第21話 祝え歌え永久に
調理場に細かくも甲高い音が響く。頃合いはというと、皆が工房に詰めている最中だ。仮に誰かが傍を通りがかったとしても、口出しを控えて立ち去るばかりだろう。作業者が城主エイデンであるからだ。
「味よし、舌触りも滑らか。我ながら完璧な仕事ぶりだな」
作業台には木製のボウルがズラリと並び、その全てにペースト状のものが見える。2種の巨大な寸胴鍋にも、溢れんばかりに料理が満たされていた。まるで大型獣の餌を想起させる量だが、それにしては食べ応えに欠ける形状だった。
「ようやく前作業が終わったか。あとは他の者に任せよう」
夕暮れを迎えた頃、今度は会場へと顔を出した。作業は全て完了していたので、動き回る者の姿はほとんどない。テーブルの上に並ぶ料理からは、温かな湯気の昇る様子も見て取れた。
「どうだクロウ、順調か?」
問いかけに対し、クロウは首を一度振ってから答えた。
「はい、抜かりはありません。いつでもお迎えできます」
「分かった。今頃腹を空かしている事だろう。すぐに呼んで来る」
エイデンは階段を昇るのも煩わしいとばかりに、外壁伝いに跳躍し、一気に3階へとやってきた。それから目前のドアを叩く。中からは、寝ぼけ半分の声だけが聞こえてきた。
「ニコラ、夕食の時間だ。今日は皆で食べるんだぞ」
扉を開け放つと、中からニコラが大欠伸(おおあくび)を引き連れながらやって来た。長めの昼寝から目覚めたのである。
「眠たいか。だが腹も減ったろう」
「おなか、すいた。マンマ」
「よしよし。すぐに食べさせてやるからな」
エイデンは娘を肩に乗せつつ回廊を進んだ。どこか足早であるのは、やはり気が急いている為であろう。そうしてやって来たのは大広間だ。
ここでもノックを2回鳴らすと、両開き式の扉が向こう側から開けられた。
「ニコラ様、1歳のお誕生日おめでとうございまーす!」
そこでは、参謀部をはじめとした城勤めの全員が整然と並び、一斉に祝いの言葉を述べた。全員がひと握りの花びらを持っており、あちこちからフラワーシャワーが宙を舞う。飾り付けもピンクを基調とした華やかな仕上がりだ。これにはニコラも大興奮となる。
「わぁーー! きれーーい!」
エイデンの肩から勢い良く飛び降りると、柱やテーブルの間を縫うようにして延々と走り続けた。満面に輝く笑みが、これまでの苦労を溶かしてくれるようである。
「さぁニコラ。はしゃぐのも良いが、そろそろご飯を食べよう」
「マンマ? たべう!」
「では座ろう。食事は礼儀正しく、だ」
室内には、純白のテーブルクロスで飾られたテーブルが何脚も連なっている。上座にエイデンが独り座り、膝の上にはニコラ。そこから2列が向き合って並ぶのだが、クロウとナテュルをそれぞれの筆頭とし、下座へと続く。
エイデンは全員が着座したと見ると、芝居がかった仕草とともに声を張った。
「さぁ皆の者、本日は無礼講だ。飲んで歌って、存分に騒ぐが良い!」
出された料理も贅(ぜい)を尽くしたものばかりだ。シーサーペントのソテー、グリフォンのモモ肉とマンドラゴラのピュレ、そして黒毛ミノタウロスのテイルスープ。それらを飛龍山麓が原産の岩塩と、デッドバレー産の胡椒で味付けしたのだ。まさに超が付くほどの高級料理である。
だが、皆の食は滞りがちだ。祝事なので笑顔を絶やさないのだが、仕草はどこかぎこちない。更には主人たちの目を盗んでは、こっそり愚痴を漏らす者まで出始めた。
「味が薄すぎる。全然食った気がしねぇぞ」
「それに油もスッカスカだ。素焼き、いや水煮かな」
それもそのはず。離乳食に寄せているので味が極端に薄いのだ。最近のニコラは大人の食べる料理に興味津々であり、食わせて貰えなければ激しく泣く。せっかくの晴れの舞台でそのような姿など見たくは無い。よって、大人たちが幼児に歩み寄るという形が取られたのだ。
せめて酒でもあればと思うが、樽の中身はぶどうジュースだ。酔う事すら許されない宴は、成人にとって中々に辛いものだった。なので9割超の参加者には不評である。しかしニコラは大変満足しているのか、食の進みがすこぶるよい。半身のソテーを全て平らげ、ピュレはパンと共に完食、テイルスープも残さず飲み干した。邪山羊のホットミルクすらも同様だ。
「ニコラ、美味しかったか?」
「おいしい! あしょぶの!」
「そうかそうか。腹が膨れたなら、次は遊ぶしかないな!」
ニコラは興奮冷めやらず、室内のあらゆる場所を駆け抜けた。長い柱を素手で登りきり、横に伸ばされた飾り布で、振り子の様にぶら下がってみた。かと思えば、奏者が奏でるギターの音に酔いしれ、たどたどしい動きで喜びを現したりもした。
エイデンが笑顔で褒めてやると、気をよくした娘は尚も激しく踊り出す。その愛らしい動きに、城の者たちも有らん限りの拍手をもって讃えた。そうして幼い好奇心が爆発し続けた結果、ニコラはやがて夢の世界へとに落ちた。
エイデンがニコラを部屋に戻すと、再び大広間へとやってきた。すると、その場にいた全員が期待の眼差しをもって主人を出迎えた。
「さて諸君、待たせたな。これより2次会を始める!」
「いよっしゃぁーー!」
待ってましたと言わんばかりの歓声だ。と言うのも、ニコラが寝てしまえば遠慮する理由もない。ぶどうジュースに代わって数々の名酒が並び、料理も油や塩気が濃いものに差し換えられた。
「シーサーペントうんま! 身がホロッホロじゃねぇか!」
「やっぱミノタウロスは黒毛が一番よねぇ。脂が口の中でスルスル滑るようだわ」
お預けを食らった分だけ、盛り上がりのピークは早く訪れた。エイデンはその様子を眺めた上で、敢えて騒がしい中で声をあげた。
「皆の者、聞いてくれ。これより功績のあった者に褒賞を授けるぞ!」
その言葉を聞くなり、皆が「誰だ誰だ」と合いの手を入れる。
「シエンナ、前に!」
「えっ、アタシですか!?」
唐突な呼び出しに目を丸くするが、エイデンの手招きにより、おずおずと歩み出た。両手に持っていたグラスは、もちろんテーブルの片隅に置いて。
「さて、そなたの功績は誰もが知るところだ。ニコラの健やかなる成長に、多大なる貢献を果たした事はまことに大義である」
「そりゃ、まぁ、名指しで呼ばれてましたからね。やらん訳にはいかないでしょ」
「その功績を称え、5万ディナを進呈しよう」
「ご、ごまん!?」
会場は大きく騒ついた。提示された金額は、彼女たちの年収すらも上回る額であったからだ。最近は何かと払いの悪いエイデンであるが、ここぞという時は太っ腹な一面を見せてくれる。
「ではシエンナ。皆に何か一言を」
「ええ? 何も用意してないんですけど……」
あちこちから羨望と好奇の眼差しが飛ぶ。それを気恥ずかしい想いで受け止めつつ、たどたどしい挨拶が述べられた。
「ええと。何かと途中抜けしてしまう私の仕事は、皆が頑張って埋めてくれました。なので、貰ったお金も均等に分けようかなと思います」
「ちなみにだが、副賞には『名酒3種飲み比べセット』を用意している」
「お金はキッチリ分けましょう。でも副賞の方は、まぁアタシの手柄っつう事で、全部貰っちゃおうかなと」
この鮮やかすぎる物言いが会場を大いに沸かせた。
「おいおいシエンナ、酒ばっか飲んでっと体に悪いぞ!」
「お金もアンタが貰っときなよ。そんで年相応にオシャレでも楽しみなったら」
「ダメだっつうの。アイツに大金なんか渡したら、それこそ酒浸りになっちまうぞ」
「黙って聞いてりゃ何よ! 人を飲んだくれみたいに言わないでよね!」
こうなると、後はくんずほぐれつ。馬鹿騒ぎの大騒ぎとなってしまう。殴り合いの喧嘩にまでは至らないまでも、そこそこに激しいやり取りが繰り広げられた。
その様子を、壁際に立って眺めていたのはナテュルとコローネだ。この城にやって来て日の浅い2人は、雑談できる程度には馴染んでいるものの、心から打ち解けるまでには至っていないのだ。
「どうだナテュル。楽しんでいるか?」
エイデンが声をかけると、2人は肩を飛び上がらせて驚いた。
「え、ええ。食いもんはウメェし、酒もウメェしで、最高の気分だべ」
「身にあまる程のおもてなしに、心より御礼申し上げます」
「そうか。ところで、もう少し皆と話してみたらどうだ?」
「いやぁ、その、そうしたいのは山々なんだけどなぁ」
ナテュルは少し寂しげな視線を送るだけだ。足は縫い付けられでもしたかのように動かない。
だが、そんな彼女が持つ心の機微など、酔っ払いにとっては意味を成さなかった。すっかり出来上がったメイドたちが、ナテュルに絡んできたのだ。
「こんちゃーす、お嬢様。ご機嫌いかがぁー?」
「う、うん。いい感じだべぇ」
「ナテュル様ぁ。そんなとこでボサーっとしてないで、何か芸でもやってよ、一発芸を」
「えぇ!? 急に言われても困んべよぉ」
「あーーアタシも見たいなぁ。超絶お嬢様のそういうとこー」
エイデンはさすがに止めようとした。だが彼の耳に聞こえたのは、予想に反して色よい返事であった。
「んじゃぁ、1個だけやんべ。分かり辛ぇから、傍まで寄ってくれっけ?」
「マジっすか? みんな集合ー! ナテュル様がすんげぇ一発芸やりまーす!」
その言葉に場の全員が驚き、あっという間に人だかりができた。誰も彼もが赤ら顔を晒しているのだが、果たして酔客が満足する程のものを披露できるのか。
急速に脚光を浴びた事で、ナテュルはにわかに緊張を覚えた。口に渇きを覚え、言葉がつっかえるような感覚がある。
「そんじゃいくべ。森でゴブリンがリンゴを見つけたけど、ゴブリンロードに見つかってしまった時の顔」
「……すっげぇ限定的な瞬間だな」
固唾を飲むようにして、成り行きを見守る事しばし。あちこちで小さく吹き出し、やがて大爆笑を引き起こすまでとなった。
「うわ、超似てる! 激似じゃないッスかーー!」
「やべぇお腹痛い! お腹痛いよぉーー!」
「もっと無いの? 他にもあるなら見たいですよ!」
「えぇ? そうだなぁ……。練習中のやつで良けりゃ、ここで見せられんべよ」
「それでも良いです、お願いします!」
思いがけない形で、ナテュルは城の者たちと急速に打ち解けていく。その様子はエイデンの心に暖かな何かをもたらした。誰も彼も笑顔で居られる事が、どこまでも尊いものに感じられたのだ。
ずっとこんな日が続けば良い。エイデンはそんな言葉を胸中で呟きつつ、手元のグラスを傾けた。
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