第23話 春めいた便りに

 健診を終えた頃には寒さもスッカリ和らぎ、窓の向こうには新たな季節が映り込んだ。固く閉ざされたツボミは花開き、誘われた蝶が喜んで舞う。エイデン城は大陸でも寒冷地帯に位置するので、春の訪れは遅れがちだが、四季と呼べるものを愉しめる程度には暖かい。


 長い冬の時代を終え、活動範囲を広げた魔王がするべき事とは何か。そう、お花見である。


「わぁぁ、きれいーー!」


 城下町から多少離れた所に小高い丘があり、一帯には花畑が広がっている。ニコラは色とりどりの草花に目移りさせながらも、撫でたり嗅いだりと大ハシャギになった。


「ニコラ、独りで先に行くな。お父さんと一緒に歩こう」


「はーい!」


 危なっかしい足取りで戻ったニコラ。エイデンと手を繋ぎはしたものの、興奮は増す一方なのか、跳ねたりブラ下がったりと忙しい。こうも喜ばれると、父としては企画した甲斐があると言うものだ。


「あか! あお! みどり!」


「そうだな。たくさんの色があるな」


「ぴんく! ぴんくがいっぱい!」


 ニコラが更に興奮したように指を差した。


「一杯とは何だ……おぉ、なるほど」


 そちらには満開を迎えた桜の木が生えていた。周りの木々より頭ひとつ分低いのが、どこか遠慮している様にも見える。それでも背の高い樹木がまばらに点在する中で、唯一とも言える桜は、どんな木々よりも目立つものだった。


「ちょうど良い。この木の下でオヤツにしようか」


「わぁーーい! バニャニャ!」


 最近はニコラも果物に夢中だ。やれバナナだリンゴだと、出されたものを瞬く間に食べきってしまう。ただし、オレンジなどの柑橘類は苦手であるらしく、すぐに口から吐き出したりする。甘ければ良いというのは、大人の浅はかな考えであった。


 今日もニコラはバナナを一気食いにし、口中をパンッパンに膨らませる。そして汚れた手を拭きもせずに、即座に遊びへと戻ろうとする。桜の傍に駆け寄りるなり、凹凸の激しい幹に手を伸ばした。


 だがその時、どこからともなく響いた鋭い声により、ニコラの動きは止められた。


「やめて! 汚い手で触らないで!」


 次の瞬間、眼前に一人の少女が現れた。黒目がちで長い茶髪。ピンクのワンピースは、裾や袖が花弁を重ね合わせたような造りをしている。また、姿が半透明であることから、魔力生命体の一種である事が見てとれた。


「おとさん。この子、だあれ?」


「ふむ。地上では初めて見るが、精霊か何かだろう」


「せーれい?」


「あらゆる物に祝福を与えるもの、と言っても分からぬか。さて、何と説明したものか……」


 ここでエイデンは少女と視線を重ねた。すると、徐々に相手の瞳が恐怖によって歪んでいく。


「ひ、ひぃ! アンタもしかしてニンゲン!?」


「違うぞ。私は通りすがりの魔王だ」


「ほ、本当? 桜の花を持ち去ったりしない?」


「安心しろ。我々は、この木の美しさに吸い寄せらただけだ。じきに帰る」


「あぁ良かった。そうよね。牡山羊のツノなんか生えてんだから、ニンゲンな訳がないわよね!」


 安堵の息を漏らした精霊が、桜の枝に腰かけた。ニコラが手を伸ばして少女に触れようとするが、飛び上がった所で届くような位置ではない。


「娘もそこに座りたいらしい。乗せても良いか?」


「うーーん。手を拭いたらね」


「よしニコラ。両手を出しなさい。キレイキレイしようか」


「きれい、きれーい」


 エイデンが布で拭ってやると、ようやく許可が下りた。枝の上にはご満悦そうなニコラと、満更でもない少女の顔が並ぶ。


「ところでお前は何者だ?」


 エイデンの問いに、少女は胸を張って答えた。


「アタシはね、『桜の園』を任されてるオウミっていうの。こう見えても桜の精霊なんだから!」


「サクラとは何だ?」


「察しが悪いわねぇ。目の前に生えてんでしょ」


「そうか。実物は初めて見るのだが、確かに立派な樹木だな」


「つうかさぁ、ちょっとくらい驚いてよ。精霊の登場シーンじゃない。わぁ凄いなぁーーとかあるでしょ」


「悪いが、魔界では精霊など珍しくも無いのでな」


「あぁ、そうでしたわね!」


 オウミは相手が無害と知るなり、口許を滑らかにした。往々にして花属性の種族とは、お話好きであることが多い。


「ところで、サクラの園と言っていたが、見たところ一本しか生えていないのだな」


「あるわよ。分かりにくいけど、ここら辺の全部がそう」


「花のひとつも咲いていないが」


「それらは葉桜ね。私の力を受け付けなくなっちゃって、花実が咲かないの」


「何か問題でも起きたのか?」


「……全部、ニンゲンのせいよ!」


 吐き捨てた言葉は怨嗟に満ちていた。隣のニコラが気遣い、頭を撫でようとするも、精霊には触れられない。虚しく空を切るばかりだ。


「ここも昔はね、春になればスゴかったんだから! あちこちで沢山咲き乱れてさ、近くのニンゲンたちが酒だ料理だと持ち寄って、毎日のように宴会してたのよ」


「ふむ。その頃は人族とは良好な間柄だったのか?」


「そうね。たまに枝をへし折られたり、木の根元で吐かれたりしたけど、それくらいは我慢したわ」


「十分な被害の気もするが」


「でもね、とある日に、ニンゲンの軍隊がやって来たの。ケンキューがどうのって言って、花を持ち去ってしまったわ……」


「それは非道な。天地に対する畏れを知らぬのか」


「私はその時、この子の中に隠れてたの。ひと足先に葉桜になってたからね。ヤツらは目もくれずに帰って行ったわ」


 オウミの声が湿りだす。瞳に盛り上がった滴は地面にこぼれ落ち、名も無き花弁を揺らした。


「でも辛かった! アタシに戦う力なんて無いし、ただ盗まれるのを眺めてるだけだった!」


「抗う術が無いのなら仕方あるまい。あまり自分を責めるな」


「いっそのこと、アタシも連れ去られてたら楽だったのに。でも、それだって怖いし……!」


 エイデンは遣りきれなくなり、静かに天を仰いだ。小枝の先が風を受けてそよぐと、小さな花びらがひとつ、ふたつと舞い降りてくる。それはどちらも精霊の傍に止まった。まるで隣に寄り添うかのように。


「ありがとう、慰めてくれるのね」


「木と意思の疎通が出来るのか?」


「ある程度はね。お喋りまでは無理だけど」


「もしかして、この木が一回り小さい事も?」


「優しい子なのよ……アタシが怯えているのを知ってるから、あまり大きくならずに居てくれるの。なるべくニンゲンに見つからないようにね」


「そうか。良き友を持ったな」


「本当にね……」


 傷心をいたわるような空気が流れる。しかしそれも、遠くから聞こえる凶々しい響きにより、間もなく霧散してしまう。


「ほほぅ。これは報告通りの見事な桜だ。狩り忘れのようだが、折角だから稼がせてもらおうか」


 騎乗の男が上機嫌に言う。その周りを固めるのは、数百人にも及ぶ人族の兵であった。


「隊長、準備は整いました! いつでもいけます!」


「よし。ここは魔王の勢力圏に近しい場所だ。手早く回収しろ!」


「ハハッ!」


 部隊の一部が本隊から離れ、桜の木へと向かって駆け出した。先頭を行くのは、見慣れぬ筒を抱いた兵士だ。エイデンはそれを眼にするなり、胸がザワつくのを覚える。


「き、来た! この子まで狙われちゃった!」


「連中が犯人で間違いないのか?」


「忘れるわけないよ! あの兵器は夢に出るくらいだもの!」


「よし、私に任せろ。ニコラを頼むぞ」


「ええ? 待ちなってば! あっちは大勢いるのよ!?」


 エイデンは独り駆けた。魔剣を呼び出すまでもない。両手に闘気を存分に込め、手刀で筒を両断した。狼狽える敵兵は拳圧を当てるだけで吹き飛ばし、本隊の傍に転がした。


「敵襲! 収拾隊が攻撃を受けています!」


「おのれ、魔族の差し金か! 矢を放てぇ!」


 エイデンの傍に矢が飛来する。闘気を全身に滾らせただけで弾いて見せた。騎乗の男がいよいよ焦るのが、遠目でも分かる。


 再び駆けた。そして敵部隊の前で跳躍。中空で蹴りを放ち、生み出した衝撃波で歩兵達を蹴散らす。着地した眼前には、騎兵のむさ苦しい顔だけがあった。


「動くな。質問に答えてもらおう」


「き、きさま! 何者だ!?」


「無駄口を叩くな。それとも、命が要らんタイプか?」


 エイデンは鋭い爪を伸ばし、男の首もとに近づけた。爪の端が日差しを冷たく反射する。生半可な剣よりも、よほどに切れ味があるように見えるだろう。


「まずひとつ。盗んだ花をどこへ持ち去った?」


「お、王都だ。王都の研究所」


「大陸でいうと?」


「大陸中南部、霊峰に囲まれた、いにしえより続く都だ」


 往復するだけでも半日以上はかかる。攻略するには遠すぎると思った。


「花を集めてどうするつもりだ?」


「詳しくは知らん! 魔力を抽出しているとしか聞かされていない!」


「それだけか?」


「他に知っている事といえば、送った分だけ金が手に入る事くらいだ!」


「謀(たばか)るな。一度くらい死んでみるか?」


「嘘じゃない! 本当に知らんのだ!」


 念のために指先へ殺気を込めてみる。男は歯を打ち鳴らし、小さな悲鳴をあげはするが、前言を曲げたりはしなかった。何も知らないというのは真のようである。


「そうか、ならば消えろ。2度とここへやって来るな」


「我らを見逃そうというのか?」


「せっかくの花畑を血で汚すのは無粋であろう。もし武名をかけて争うと言うのなら、血の一滴も飛ばす事なく皆殺しにしてやるが……」


 周りの兵たちに眼をやると、誰もが手元の武器を震わせていた。まともに戦える者など居ないに等しい。その為、騎乗の男が撤退と叫ぶのも無理からぬ事であった。


 やがてエイデンは桜の元へ戻った。まずニコラが胸に飛び付き、ミオウも遅れてやって来る。


「追い払えはした。だが、花を取り返すのは難しそうだ」


「いいよ、そこまでしてくれなくて。アンタとは行きずりの仲じゃないの」


「まぁ、そうだがな」


「それにね、今年のうちは咲かなくても、来年や再来年は上手くいくかもしれないし!」


「そうなると良いな」


 エイデンは桜の幹に手を添えて、改めて下から見上げた。無数の花の隙間より、青々とした空が見える。


「ミオウよ。お前達は遠慮せずとも良い。こやつを、伸ばせる所まで伸ばしてやれ」


「うん。そうしたいのは山々だけど……」


「人族の軍なら気にするな。この辺りまで結界を張ってやる。それで手出しされずに済むだろう」


「そんな事が出来るの!?」


「案ずるな。少しばかり領土が歪になるが」


「ありがとう、本当にありがとう! 何かお返しをしたいけど、あいにく桜を咲かせるくらいしか出来なくって……」


「それだけで十分だ。我が領民の眼を愉しませてくれればな」


 こうして、魔王軍の領地はわずかに増えた。防壁を伸ばす事は出来なくとも、境界線に強力な結界を敷くことで、人族は用意に近寄れなくなったのだ。


 この結果に喜んだのは、散策を好む親子連れでも、保養所を目的とした軍人でもない。参謀長のクロウである。


 事の経緯はさておき、今回の戦闘は王自らの外征と言えなくもない。ようやく拡大路線の動きが見られた事で、クロウの眉間に刻まれたシワが薄くなったとか、そうでないとか。 

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