第27話 全ては姫君の為
先日、王国お抱えの作家となったユーミルより、早くも要望があがった。何でも、人間界を覗き見る物が欲しいという。取材目的で遠出をしようにも、戦う術を持たない彼女にとって、国外は危険地帯そのものだ。最寄りの砦から来る警備隊にでも見つかれば、アッという間に捕縛されるだろう。
この意見は最速で会議を通過し、導入にまで至った。それもそのはず。ほぼ同じ時期に、エイデン達も似たような考えを抱いたからである。
「クロウよ。進捗はどうだ?」
ニコラを携えたエイデンは、参謀会議室へとやって来た。中は烏人が詰めかけており、椅子も全て埋まっていた。端の男が立ち上がって差し出すも、エイデンは手で制し、引き続きクロウの顔に視線を注いだ。
「準備は完了しております。宜しければ、テスト運用に立ち会われますか?」
「そうだな。見せてもらおうか」
「では、こちらへ」
案内されたのは大会議室。部屋が暗いのは、黒い布を暗幕にして窓を覆うからだ。入り口付近には長テーブルがあり、その上にはいくつもの木箱がならび、カタカタという小さな音とともに光を前面に放つ。それが正面の真平らな壁に、様々な景色を映し出すのだ。
「ほう、これは便利だな」
「使い魔は全5体。有効範囲は城から徒歩5日ほどと狭いのですが、精密で、時間的誤差の無い光景を見る事が出来ます」
「それ以上遠くにやったとしたら?」
「魔法による繋がりが途切れます。何も映さなくなるだけでなく、使い魔どもが帰還できずに野生化するでしょう」
「そうか。近場に飛ばすしか無いのだな」
「加えて、時空を越える事も出来ません。なので、魔界の様子を探る指令も不可となります」
「色々と制約が付きまとうのだな、だが十分だ」
壁を眺めるままでいると、自身がそこに居合わせたような錯覚が過る。それほどに鮮やかで、滑らかな映りだった。特にニコラなどは、向こう側へ行こうとし、出口の無い壁を不思議そうに叩くほどだ。
やがて5体のうち1体は大きな街を映し出した。今にも活気に満ちた声が聞こえてきそうである。
「これはどこだ?」
「大陸北西部で最大の街です。万を越す人間が暮らし、騎士団も常駐しているそうです」
「ここまで近寄って平気なのか?」
「人間からはコウモリにしか見えません」
「そうか。ならば街中に潜入させてみよ」
「御意」
クロウは室内の水晶球に掌をかざし、微量な魔力を送り込んだ。そうして指令を受けた一体が動きを変え、やや低い位置から街を俯瞰(ふかん)した。屋根にぶら下がって映像を送るのだ。
「随分な人混みだ。活気はあるが、暮らしぶりは良くないらしい」
「そのようですな。ほとんどの者が顔をしかめております」
「うん? あそこに人だかりが出来ているな。何事だろうか」
「とうやら……露店のようです。軽食屋でしょうか」
この付近の人間は明るかった。手軽な飲食物を片手に、誰も彼もが微笑んでいる。使い魔が映す手元には多様な串焼き肉や、木のコップがある。すると、それまで眺めるだけだったニコラが、唐突に大声をあげた。
「バニャニャ! たべたい!」
「バナナだと? いったいどこに……」
エイデンがジッと注視すると、確かに見えた。輪切りのバナナが、コップの縁を彩るかのように嵌め込まれているのだ。
「これは一体何なのだろうか?」
「恐らく果汁飲料でございましょう」
「果汁ということは、潰して作るものか?」
「製法までは存じませんが、近年の人間世界では流行している模様です」
「そうか。不思議なものを有り難がるものだ。果物など、直接食べれば済むだろうに」
魔族には無い発想であるため、どうにも受け入れ難いものだった。人種の壁に加え、世代も違うとあっては、流行りが理解できないのも無理はない。
しかし、若々しすぎる好奇心を持つ幼児には、大変素晴らしいものに見えたのだ。
「おとさん、バニャニャ、たべたい!」
「むぅ。あれが欲しいのか?」
「ほしい! たべたい!」
「そうか。ならば仕方ないな」
「見よう見まねで試されますか?」
「いや、直接出向いて買ってくる。製法が不明では作り様がない」
「ちょく……ッ!?」
「となると、ニコラを預けなくてはな。シエンナ……は作業所か。マキーニャ、来い!」
呼び掛けるなり、廊下が騒音とともに揺れた。そうして現れたのはマキーニャだが、両手にモップを括り着け、口にもハタキを咥えるという異様な姿だった。午前の残り作業を彼女に一任しているので、まさに清掃の真っ只中なのだ。
マキーニャは口の物をこれ見よがしにペッと吐き捨て、エイデンの前で跪(ひざまず)いた。
「クソ忙しい中でのお呼び出し、何用でございましょうか」
「私はこれから少し外す。その間、ニコラを頼むぞ」
「イエス、ゴミ貴人」
「では行ってくる」
エイデンは城を飛び立ち、全速で街を目指した。いくつもの森や川が過ぎるのを見るうちに、目的地までやってきた。なるべく目立たぬように、人気の無い路地裏に降り立つ。
「なんて臭いだ。手早く済ませよう」
急ぎ足で歩くうちに、例の露店が見えてきた。客が引けた後なので並ぶ必要が無い。エイデンは幸いとばかりに店先に立った。
「いらっしゃい、当店自慢のフレッシュジュースは……」
店番の女が前口上を止めた。やがて凍えでもしたかのように震え、掠れきった悲鳴を絞り出した。
「ま、ま、魔族!? 誰か、警備隊を……!」
さすがに最前線に近い街である。魔族襲来の報せは、水面の波紋を思わせるように伝播(でんぱ)し、急報の鉦が鳴った。すると街の至る所から騎士や兵士が現れ、半円状の包囲網が出来上がった。一斉に向けられた槍の穂先が日差しを弾き返し、エイデンにはその眩しさが煩く感じる。
「何だ貴様らは。邪魔をするな」
敵兵をなぞるようにして、片手を強く振るった。それだけで暴風が吹き荒れ、あらゆる敵を吹き飛ばした。通りまで吹っ飛ぶ者、壁に叩きつけられる者と違いはあっても、2本足で立つ姿はひとつとして無い。
エイデンは改めて店に顔を向けた。その時にはもうカウンターに店番はおらず、奥の調理スペースで男と抱き合いながら震えていた。
「何をしている。早く注文を取らんか」
エイデンが問いかけるも反応は薄い。両者ともチラリと目線を寄越すだけで、1歩すら動こうとはしなかった。
「品名は、バナナジュースと言うのか。それ1つ、速やかに用意せよ」
「……へ?」
「聞こえなかったのか? 早く作れと言ったのだ」
「は、はいッ! ただいまァ!」
男は弾かれたように跳ね、決死の想いで装置を動かした。すると樽からは、硬い粉砕音が鳴り響き、やがてピタリと止まる。それから下の栓を抜くと、粘性のあるジュースがトロトロと溢れだした。木のコップでそれを受け止め、詰めの工程に着手する。
しかし、ここで問題が発生。未曾有の恐怖から腕が激しく震え、輪切りバナナを乗せられないのだ。利き手に左手を添え、果実をグニャリと押し潰しながら、強引に縁を彩っていく。そうして供出されたのは完成品とはほど遠い見映えだが、これが彼の精一杯だった。
「お、おまちどうさま、です」
「うむ。いくらだ?」
「あの、それはどういう……」
「私は強盗でもならず者でもない。対価は支払うつもりでいる」
「ああ、はい。お代なら648ルードになりますが」
「むむっ。ルードか」
人間界で流通する金は魔界の物とは別物だ。つまり、ディナでは購入が出来ない。 あわててポケットをまさぐるも、1ルードすら持ち合わせて居ない事は本人も承知している。
ーー仕方ない、これを出す他あるまい。
彼が取り出したのは、拳大のヒスイ。趣味の造形にと考えていたのだが、代金としてカウンターに置いた。
「あの、これは……?」
「あいにく、ルードでは払えない。よって、これで精算したいのだが」
「申し訳ありませんが、これほどに高価なものをいただいても、お釣りをご用意できません」
「釣りなら要らぬ。ルードで返されても、私には使うアテが無いのだ」
「本当によろしいので?」
「二言は無い。邪魔をした」
そう告げるなり、エイデンは再び飛翔した。帰路の途中で、毒味がてらにジュースを飲んでみる。濃厚なバナナの甘みに加え、ヒヤリとした冷たさがある。粉砕した氷が絶妙に織り交ぜられているからだ。
「ほう、これはこれで良いものだ」
ちびり、ちびりと飲み続け、半分ほど減らした所で城に到着した。ちなみに、ジュースは人肌にまで温め、氷も解凍済みだ。本来の品質では幼子の腹に悪いからだ。
「ニコラ。待たせたな、今帰った……」
大会議室に足を踏み入れると、彼は面妖なものを見た。暗がりにうっすらと浮かぶ、馬の体。首は長く、顔だけは若い女のものだ。それが入室者の方へとゆっくり向けられ、ニタァリと笑うのだ。
これには、さすがのエイデンも金切声をあげずにはいられなかった。彼の長き人生において、初めてとも言える叫びである。
「な、何者だ!」
「おかえりなさいませ。ご用はお済みですか?」
「その声、マキーニャか?」
「もちろんです。この顔をお忘れですか? 王が痴呆を患うとは、この国も長くはない……」
「その姿で顔になど目がいくものか。控えめに言って化け物ではないか」
よく目を凝らしたなら、マキーニャの背にニコラがちょこんと座っていた。上機嫌なのか、たてがみの辺りを掌でしきりに叩いている。
「御子様がお馬さんごっこを望まれたので、このような形となっております」
「本当に馬を再現せずとも良い。四つん這いになるだけで十分だ」
ニコラを背中から降ろすと、ジュースを手渡した。夢のような飲み物を前に、純真な瞳は輝きを一層に増した。まずは縁のバナナを平らげ、間髪入れずにジュースを口に流し込んでいく。見ていて息苦しくなるような飲みっぷりだが、今の彼女は呼吸よりも好奇心の方が勝っていた。
「ぷはぁ! おいしーい!」
「そうだろう。甘くて美味しいだろう」
「あまい、おいしい! おとさん、これ、もっかい!」
「何!? もう飲み終わったのか!」
「おとさん、バニャニャ、もっかい!」
エイデンは悩む。ニコラが望むとおりに買い与えて良いものか。どこかで線引きをしなくては際限が無い上に、情操教育にも悪い。ひとしきり悩んでいると、部屋に控えていたクロウが声をあげた。
「陛下。もし再度赴かれるのであれば、急いだ方がよろしいかと」
「それは何故だ?」
「ニンゲンどもの動きが不穏です」
クロウが使い魔の映す光景を指差した。そこには例の露店が見えるのだが、様子が明らかにおかしかった。店主らに対し、騎士たちが色をなして掴みかかっているのだ。本来は味方同士であるはずなのに、何故と思う。
「これはどうやら、内通者と疑われているようですな」
「バカな! 一体どうして?」
「申し上げにくいのですが、先ほどのやり取りにより、嫌疑がかけられた模様です」
「それは困る。せっかくニコラが気に入ったのだ、店を潰されたら一大事だ!」
エイデンは再び空を舞った。全速力で空を飛び、程なくして街に到着した。上空から見下ろすと、確かに店主と騎士が真っ向から言い合いをしている。罵る声も大きい。放っておけば、取り返しのつかない事態にまで発展しそうであった。
「仕方ない。安全な場所へと送らせてもらうぞ!」
相手の承諾も得ないままに、エイデンは転移魔法を発動させた。次の瞬間には、大きめの露店が街から消失した。それはエイデン城の城下町、一等地とも呼べる場所へと移された。店の者2人を店ごと招待したのである。
これには、人族である2人はもとより、領民の大多数も困惑した。何せ互いは戦争状態で、敵種族同士である。本来なら憎み合う間柄のはずが、身近な隣人となってしまったのだ。
ーーどうしてこうなった。
誰もがそのように感じた。
しかし、このジュース屋、近々魔人の間でも大ブームを巻き起こす事になる。それまでつきまとう不協和音については、堪えてもらうしか無かった。その我慢の先には、大きな成功が舞っているのだから。少なくとも、ニコラがジュースに飽きてしまうまでは持ちこたえて欲しい。エイデンは切に願うのだった。
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