第25話 時には魔王的に
雨が激しく窓を打ち付ける。空はどこまでも曇天模様で、時おり落ちる春雷に辺りが轟く。いまだ昼時だというのに、室内は篝火を求めるまでに暗かった。その中でも特に、この広々とした玉座の間などは、明かりを全て灯して丁度良いぐらいである。
しかし、室内の重苦しさは息が詰まるほどだ。日光の不足だけが原因ではなく、主人エイデンの不機嫌によるところが大きい。無言のままで玉座にもたれ、足を組んで頬杖をつく姿からは、普段の穏和さなど微塵も感じられなかった。
発せられる重圧は周囲を萎縮させるのに十分だ。下位の者はもとより、知恵袋のクロウですら緊張を強いられてしまう。その為、王に問いかける声は掠れ気味な響きがあった。
「陛下。客人をお連れしました」
エイデンは何も答えない。拒絶の言葉が無かったことで、許可として処理される。
それから謁見の間に足を踏み入れたのは、剣呑(けんのん)な気配をはらんだ3人だ。中央に、年かさだが偉丈夫(いじょうふ)の男。勇壮で長いツノを生やしている事から、彼は魔王種か、それに準じる高位の種族であるのは間違いない。
左右を守る様に立つ男たちも、負けじと壮健である。アヌビス種と呼ばれる彼らは半獣の魔人であり、勇猛な事で広く知られている。実際、2人の頬や腕には大きな傷跡が刻まれており、歴戦の猛者である事が見て取れた。
「エイデン王よ。フゴー家がご息女、ナテュル様を返してもらおう!」
右の男が拝礼も無いままに吠えた。相当に大胆な切り口である。力がモノを言う魔族社会であっても、最低限の作法すら無視するのは禁忌に近い。相手によっては、宣戦布告とも受け止めかねないものなのだ。
「愚かな。礼儀もわきまえぬ犬畜生どもめ」
エイデンの言葉はどこまでも冷えきっていた。それは辺りに立ち込める殺気によるものだと、武人の彼らは瞬時に察した。
気圧された護衛が口をつぐんで怯む。その両者を押し退けるようにして、中央の男が歩み出た。小さな咳払い。それから、威厳に満ちた低い声が静寂を破った。
「エイデンよ。ワシはリガイヤ・フゴー。何故こうして現れたか、貴様には心当たりがあるだろう」
この人物こそナテュルの実父で、フゴー家の頂点に立つ男である。魔界で権勢を振るう者の一人で、元老院でも三指に入るほどの大物だ。エイデンのような名ばかりの王とは違い、まさしく時の権力者であった。
しかしそのような背景など、この場では意味を成さない。むしろ殺気などは鋭さを増したように感じられる。
「聞こえぬよ。作法のひとつも知らぬ、ならず者の言葉はな」
「何だと!?」
「リガイヤ・フゴー。公爵という大身でありながら、王に対する礼儀を知らぬとは言語道断」
「娘を誑(たぶら)かした男が礼を説くのか!」
「口の減らぬ男だな……踏み潰すぞ」
次の瞬間、漆黒の衣が床から浮かび上がったのだが、もはや衣と呼べる程のものでは無かった。それはエイデンの身体を包むだけに留まらず、玉座の端まで覆い尽くそうとしている。あまりにも膨大で、攻撃的な魔力を前に、リガイヤは唖然としてしまう。
しかし、護衛達は堪えがきかなかった。主人に対する侮辱は武人の恥でしかないのだ。
「おのれ! リガイヤ様に何たる口を……」
2人が同時に剣を抜いた。だが次の瞬間には、どちらも顔を仰け反らせ、全身を背後の石壁に激しく叩きつけた。起き上がる様子は無い。それどころか白目を剥いたままで、意識を完全に手放している。
リガイヤが弾かれたように玉座を見た。エイデンは姿勢をほとんど変えてはおらず、ただ右手を前に突きだしただけだ。指弾である。闘気を宿した指先を弾き、衝撃波を打ち出したと看破した。
「何という精密な魔力制御。これほどの芸当を、瞬時にやってのけたと言うのか……!」
魔力とは、威力が増す程に影響範囲が広がる性質を持つ。そのため、指先程度の範囲に収めながら高威力を発揮するのは、熟練の魔術師で無ければ発動すらできない。それほどの大技を、一呼吸のうちに実行してみせたのだ。戦場で腕を鳴らしたリガイヤから見れば、尋常でない事は一目瞭然だった。
「貴様! これほどの技術を、一体どうやって!?」
「下朗めが。素直に教えてやるとでも?」
「クッ。この化け物め……!」
どのようにして会得したかというと、もっぱらミルク作成時に魔力制御を強いた為だ。しかし今のエイデンは、そんなホンワカした話題を出す気は更々無かった。
「その若さでおぞましい力を着けたものだ。しかしこのリガイヤ。娘を奪われた挙げ句、おめおめと逃げ帰る事など出来るものかッ!」
リガイヤは腰の剣を抜き放ち、頭上に掲げた。刀身は青白い光を帯びている。何がしかの魔法によって強化した証だ。
「抜け、エイデン! ワシと名誉を賭けて勝負せよ!」
「決闘か。眼が曇りきったものだな。この私と、互角に渡り合えるとでも思っているのか?」
「何だと!?」
「分からぬのであれば、身体に直接教えてやる」
エイデンは音もなく立ち上がると、素手のまま玉座を離れ、ゆっくりと歩み寄った。相手を焦らすような、いたぶるような足取りである。身にまとう漆黒の衣も凶々しく歪み、触手のような動きで辺りに漂う。その端がリガイヤの身体に触れかけた時、室内には痺れる程の気合いが駆け巡った。
「我が命に換えても、貴様の首はもらい受ける!」
大上段から振り下ろされた剛剣の威力は凄まじいものだ。彼もエイデンと同じく純血の魔王種。生易しい剣撃ではなく、闘気が一迅の風を巻き起こす。
しかし、エイデンは素手のままで渾身の一撃を防いでしまった。僅かに伸ばした2本の爪だけで、迫る刃を押し止めたのだ。
「話にならんぞ、リガイヤ・フゴー。所詮は権力に取り憑かれた男、この程度の魔力しか持ち合わせておらぬか」
「おのれ、言わせておけば……!」
「お返しだ。とくと味わえ!」
エイデンは剣をはね除けるなり、拳を腹にめがけて叩き込んだ。その一撃で鋼鉄鎧を粉砕し、筋肉の壁をものともせず、内臓に激しい衝撃を与えた。
リガイヤは堪らず膝を折り曲げる。剣も手のひらから離れ、床で小さく跳ねた。もはや抗う力は残されておらず、言葉もなく喘ぐばかりだ。
ーーなんという力。底の見えぬ魔力。このワシが赤子同然の扱いではないか!
激痛に苛まれながらも、霞む視界を持ち上げた。視界に映るのは、エイデンの無表情な姿である。どこまでも詰まらなそうな眼が寒気を誘うようだ。
ーー魔力は、意思や感情によって大きく左右される。では、こやつの力の源とは、一体なんだというのか!?
リガイヤはエイデンの顔を睨みつつ、足元をまさぐった。愛剣を探す手が床ばかりを撫でる。いっそ視線を外して探したいくらいだが、眼を反らせば死が待っている。それほどに殺意は強烈なものだった。
「終わりだ、リガイヤ。今日という日に、私と巡り会ってしまった運命を呪うんだな」
エイデンの掲げる右手が帯電し、黒き光が輝いて踊る。紛れもなく致命の一撃だ。
命の危機に晒されたリガイヤ。しかし突如として、眼前に何者かが割って入った。両手を広げ、全身で庇う姿勢を見せている。
「2人とも止めんべよ! 何で殺しあわなきゃなんねぇんだべ!」
「お、お前は、ナテュル!」
「父様。ここはオラに任せんべよ」
ナテュルの顔は凛としていた。そこには、想い人に気兼ねする気配は微塵も無い。
「エイデン様! 機嫌悪いのは分かっけど、いつまでも駄々こねてんでねぇ! 雨ばかりは仕方ねぇべよ!」
リガイヤはつい呆気にとられた。機嫌はまだ分かるのだが、なぜ唐突に天気の話が飛び出したのか、全くもって理解が及ばないのだ。
「お前に分かるというのか。ニコラとの散策を不意にされた悲しみが。城の者達との花見を企画し、大勢の予定をどうにか調整し、料理やミニイベントまで用意したにも関わらず! 全てが無駄に終わった悲しみが!」
「そんなもん、また来年やればいいべよ! 子供みてぇな癇癪(かんしゃく)起こしてもしょうがねぇべさ!」
「フンッ。興が冷めた……」
エイデンは踵(きびす)を返すと、再び玉座へと戻った。不機嫌な顔は相変わらずだが、漆黒の衣は随分と薄らいでいる。
これまで彼が横柄に振るまい、珍しく暴力でカタをつけたのは、単なる八つ当たりであった。とても褒められた話では無いのだが、その方が魔王らしく見えるとは皮肉なものだ。
「父様、大丈夫だべか? お医者さん呼ぶか?」
「いや、問題ない。骨まではやられておらん。ワシよりもレイドとルークを」
リガイヤは倒れたままの護衛を気遣ったが、どちらも呻き声と共に身を起こした。額に手を当てて、意識を朦朧とさせてはいるが、とりあえずは命に別状は無いようである。
「ところでナテュルよ。無事だったのか? 酷い目に遭わされてはいないのか?」
「それは全然平気だっぺ。ここの人らは皆親切なんだぁ。エイデン様も、今はあんなんだけど、普段はすげぇ優しいんだ」
「そうか、元気そうだな。そうか……」
安堵の息を織り混ぜながら、リガイヤが独り言つ。すると唐突に高く笑いだした。豪快で、耳に痛くはあるが、快活な響きがある。
「これはワシの負けだ。完全なる敗北だ!」
「急にどうしたんだべよ?」
「お前はどうも昔から気の弱い所があってな、自己主張が苦手だったろう。それがどうだ。先程見せた覇気は、これまでに無い程に強く、気高きものであったぞ」
「父様……」
「お前は育てられたのよ、この城で。ワシよりも遥かに優れた手腕でな。そして今しがた、武人としても負けた。ここまで圧倒されてしまうと、もはや心地良くすらある」
リガイヤはスクッと立ち上がり、組んだ両手を眼前まで持ち上げた。敬意を込めた拝礼である。
「これまでの非礼、どうか許されよ。道に外れた振る舞いであった」
その姿を目にして、エイデンも格好を崩した。腰は玉座に降ろしたままだが、居住まいをいくらか正した。
「いや、こちらこそ。気が立っていたとは言え、リガイヤ公に危害を……」
「フフッ。他人行儀はよしてくれ。義父と呼んでくれて構わんのだぞ、婿殿よ」
「婿殿ぉ?」
今度はリガイヤに代わり、エイデンが置いてきぼりを食らう番だった。話の飛躍が過ぎたせいで、実の娘ですら真意を見失いかけていた。
「父様よ、突然何言ってんだべ!?」
「お前もここへ来て随分と経つだろう。それだけの時があれば、そろそろ子を宿していても不思議ではあるまい」
「んん? ちょっと待つべよ」
「ワシにとっては初孫だ! 今から待ち遠しくて堪らんぞ。そうだ、差し当たって名付け親の取り決めを……」
「父様、何か勘違いしてそうだけど、まだそういう事してねぇんだべ」
「……なんだと?」
「だから、エイデン様には指一本触れられてねぇだよ」
リガイヤからブチン、ブチンと生々しい音がする。次いで全身には深紅の衣が出現した。エイデンが纏(まと)うそれと、どこか似たものが。
「貴様ァーー! これほどの美女を囲っておいて、何もせずに呆けているとはどういう了見だ!」
溶岩にも似た魔力の衣がリガイヤの周囲に広がった。濃い、実に濃い紅。先ほどの漆黒とは色違いながらも、他者を威圧するだけの何かが感じられる。
「待てリガイヤ! そこは貞操を守れた事を喜ぶのが親というものだろうが!」
「黙れ黙れ! 娘に恥をかかせた罪は万死に値する! 魔界のみならず人間界でも比べるものの無い、ナテュルの美貌にケチをつけおって!」
「寝言をほざくのも大概にしろ! 至高かつ唯一無二の美を誇るのは、我が娘ニコラだ! これだけは殺されても譲れぬぞ!」
「ならば骸(むくろ)となってホザくがいいわーーッ!」
「返り討ちにしてやる、モウロク爺めが!」
「父様やめてぇ。こんな理由で喧嘩なんて、こっぱずかしいべよぉーー!」
ナテュルの止める声も虚しく、両者はしこたま殴り合った。しかし、真の勝者(おやばか)は容易に決まらない。やがてどちらからでもなく、無意味な私闘に区切りをつけ、矛を収めた。リガイヤ達は生傷を増やしただけで、魔界門の奥へと消えていったのだ。
この一件で、何故か両家は断絶状態より脱する事になり、多くの人が胸を撫で下ろしたという。
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