第22話 荒れる1歳健診
エイデン親子はただ今魔界に居る。と言っても帰省の類では無く、街郊外に佇む巨大な診療所へとやって来たのだ。身の丈を超える程のドアを開け放つと、すぐ目の前に受付が見えた。そちらへ歩み寄るなり、端的に要件を告げた。
「娘の1歳健診を頼みたいのだが」
応じたのは間近にいた若い魔人の女だった。
「ではこちらに記入して、椅子でお待ち下さい」
促されるままに必須項目を埋め、長椅子に座る。その隣に腰を降ろしたのはシエンナで、誰に言うでも無く愚痴をポツリと溢した。
「はぁ。せっかくの休みに、どうして付き添いなんか……」
エイデンはそちらを見るでもなく、辺りに視線を巡らせながら答えた。
「別に強引に拉致したわけでもあるまい。了承の上で連れて来たのだ、一体何が不服だと言う?」
「……強いて挙げれば、自分の馬鹿さ加減ですかね」
シエンナは自分の時間を愛するタイプだ。それが何故休日の付き添いなどに応じたのかというと、今回も物で釣られたからである。
先日授けられた美酒の数々であるが、それらに見合う肴(さかな)を持ち合わせていなかったのだ。安価な乾燥イカやローストビーンズでも悪くはないのだけど、ベストでない事は明らかだ。そんなある種の『飢餓感』を持て余していると、エイデンはそっと囁いた。
ーー頼みをきいてくれたら、極上のツマミも付けてやろう。
シエンナの青く、未完成な心を揺さぶるには十分過ぎる言葉だ。結果、彼女は一時的とはいえ、魔王に魂を売ったのである。
「そうボヤくな。お前は特に何もせずとも良い。それだけで『クラーケンのビネガー漬け』が手に入るのだから安い物だろう」
「そりゃそうですけど。そもそもですよ、貴族様なら医者を城に呼び寄せるものでしょう」
「確かにそれが一般的だ。伯爵以上の階級であれば、皆がそうするだろう」
「じゃあどうして、わざわざ診療所まで?」
「金額が無駄に高い。それでは勿体無いというのがクロウの意見だ」
「ああ、だったら仕方ないですね……」
そんな人生の寒風に吹き晒されている所に、受付から呼び声がかかった。
「エイデンさん。エイデン・ユルクナルドさーん」
「ここだ。もう受診できるのか?」
「娘さんは魔王種ですよね、ここA棟じゃなくて、B棟に行ってください」
その言葉とともに、「2」と書かれた木札を受け取った。受付の女はもうこちらを見ていない。説明は終わりだと態度で示していた。
「シエンナ、移動するぞ。B棟とやらに向かわねばならん」
「分かりました」
エイデンたちは待合室を通り、ドアを開けて館外に出て、向かい側の建物を訪った。
「それにしても陛下。アタシ、この診療所は初めて来たんですけど、随分と広いんですね」
あらゆる通路は広々としており、吹き抜けの構造であるために天井も高い。先ほどの待合室も随分と混雑していたのだが、狭苦しさなど一切感じられなかった。
「ここは大型種も診てくれる所だからな。街の外に建てられたのも、土地問題が絡んだ為だろう」
「なるほどねぇ。アタシは街角のお医者さんにしか縁が無かったですよ」
「普通はそちらで事足りる。体の大きな者や魔力の強い者は、こちらに回される事が多い」
「体格は分かりますけど、魔力が強くてもココなんですか?」
「暴れた時が大変だろう。建物のひしめく中で、爆裂魔法など放たれてはな」
「ああ納得」
話し込んでいるうちに、2人はB棟へと辿り着いており、簡単な受付も済ませていた。待合室はガランとしたものだ。看護師の他には誰も居ないように思える。今や魔王種も希少であるので、用件を携えて来る者自体が少ないのだ。
「エイデンさーん。まずはお子さんの身長と体重を計りましょうかー」
その言葉を皮切りにニコラの健康診断は始められたのだが、滞りなく進められた。身長体重や問診、視聴覚検査の全てクリア。あまりの順調さに、シエンナはいよいよ付き添いの意義を見失いかけるが、それもここまでだ。次に受ける『特性検査』を境に、彼女の存在が大いなる助けとなるのである。
「じゃあ特性を調べますんで、お子さんを台の上に座らせてくださいね」
検査室で若い鑑定士が言う。エイデンは言葉の通り、総大理石の台座にニコラを座らせた。
「ではいきますよ。特性のある箇所に光が灯りますのでー」
鑑定士は淡く光らせた両手を、ニコラの頭上にかざし、念じた。すると台座に幾何学的な模様が浮かび上がる。何らかの術式を施していることは明らかだった。
しばらく待つと、ニコラの体にも変化が見られた。彼女の両こぶしに、先ほど見た光と似たものが宿っている。
「ええと、特性は『徒手空拳の向上』ですね。それでは次で最後の検査……」
「待て。そのひとつだけか?」
「はい。そう……ですね」
鑑定士は改めて台座の方を見た。彼は誤診でない事を改めて確信する。しかし、その回答でエイデンは納得しなかった。食ってかかるというか、相手を食いちぎらんばかりの形相で詰め寄った。
「それはおかしい。ニコラは混血とはいえ魔王種だ。他にも5や10はあって当然だろう!」
「いや、何と仰られても、無いものは無いんですよ」
「クッ。これだから新人はアテにできん。やり直しだ。熟練の鑑定士に再検査をさせるのだ!」
「ちょっとちょっと。私はこれでも30年は勤めているんです。ルーキー扱いされるだなんて心外ですよ」
「30年だと? ケタが一つ足りんぞ! せめて勤続500年くらいの者を連れて参れ!」
「困ります。それに誰が見たって結果は変わりませんよ」
シエンナは、この不毛すぎる口論を眺める内に感じ取った。私はこのような場面の為に連れて来られたのだと。
そう思えば迷う事は無い。妙に滑らかな動きでエイデンの傍に寄ると、いつもの様に拳を激しく叩きつけた。
「落ち着け、クソ領主がッ!」
「何をする!」
その一撃は冷水にも似ていたらしい。シエンナは大人しくなったエイデンの首をひっつかみ、ニコラを小脇に抱えた。それからはしつこく会釈を繰り返し、逃げるようにして退室した。
そうしてやって来た待合室。再度エイデンが暴れる事も危惧されたが、今度は打って変わって静かなものだった。彼は沈んだ面持ちのまま椅子に腰掛け、両手で頭を抱えだしてしまう。
「何て事だ。ニコラに特性が1つだけとは……」
「大げさすぎませんか? 普通の魔人は特性なんて、成人でもせいぜい2つ止まりですよ。幼児の時点で反応があったんだから、それだけでも御の字ってヤツでしょうに」
「私は100を超える程持っている。我が父も祖父も同じだ」
「まぁ、そんな雲上人の話なんか知りませんがね。特性なんか無くたって、ちゃんと生きていけますよ」
「そういうものだろうか……」
「どうしても気になるなら、次の検査で質問したら良いじゃないですか」
「ふむ。それが良いかもしれん」
エイデンが落ち着きを取り戻した頃、最後の検査だと呼び出しがあった。しかし、父が娘を溺愛する想いとは、容易に冷めたりしないものだ。
「医者よ、いざ答えよ! ニコラの特性について忌憚(きたん)無い意見をぉーーッ!」
「ちょっと陛下! 尋ねるなら常識の範囲内で……!」
暴走機関は走り出したら止まらない。扉を蹴破り、前口上すら無いままに、邪山羊(じゃやぎ)顔の医師に掴みかかった。
「な、なな、何ですか。落ち着いてください!」
「さぁ答えよ! 我が娘の特性がひとつだけとは誤診か! それとも偽らざる事実か!」
「さっぱり事情が分かりませんが、ひとまずは冷静に……」
「ああ、すいません! うちの魔王が失礼を!」
猛獣同然となったエイデンの背後より、シエンナはまた滑らかな足取りで近づいた。そして絵に描いたようなヘッドロックが炸裂。これにて、最低限には医師と対話ができるようになる。もっぱら受け答えをしたのはシエンナであるが、そこは大して重要ではないのだ。
「なるほど。概ね理解しました」
医師は先刻の騒ぎなど無かったかのように、極めて平静に述べた。彼こそ勤続500年は超えているだろうベテランである。頭上から伸びる2本ツノは、緩やかなウェーブを描いており、先端は腰にまで届きそうな程に長い。それだけでも、相当に年嵩なのだと推察できる。もちろん歳を重ねているだけあって、コンタクトの激しい患者にも慣れたものだった。
「私も日々の様子から薄々と感じてはいた。どうにも特性の片鱗が見えぬ、と」
「親御さんとしては心配でしょう。ですが、あまり考えすぎるのも良くありません。成長、言い換えれば行動の結果として、後々に目覚める場合もあるのですから」
「行動の結果、とは?」
「幼少期に授かる特性は、言うなれば先天性のものです。両親だけでなく、先祖代々のものを引き継いだケースですな。それは家系の強みとも言えますが、同時に子の人生を縛る枷(かせ)でもあるのです」
「枷だと? それはまた随分な言い草ではないか。特性とは戦闘から日常まで、あらゆる場面で使える便利なものだろうに」
「ええ、仰る通り有用です。しかし特性があるばかりに、ついつい頼りがちになります。すなわち、行動理念が特性に寄せたものになり、その結果人生が決められてしまうのです」
たとえば病無効を持つものは、医学や薬学に興味を示さなくなる。冷気無効を持つものは防寒着が不要なので、服飾に興味を抱きにくい場合がある。医師の説明は、エイデンにも納得のゆくものだった。若かりし頃を振り返ったなら、心当たりが数多く見つかるからだ。
「むむむ……。確かに一理ある。しかし、ひとつだけというのはなぁ」
「親としては寂しいでしょう。贈り物が届かなかったような気がして。ですが心配は要りません。大人になって、つまりは本人の努力の末に宿った特性の方が、上手く扱えたりするものです」
「そういうものだろうか」
「そうですよ。なにせ、自分の意思を貫いた結果に得たものですからな」
医師は話を終えたようだ。次は検査だと告げる代わりに、両手に防護魔法を発動させ、ニコラに話しかけながら手のひらを向けた。
「さぁお嬢ちゃん。遠慮はいらないから、手で叩いてみて」
「たたくの? これ、たたくの?」
「そうそう。おお、随分と強いんだねぇ。次は足で蹴ってもらえるかなぁ?」
ひとしきり威力を確認すると、医師はカルテにいくつもの言葉を書き込んでいく。エイデンには全く読めなかったが、検査は上々である事が理解できた。
「お子さんは魔法を使われますか? 大きなものでなくとも、小さな炎やら風やらを起こしたりは?」
「いや、そういったものは一度も」
「これだけ闘気があるのに、魔法はまだ……。お嬢さんは近接戦闘タイプかもしれませんな」
「そうなのか? 私は魔法戦士タイプなのだが」
「戦闘タイプは遺伝しません。これには諸説ありますが、刷り込みが大きく作用するそうです。生後半年以内で、例えば素手による格闘シーンなどを見せたりすると、近接タイプになりやすいとか」
ここでエイデン、シエンナを見る。だが彼女は視線を重ねる事なく、壁のシミの方へ顔を逃した。
「まぁ、なんというか、心当たりが無い訳ではない」
「そうですか。ともかく、まだまだ1歳なのです。今後の環境で大きく変わりますので、あまり一喜一憂なさらぬよう」
その言葉で検査は終了だった。ほどなくしてエイデンたちは退室する事になる。
戻ってきた待合室は相変わらず人気がなく、静寂そのものだった。そう、彼らが戻ってくるまでは。
「どうしてくれるシエンナ。お前が私をやたらと殴るせいで、ニコラが近接タイプになってしまったではないか!」
「アタシのせいだって言うんですか? まだ決まった訳じゃないでしょう、諸説あるって言ってたし!」
「諸説も何もあるものか。どう考えてもお前に責任があるだろう!」
「だったら言わせて貰いますけどね、普段からもう少し立派に振る舞ってくださいよ! 何かあるとシエンナシエンナ騒いで、恥ずかしくないんですか!?」
「フン、私は育児に関しては完全な素人だ! 慣れた者に頼って何が悪いと言うのだ!」
「開き直らないでください! この前だってちょっと鼻水出たくらいで大騒ぎして……」
この辺りで、飛んできた看護師が仲裁に入った。彼らの特殊性を見ない、極々一般的な宥め方で。
「お二人とも落ち着いてください。何か事情があるようですが、大変な時こそ夫婦で支え合うものですよ」
これも随分なお言葉である。口論の真っ最中だった2人は、同時に口をつぐんで看護師を睨みつけた。
「私たちは夫婦じゃない!」
ここまでが健診のハイライトである。やがて口喧嘩は終わりを迎え、窓口ではウンザリした様子の看護師から、結果をまとめた一覧を受け取った。会計を手早く済ませると、両者無言のままで人間世界へと帰還した。
それから2人は、数日とはいえ気不味い関係に陥ってしまう。しかしシエンナ、そんな空気であっても報酬のツマミはシッカリと要求していった。今に始まった事ではないが、かなり強かな女なのである。
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