第28話 魔族との交わり
目の前にはメインストリート。言葉の聞こえは良いが、地面を均しただけの道だ。花壇や石畳すらない殺風景なものだった。目にする建物は新しい。しかし、判で押したようなデザインだ。光景はともかく灰色一色で、陰鬱な気分が込み上げてくる。
それが誘拐された身の上であれば尚更の事だ。
「はぁ……どうしてこうなったんだ」
店の奥で男が溜息を床に落とす。彼の名はタピオ。先日、人族の街から店ごと連れ去られたうちの片割れである。
「ねぇ、コッソリ逃げちゃわない?」
そう囁くのは、タピオの妻クラリーネだ。夫婦揃ったままで居られるのは幸いだが、同時に外から探す者を失った事になる。単なる行商人でしかない彼らを、わざわざ捜索する酔狂人など居るかどうか。
つまり、タピオ夫妻に残された選択肢は2つ。逃走か、順応である。
「逃げるなんて無理だ。辺りをグルリと壁が囲ってるし。見張りに見つかりでもしたら命が無いぞ」
「だからって、ここで魔族相手に商売しろっての? それこそ危険じゃないの。魔王様には、住居費とかタダにして貰ったけどさ」
「確かに、いつ殺されるか分かったもんじゃない。着手金として一万ディナ貰ったし、食料も無償で配給されるが」
「税金も驚くくらい安いのよ。売り上げの1割を納めるだけで良いんだから。それ以外は一切取らないんですって」
「他にかかる金と言ったら、店の経費くらいだ。浪費しなきゃ貯まる一方だぞ」
「じゃあ私たち、金持ちになっちゃうじゃない」
「そうだな」
互いに視線を重ねる。そうして見つめ合ううち、どちらからでもなく、恐怖によって顔を歪めた。
「こんなうまい話があるもんか! 絶対嘘だ!」
「あぁ、きっと油断したところをグサーってやられるのよ! そんでもって晩餐のメインディッシュを飾る事になるんだわ!」
クラリーネが眩暈を覚えて倒れかける。タピオは寸前で彼女の体を抱きとめ、大いに叫んだ。どこか芝居がかったというか、逆境に酔った風に。
「助けてくれ! 釜茹でなんか嫌だ!」
「煮殺されるのはキツいわよね。だったら、どんな調理法なら楽かしら?」
夫の腕の中で、クラリーネが妙な事を口走る。しかしタピオは激昂するでもなく、スンナリと話題に乗った。
「えっと、なんだろ……。考えたこともない」
「いざと言う時の為に決めておきましょうよ。もしかしたら、聞き入れてくれるかも」
「そうだな。痛くなくて、アッという間に終わりそうなヤツが良いな」
この2人、順応性の塊だった。店の奥で調理器具を並べつつ、アレは痛いコレは辛いと検討を重ねていく。ポジティブかつ後ろ向きという、絶妙な雰囲気を器用に保ちながら。
しばらくそうしていると、カウンターに来客があった。今や作家という肩書きを得たユーミルである。
「あっ。エイデン様の言う通りだ。ニンゲンのお店が出来てるなぁ」
「やばいな、もう客が来たぞ……」
「まだ処刑ジャンルも決めてないのに、どうしましょう?」
「すいませーん。注文良いですか?」
「はい! ただいま!」
呼ばれたら出る。売り子としての習性が現れた瞬間であった。
「そうだなぁ。ミックスベリーのヤツください」
「ミックスですね、お代は6ディナになります」
「えへへ。楽しみぃーー!」
タピオは調理の傍らで、微笑むユーミルと目が合った。思わず釘付けとなり、次第に手元が怪しくなる。しかし、クラリーネの肘鉄が叩き込まれた事で、作業は普段の質を取り戻した。
「お待たせしました、ミックスベリーです」
「うわぁ、美味しそう! お代はここに置いときますね!」
「まいどあり、です……」
夫妻は立ち去る背中を無言で見送った。軽快に歩く後ろ姿は、人族の女性と大差ないように思える。
「なぁ。魔族って案外、悪い連中でも無いんじゃないか?」
「なによ。美人相手だと、すぐコレなんだから!」
「違うって。いや、確かに綺麗なお嬢さんだと思うけどさ」
「残念でした。魔族も色々な種類があんのよ。蛇女だとか、トカゲ男みたいなヤツが!」
「そういやそうだった。やっぱ、そういった連中は怖いんだろうな」
その言葉が呼び水になったのか、店先にはおあつらえ向きな男が現れた。
「取り込み中に申し訳ない。ひとつ頼めるだろうか?」
「はい、ただいま……!?」
客は兵士長のグレイブだった。トカゲ人の彼は、ザラついた肌とハ虫類の顔を持つ。丁度話題にあがった人物が現れた事で、夫妻は恐怖の虜となってしまう。
「すみません! どうか殺さないで!」
「お願いします! どうしても殺すと言うのなら、寝てる間にキュッとしてもらえますか!?」
「うん? ここは軽食屋だと聞いていたのだが、違うのだろうか?」
「……はい?」
「巷で噂のジュースとやらが欲しい。頼めるか」
「え、えぇ! 誠心誠意つくらせていただきます!」
「では、これを1つ」
グレイブの爪先がメニューを叩いた。それはある種看板メニューとも呼べるもので、最も高価な品のひとつであった。
「ええと、ではこちらの、『バナナマロンほわほわキュルリン全部乗せ』をご所望で……」
「あぁっ! 待て、読み上げるのだけは勘弁してくれ!」
「えっ!? どうかされましたか?」
「人に聞かれでもしたら恥ずかしい。出来れば、目立たぬように、頼む……」
「はぁ、わかりました」
こそばゆい空気の漂うなか、目玉商品は準備に入った。まず、通常の倍以上はある長いコップに、なみなみと注がれるイチゴジュース。輪切りのバナナで蓋をするように敷き詰め、そこへ限界まで細かく粉砕した氷をまぶし、上からハチミツをふんだんにかける。最後に栗の甘煮を乗せたら完成だ。
でかい、そして甘い。糖質の化け物がカウンターに乗ると、場の空気も一変する。これには冷静沈着なグレイブも、小さな目を極限まで見開いて凝視した。
「おっと、つい呆けてしまった。対価はいかほどだ?」
「こちらは18ディナになります」
「では20硬貨で支払おう」
「ありがとうございます。今お釣りを渡しますね」
グレイブは金銭授受の時すら待てなかった。コップを両手で持ち、グイと呷る。すると、口中は甘いやら冷たいやらで大騒ぎとなるが、彼は全てを受け入れた。
すると、頬に一筋の涙が優しく伝った。
「それではお返しの2ディナ……って、泣いとるゥーーッ!?」
「大変申し訳ありません、何か問題でもありましたか!」
タピオ夫妻は大いに慌て、カウンターに額を擦り付けんばかりに謝罪した。しかし返答は、予想だにしない程に柔らかな口調だった。
「いや、取り乱して済まぬ。まさかこの世に、これほど美味いものがあろうとは。思わず感激して、涙が……」
「……はぃぃ!?」
「ところで、このコップはいただいても良いのか。それとも返却すべきか?」
「ええと、どちらでも構いません。返してもらえれば、1ディナお支払いします」
「分かった。夕刻までは調練があるので、終わり次第すぐにでも」
「あの、お暇なときで結構ですので」
「そうか。では後程」
タピオたちは肩を寄せ合いながら、グレイブを見送った。緩慢に流れる時間は、その姿が見えなくなるまで続く。
「見た目は怖いけど、良い人だったな」
「そうね、紳士的だったと思う。ちょっと変わり者だったけど」
「やっぱり魔族ってさ、話に聞くほど悪くないんじゃないか?」
「私もそう思いたい。でも分かんないわよ。もし荒くれ者が来たら大変よ。私たちじゃ止められないじゃない」
魔界では言霊が強く作用するのか、お望みの人物が現れた。顔を真っ赤に染めたルーベウスが絡んだのである。まだ昼間だというのに深酒をし、いつもに増して不穏さを撒き散らした。
「なんだテメェら! ニンゲンごときが、魔族の庭で商売とか、ふざけてんのか!」
カウンターが拳で激しく揺れ、タピオ夫妻は飛び上がらん程に驚いた。個々の能力では魔族に到底及ばない為、怒声ひとつでさえ恐怖心を煽るのだ。
「ヒェッ! なんかヤバイのが来た!」
「どうしよう、明らかな落伍者に襲われるーーッ!」
しかし、どこかズレた怯え方である。呷り言葉にも似た叫びは、気の短い男を激怒させるのに十分だった。
「ふざけてんのか、この野郎! テメェらなんか5秒で引き裂いてやるからな!」
「ヒィィ、惨殺はいやぁぁ!」
「やめてくれ、せめて痛みが無い感じでぇぇ!」
「死にさらせ……ギャァァーーッ!」
三者三様の悲鳴が混ざり合う。夫妻のものはさておき、ルーベウスまでが叫んだのは、激しい電撃に晒された為だった。主人によって枷として付けられた首輪が作動したのである。
黒煙を放ちながら崩れ落ちる魔人。その向こう側には、飽きれ顔を浮かべるエイデンの姿があった。
「まったく。嫌な予感がして駆けつけてみれば、この騒ぎか」
「魔王様? 今のは一体……」
「安心しろ。今後はお前たちも庇護対象となる。こやつの毒牙にかかる心配はしなくて良い」
「庇護対象、ですか?」
「とりあえず、この男に怯えなくても良くなった。そう覚えておけば十分だ」
「はぁ、わかりました」
夫妻は立ち尽くしながら話を聞いた。連続して起こる珍事に頭が追い付かないのだ。
そんな彼らの耳に、ささやかな音が届く。そちらに目を向ければ、10ディナ硬貨が置かれているのが見えた。カウンターの縁には、ハッとするほど小さな手がしがみついている。
おずおずと覗き込んだクラリーネは、ニコラの目映い笑顔と向かい合った。
「バニャニャ、ちょうだい!」
「ええと、お子さんですか?」
「娘のニコラだ。先日のバナナジュースをいたく気に入ってな。ひとつ用意してくれ」
「はい、お安いご用です」
「そうだ。氷を抜くというのは可能か? 冷たすぎる物は避けたいのだが」
「ええ、問題ありませんよ」
「ではそのように」
少し間をおいて、ニコラの手に待望の物が手渡される。それを両手持ちにした瞬間、誰の手も借りずに呷りだした。喉をしきりに動かし、存分に味わうと、ようやく口を離した。
「プハァ! おいしいね!」
「そうか。甘くて美味しいか」
「あまいね、おいしいね!」
「だがな、1日ひとつだけだぞ。飲みすぎは体の毒だ」
「えぇーー!?」
この何気ない親子の語らいは、タピオ夫妻にとって衝撃的なものだった。伝え聞くに魔王とは、人智を超える力を持ち、おぞましき軍を率いる男だという。
しかし、眼前の光景はどうか。娘を愛し、諭す姿には人族と何ら変わりが無いのだ。その発見が、タピオの口を滑らかにした。
「あのう、魔王様。ちょっとお尋ねしたい事がありまして」
「ふむ。構わんぞ」
「どうしてアタシらを助けてくれたんです?」
「あのまま放っておけば、今後ジュースを買えなくなるからな。それでは私が困るのだ」
「そんじゃ、今後は娘様の為に作るという感じで……」
「いや、そのつもりであれば城勤めをさせていた。今は別の目的も持たせているのだ」
「と、仰いますと?」
エイデンは踵を返し、辺りを見渡した。その瞳は、あらゆる建物を撫でるかのように動く。
「見よ、我らが街を。殺風景で面白味もない、武骨なものであろう」
「いえ、そのような事は、決して……」
「中身も外面と変わらん。多くの者が娯楽に餓えており、日々の喜びを必要としている。嗜好品が増えることは、願ってもない事なのだ」
ここでエイデンが向き直り、タピオの顔を正面から見据えた。真剣だが、どこか温もりの感じられる視線が突き刺さる。
「種族の違いは、時として辛い壁となろう。だが、それを承知の上で頼みたい。我が娘と領民が心安く暮らせるよう、協力しては貰えないか」
放たれた言葉は命令ではなく、真摯な願いだ。タピオは全身に熱い血が流れるのを感じた。
思えば人間世界では苦労の連続でしかなかった。重い税に喘ぎ、領主と騎士には事ある毎に虐げられ、定住すら許されなかった半生。挙げ句の果てに、昨日はあらぬ容疑から収容所送りの危機に瀕したのだ。
それに引き換え、目の前の魔王はどうか。異形なる者の主であっても、性質は気高く、善良そのものではないか。少なくともタピオはそう確信した。
「お任せください。この恩義に報いる為にも、必ずや最高峰の食を提供してまいります! それこそ王宮勤めにも負けぬ、世界一の料理人になってみせますとも!」
「ちょ、ちょっとタピィ。何を大風呂敷広げて……」
「妻クラリーネも、世界一の売り子になると申しております! どうぞご期待くださいませぇーー!」
「えぇーーッ!?」
「フフッ。そう気負わずとも良い。たまに面白き物を見せてくれれば十分だ」
エイデン親子は立ち去っていった。父は微笑を、娘は満面の笑みを残して。
夫妻は見送る間お辞儀を続けた。しかしそれも、クラリーネの不満によって区切りがつく。
「ねぇタピィ。あんな約束しちゃって平気なの?」
「クラリィ。オレはやるぞ。今まではもう、クソみたいな人生だったけどさ、ようやくチャンスが巡ってきたんだ!」
「……本気なのね?」
「もちろんだ。だから協力してくれ、頼む!」
「しょうがないわね、貴方だけじゃ華が無いもの」
「クラリィ……」
「任せてちょうだい。アタシだってね、史上最強の店番になってみせるから!」
「よっし! そうと決まれば今日は徹夜だ! とんでもねぇ食いモンをジャンジャン出したらぁーー!」
「今夜は寝かせないわよぉーーッ!」
俄然やる気をみせたタピオ夫妻。彼らの胸に眠っていたアイディアは、果たして受け入れられるのか。誓いの通り、凄腕の料理人となれるのか。今は誰にも分からない。
それでも2人が種族の壁を越え、国の一員となったことは間違いない。この日を境に、夫妻は凄まじい早さで周囲に溶け込んでいくのであった。
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