第24話 好敵手はご令嬢

 晴天の高い日差しが降り注ぐ頃、シエンナは午前の清掃を早々に終えていた。周りに尋ねても助けは要らないという。長めの昼休憩を頂戴するため、一足先に控え室へと戻ろうとした。時間のゆとりから、読みかけの本なり雑談なりが存分に楽しめそうだと、足取りも軽くなる。


 そうして部屋の前までやって来ると、中には既に先客がおり、何やら雑談に華を咲かせている様子だ。締め切った扉越しですら分かる賑やかさだ。邪魔をしないよう静かに入室したのだが、思わずその場で固まってしまった。いや、迫力に気圧されたと言った方が正確だろうか。


「ああ、なんという悲恋。確かに一度は結ばれたはずの心。しかし、運命という名の荒波には耐え切れず、敢えなく引き裂かれてしまいました。恐るべき罠に落ちた貴女が、公爵の統べる塔に閉じ込めらる事によって」


「えぇ? 何て事だぁ。これから、どうなってしまうんだべか……」


「しかしエイデン様は強きお方。百万もの軍勢など障害にもならず。全ての悪党どもを蹴散らし、ナテュル様を遠くへと連れ去って行くでしょう! かつて2人が交わした約束と、愛する貴女を守る為に!」


「うわぁ! うわぁ! すんげぇお話だべぇ!」


 脚本家兼、演者がユーミル。聴衆もナテュル独りという、ささやか過ぎる舞台であった。また妄想をひけらかしたのかと思うと、シエンナの溜息も重くなる。


「何やってんの?」


 ようやく口から飛び出したのは率直な疑問であった。


「あら、シエンナじゃない。そんな所で突っ立って、どうしたの?」


「別に好き好んで固まってた訳じゃ無いってば。つうか何なの、今の壮大っぽい物語は?」


「ついさっきね、ナテュル様がいらしたの。私も丁度手が空いてたからさ、面白い話でもひとつと思って」


「どうも、お邪魔してんべ」


「はぁ、まぁ、お気の済むまでどうぞ」


 シエンナは、この令嬢が得意でなかった。初回の顔合わせで最悪の印象を抱いてしまったが為に、たとえ純朴な素顔を見せられても、うまく受け止めらないのだ。


 もちろんナテュルは今も賓客同然なので、邪険に扱うなど許されはしない。ましてや他の使用人は概ね打ち解けているのだ。ここで敢えてシエンナが、攻撃的な態度を取る意義もメリットも有りはしなかった。


 自然とシエンナの口数が少なくなり、隙間を埋めるようにユーミルが質問を重ねていく。彼女も『打ち解けている側』の人なのであった。


「それにしてもナテュル様は凄いですよねぇ。恋い焦がれる気持ちに急かされて、魔界から地上までやって来ちゃうんだもの。随分と大変な旅だったと聞いてますよ!」


「いやぁ、あんときゃ無我夢中だったかんなぁ。正直、また同じ事やれって言われても、ちょっと勘弁だなぁ」


「やっぱり会いたい一心からですか? 愛があれば万年の遠路すら平気って気分でした?」


「ううーん、よく分かんねぇな。確かに会いたかったべ、話したかったべ。それが叶うまで死ねねぇなとか考えてたなぁ」


 シエンナはテーブルの水差しを傾けながら、浮いた話を聞き流していた。しかし、耳にしているうちに自然と声を漏らしてしまう。「そんなにイイ男じゃないけど」という言葉を、ポツリと。


 次の瞬間には口を塞いだのだが、既に手遅れだ。ご両人にはバッチリと聞かれてしまっていた。


「おっと、さすがはシエンナさん。結ばれる前から古女房並みのコメントしちゃうなんてぇ」


「誰が古女房よ!」  


「やっぱりエイデン様に最も近い女は違うわよねぇ。風格がもう別物だわ」


「やめてよ、そんなんじゃないって言ってるでしょ!?」


「ちょ、ちょっと待ってくんねぇけ? シエンナちゃんがお気に入りなんけ?」


「ほらユーミル。何か面倒な感じになってきたじゃないの」


 ナテュルは祈るように両手を握り、潤む目でシエンナを見た。冗談や軽口の通じる様子では無い。


「酷なお話ですが、事実です。この一見ありふれたメイドですが、何を隠そう、エイデン様の心を魅了してみせた奇跡の女……」


「話が拗れるからやめて! ナテュル様、私と陛下は何でも無いんです!」


「何も無い、のかなぁ? この間も休日デートしたわよね?」


「御子様の健診に付き添う事が、デートに含まれる訳ないじゃん。あれはノーカウント」


「まぁそもそも、しょっちゅう名指しで呼び出されてたもんね。それこそ毎日のようにさ」


 今の言葉は効いたのか、ナテュルは弾かれた様にしてそちらを見た。

 

「毎日……!? そりゃあ、よっぽどな思いれがあんだべぇ」


「ナテュル様! あれは色気のあるもんじゃ無いんです、完全に乳母扱いでしたから!」


 シエンナは辺りを見渡した。どうにかして冤罪(ごかい)を晴らそうと必死である。都合良く『助け』が見つかるハズも無いのだが、とにかく四方八方に眼を向けてしまう。


 そんな彼女を救うかの様に、とある絶叫が室内まで届いた。これまではシエンナにとって、耳を塞ぎたくなるようなモノであったのだが、今や唯一無二の突破口も同然だった。


ーーシエンナァ! ニコラがぁぁ!


 一度耳にしただけで十分である。シエンナはナテュルの手を握り、起立を促した。


「良いですか。これから陛下のもとへ向かいますので、付いてきてください!」


「大丈夫だべか? 後ろにくっついてても」


「平気です! 私と陛下の間柄を、その眼でキチンと確かめてください!」


 言うが早いか、シエンナは手を握りしめながら廊下へと飛び出した。足早であるのは、城内に何度も響く絶叫を早急に止める為である。ナテュルが抱く恋の火を、幻滅などで消し去るのは哀れに思えたからだ。


 3階にあるニコラの部屋。やはりというか、中からはエイデンの叫ぶ声がする。シエンナは一度だけ目配せし、室内へと躍り出た。


「はいはい、そう何度も呼ばないでくださいよ。ちゃんと聞こえてますから」


 そこにはエイデンが予想通りの姿で佇んでいた。尻下がりの眉からは威厳が感じられず、丸まった背中は酷く小さいものに見えた。いつ見ても思う、魔王という肩書きが今にも消し飛びそうだと。


「やっと来てくれたか……、うん? ナテュルも同席するのか?」


「そのつもりですが、いけませんか?」


「いや、ダメという事はない。それよりもこれを見てくれ!」


「見えてますよ。これはまた随分と散らかしたものですね」


 散らかした、とは控えめな表現だ。木彫りの置物は見事に粉砕され、木屑が散乱している。布製のクマ人形たちも悲惨な末路を辿っていた。首がもげて中の綿が飛び出すもの、手足が引き千切られているものなど、玩具だと分かっていても直視しづらい光景が広がっている。


 そこをヤンチャ盛りのニコラが往復を繰り返す。悪戯心も最高潮という顔を引っさげながら。


「ここ最近になって急にだ。物を壊す事を覚えたらしい。今日などはもう、手がつけられん程だ!」


「そうですか。つまりは、粗暴な振る舞いを止めて欲しいと」


「出来るか?」


「まぁ、やってみましょう」


 シエンナは壊された人形を抱き上げ、愛おしそうに撫でた。特に綿の部分は労わるようにして、延々と撫で続ける。


 その様子にニコラが興味を覚えた。傍に腰を下ろし、成り行きをジィッと見守ろうとする。


「痛かったねぇ、乱暴にされて辛かったねぇ」


 次いでシエンナが優しい言葉をかけた。するとニコラはいよいよ不思議がり、彼女なりの疑問をぶつけた。


「いたいの? これ、いたいの?」


 シエンナは、しめたと思う。当然おくびにも出さず、沈鬱な顔のままで答えた。


「そうですよ、ニコラ様。この子たちは喋りませんが、ちゃんと痛がるのです。寂しい想いをするものですよ」


「しゃべらないのに? ほんとうに?」


「ええもちろん。このクマさん達はニコラ様と仲良くなりたくて、ここへやって来たのですよ。なのに乱暴に扱われてしまって、悲しい悲しいと泣いています」


「かなしいの? どうしよう!」


「優しく撫でてください。いい子いい子と、言葉をかけてあげてください」


「いいこ、いいこ」


「はい、これで仲直りできましたね。クマさんたちは後で直してあげますから、もう少し待っていてくださいね」


 シエンナ、任務を無事完了。そんな彼女をエイデンは、諸手をあげて功績を讃えた。


「さすがだな! 効果テキメンではないか!」


「たまたまですよ。叱るよりも、情に訴えた方がずっと効きますからね」


「それにしても不思議だ。つい最近までは問題無かったのに、唐突に粗暴になってな」


「幼児の成長は早いですよ。それこそ魔王種は輪をかけて早いって言うじゃないですか。陛下も、その心構えだけは忘れないでくださいね」


「分かっている。まぁ私が狼狽えたとしても、お前が居るから安心だな」


「あまり頼りにしないでくださいね! まったく!」


 シエンナは再びナテュルの手を引き、部屋を後にした。道すがら、先ほどの『成果』を確かめようとして話を振った。


「どうですか。色恋みたいな気配は全然無かったでしょう?」


「いや、なんつうか、ガッカリしたべぇ」


「ガッカリ、ですか?」


 背中に冷たいものが走る。恋する乙女に、子煩悩が元で騒ぐ姿は刺激が強すぎたか。慣れきったシエンナとは違う印象を受けても不思議ではない。もし自分の浅はかさのせいで、1人の恋心を消しとばしたとあっては、それも後味が悪いように思う。


 しかし、相手の口から飛び出た言葉は、全く予期せぬ方向のものだった。


「エイデン様の顔を見たけ? 笑ったりハラハラしたりで、表情が豊かだったでねぇか」


「そう、ですかね? 良く分かりませんが」


「少なくともよ、あんだけ自然に笑うのは、シエンナちゃんの前だけだっぺ。オラなんか、純粋な笑顔を向けて貰った事一度もねぇべ」


「いやぁ、そんな事無いと思うんですけどもぉ」


 話の向きがおかしい。どうにか軌道修正しようと目論むが、もはや運命は動き出してしまっていた。人力の及ばない領域から歯車の回る音がする。


「さっきのでよぅく分かったべ。シエンナちゃんはすんげぇ信頼されてるし、共に笑い合える仲だって。オラよりずっとずぅっと親しい関係だって」


「ええと、ナテュル様。一回この辺で深呼吸してみません?」


「オラ負けねぇべ! 今日からオメェは恋のライバルだっぺよ!」


「いや、あの、落ち着いて……」


「そうと決まれば善は急げ! 爺に相談すっぺぇーー!」


 ナテュルが旋風を巻き起こしながら遠ざかっていく。階段など4段飛ばしで降るほどの急ぎようだ。その去りゆく背中を眺めながら、一抹の不安が膨らんでいくのを感じた。これまで以上に面倒な事になったのではと。 


 その予見は正しく、以降シエンナは何かとライバル視されるようになった。そのおかげでナテュルとの距離は縮み、親しみに似たものを感じなくも無いのだが、とにかく身辺が騒がしくなって弱る。これを吉兆とみるべきか否か、白黒つけられないままに時だけが過ぎていくのであった。

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