男という生き物は、家庭的な温もりに飢えるものです。いわゆる、胃袋を掴むというやつですな」
「でもよぉ、オラは料理なんか、からっきしだっぺ。ろくに包丁も使えねぇべよ」
「まぁ、そこは習うしかありませんな。幸運にも、家事のプロがいらっしゃる訳ですし」
2人の視線がシエンナとユーミルの交互に飛ぶ。その眼から逃げるような仕草を見せたのは、ユーミルである。
「あはは。私は掃除専門ですから。料理なんて、むしろこっちが習いたいくらいですよ」
「じゃあシエンナちゃん、頼めっけ?」
「アタシですか?」
「ライバルに頼むのは気が引けっけどよ、どうか助けちゃくんねぇべか?」
「いや、そういう関係じゃないですけども……」
シエンナは気乗りしなかった。もちろん料理を教えたくない訳では無く、読書熱の方が遥かに上回っていたからだ。
中断した物語は今も彼女の心で息づいている。仕事中など、事あるごとに続きを夢想し、勝手に後の展開を思い描いたりするのだ。それがどの程度著者の考えとズレているのか。そして、どれほど想定以上の話が味わえるか、気になって仕方ないのである。
そんな背景から交渉は暗礁に乗り上げた。再三に渡る申し出もヤンワリと拒絶。さすがのナテュルも諦めを覚え、勢いを萎ませたのだが、今回は老練なるコローネが同伴している。その手管というものは相当に練磨されたものだった。
「シエンナ殿。ご多忙とは重々承知の上ですが、どうかご助力いただけませんかな?」
ここでコローネ、机の上で腹を見せるようにして転がった。中身は老紳士でも、見てくれは愛くるしさ抜群のリスだ。あざといまでの仕草も実に上手くハマる。その動きは、何かとお疲れ気味なシエンナの心を大きく揺さぶるものであった。
「わかった、わかりましたよ。教えたら良いんでしょう?」
「ご快諾感謝いたしますぞ」
「はぁ。それじゃあ早いうちに行きましょうか。第二調理室だったら空いてると思います」
こうして一行は速やかに移動した。その道すがら、ユーミルは取材だと言い残して離れていった。総勢3人となった彼女たちは、誰もいない調理室に足を踏み入れる。
「はい。こっちは予備の台所になります。宴の前日とか、大勢で料理する時に使われてますね」
「ほぇぇ。いろんな器具があんだなぁ」
「造りは第一と全く同じですよ。調理台やら道具やら、何もかもが」
「よぉし。俄然やる気が湧いてきたべぇ! そんで、何を作るんだべか?」
「そうですね。陛下は腸詰肉のスープを好まれますかね」
「ふんふん、なるほどねぇ。どんなんだべ?」
「野菜と腸詰の肉を煮込んで、塩や香辛料で味付けしたものです」
シエンナは説明がてら、調理台に材料を並べていった。ジャガイモや玉ねぎといった野菜、肉は一番塩辛いものを選んだ。これらの食材が最も好評だった事を、彼女はハッキリと覚えている。
「まずは野菜を切りましょうか。食感が残せるよう、大きめに切ってください」
「任せんべよ!」
そう言うなり、ナテュルは包丁を頭上に高々と掲げた。そして一閃。弾け飛ぶ何かしらの破片。野菜はおろか、まな板まで綺麗な真っ二つ。調理台にも長い亀裂が入った。純血魔王種の力が遺憾(いかん)なく発揮された瞬間である。
「何してんですか! モーションを大きくしろって意味じゃないですからね!」
「本当け!? やっちまったべぇ!」
「どうしよう、こんなの直しようがないよ……」
「つうかよ、魔法で強化してねぇんだべか? オーガが百体乗っても大丈夫、みたいな感じに」
「ナテュル様の家では巨象の放し飼いでもしてるんですか?」
のっけからの破壊活動を前に、シエンナは確かな頭痛を覚えた。ひとまず反対側の調理台へと移り、作業を再開させる。ちなみに修繕費用はフゴー家に請求して良いとの事。
「では気を取り直して。野菜を切るのに大袈裟な力は要りません。刃を擦るイメージで十分ですから」
「どれどれ……ほんとだぁ、サクサク切れんべよ」
「キャベツはこれで大丈夫です。次はジャガイモをやりましょうか」
「分かったべよ」
景気の良い言葉とともに、ジャガイモは4分の1サイズに切り分けられていく。しかし、芽も皮も付いたままであり、一向に対処する気配は見られなかった。
「あの、芽をとらないんですか? 毒があるんですけど」
「フッフッフ。甘いなシエンナちゃん。魔王種っつうのは『毒無効』の特質を持ってんだべ。こんぐれぇ平気だっぺよ」
「いやいや。食あたりしないとしても、美味いかどうかは別でしょう。ちゃんと処理してください」
「そういうもんだべか? 面倒臭ぇんだなぁ」
「料理ってのはそういうものです」
小さな不平が聞こえつつも、どうにか下ごしらえを終える事ができた。その途中、玉ねぎで泣き腫らすナテュルの涙を、コローネが延々と拭き取るという珍事が起きたりもした。だがそれも、今となっては過ぎた話である。
「じゃあ具材を入れて煮込みましょう」
「鍋に火をかけんだな? やってみるべ」
「待ってください! せいぜい強火ですよ、全てを焼きつくすような大火は要りませんからね?」
「んん、ベストは尽くす。でも約束はできねぇべ」
「分かりました。火の管理はアタシがやりますよ!」
「ありがとうな、助かるべぇ」
魔王種のナテュルにとって、程よい火力を生み出す事は難しいものだ。補足までに言うと、エイデンが絶妙な火加減を実現できたのも、軍属であるおかげだ。厳しい訓練や戦場を潜り抜けた経験により、魔力の扱いに精通しているのである。
それはさておき、残すは味付けだ。塩コショウを加えようとしたところ、ナテュルが「気持ちの分だけ振ろう」などと無茶を言うので、ひとまず宥めておいた。続けてコローネが「歳の数だけ振ろう」と被せてくるので、病気リスクを提示しつつ釘を刺しておいた。
「よっし完成だべぇ!」
「さすがはお嬢様、実に美味しそうな仕上がりですぞ!」
「はいはい、冷める前に持っていきましょうか。上階へ運ぶときはスロープを使いますからね」
2人が喜びに浸るなか、シエンナは料理から食器に至るまでをワゴンに乗せ、調理室を後にした。
廊下のすぐ傍には緩やかな坂があり、端は3階に繋がっている。慣れた手つきでワゴンを運びつつ、ナテュル達を案内した。
「陛下。食事をお持ちしました」
シエンナが先陣を切ってノックする。なぜなら、ナテュルは料理の評価が気になる余り、彫像のように身を硬くしたからだ。その様子も、室内に招き入れられてからは更に悪化する。そしてコローネもつられて、ソワソワと両手を擦り出した。似た者同士の主従なのだ。
口を閉ざした両人に代わり、シエンナが経緯を説明した。今日はナテュルが料理したのだと。ただし、調理台の破損については触れずにおいた。
「そうか。では有りがたくいただこう。丁度ニコラも食べているところだ」
傍らにはミニテーブルがあり、そこには上機嫌なニコラの顔があった。両手に丸みを帯びたフォークを握りしめ、口の回りをミートソースでベッタベタに汚している。ペンネを食べるのに苦戦しているようだった。
「シエンナ! これ、おいしいの!」
「それは良かったですね。ニコラ様、ちょっと失礼しますよ」
ナプキンで汚れを拭いてやる。ニコラは煩わしそうな顔をするが、手を離すなり笑顔が戻る。思わず見とれかけたのだが、仕事に戻らねばならない。
それからはエイデンの給仕に移った。窓際のテーブルを部屋中央に移動させ、手早く準備を整える。純白クロスの上に、固形バターとパン、水差し。そして温かな湯気を放つスープが乗せられた。
エイデンが真っ先にスープを口に含ませる。緊張の一瞬だ。ナテュルたちは祈る姿勢で彼の返事を待った。
「うむ、旨いな。よく出来ていると思う」
「ほ、本当だべかぁ!?」
ナテュルの顔に満開の華が咲く。コローネも我が事のように、鼻息で喜びを現した。
「シエンナちゃんに聞いたんだべぇ。エイデン様はこの料理がお好きだよって!」
「そうだな。これは亡きレイアが得意だったものだ。眼を閉じると、かつての光景が甦るようでな」
それはシエンナにとって初耳だった。意図しなかったとはいえ、悪いことをしたかもしれない。そう思いながら眼を向けてみると……。
ーーあぁ! がっつりとショック受けてるッ!
ナテュルは笑顔を絶やしては居なかったが、その内実は別物だった。明らかに温度は急転直下しており、表情も張り付いたようになっている。もちろん口数も驚くほどに少なくなった。
「ふぅ。ごちそうさま。良き晩餐であったぞ」
「そうですか。ではアタシたちは失礼しますね」
「ナテュル。また機会があったら頼むぞ」
「分かったべぇ。次は別の料理かもしんねぇけども」
シエンナは胸の内で謝辞を述べつつも、滑らかな手つきで片付けに着手する。感情で指先が乱れるほどのルーキーではない。滑らかな動きで皿を下げていると、独り言と思しき言葉が耳に届いた。
「素晴らしい料理だ。今の時期は尚更な」
そこでシエンナは何気なく窓に視線をやった。陽は既に落ち、満点の広がる星空が見える。注目したのは東の空だ。金色に輝く明星と、赤紫に光る冥星が今にも重なりそうであるのが分かる。
ーーあぁそうか。もうすぐ『招魂の宵』が来るのか。
そう思うなり、エイデンとレイアが並ぶ光景が浮かんだ。懐かしさと共にささやかな嫉妬を覚え、いつになく困惑してしまう。
だがやはり、それすらも顔には出さず、速やかに退室した。硬直したままのナテュルの襟元を引っ張りながら、薄暗い回廊を進んで行く。
「シエンナちゃん、次はもっとすんげぇの教えてくれっけ? エイデン様も食った事のないやつ!」
「そうですね。何か考えておきましょうか」
頼み事には上の空で返答しつつ、もう一度窓の方を見た。西の夜空に、際立って輝く星はどこにも無かった。
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