第18話 本暮らしの悪魔
エイデン城での暮らしは相変わらずであった。人々は特に不平を漏らさず働き、大きな変事も起こらず、ただただ穏当な日々だけが過ぎていく。そんな最中、王の愛娘ニコラは父にせがんだ。
「おとさん、ごほん!」
「本……が良いのか?」
「ごほん! ごほん!」
「う、うむ。わかった、私の部屋に向かうとしよう」
幼い体が父に見守られつつ、回廊を駆け抜けていく。これから向かおうとするのはエイデンの居室だ。自己主張が激しいのも成長の証。確かに、一人の親として喜ばしいことではある。それでも、ここ最近覚えてしまった遊びに、エイデンも少しばかり困らされていた。彼が複雑な顔を見せるのも、要求が単なる読み聞かせなどでは無いからだ。
「さぁニコラ。存分に愉しむといい」
「わぁぁーーい!」
自室に娘を招き入れると、ニコラは一目散に本棚へと駆け寄った。そこには古めかしく分厚い本が多数収められているのだが、彼女は片っ端から掴んでは、背後に投げ捨てた。これが彼女の「ごほん遊び」である。一体何が楽しいのか、肉親であるエイデンにも理解はできない。それでも熱心に遊ぶ姿から禁じる訳にもいかず、なんとも悩ましくあるのだ。
「あぁ、その本は秘薬の妙味について書かれたもの……」
昨今の魔界において、紙媒体の書籍とは珍品ではない。だが生産体制も、まだ量産するほどには至らず、依然として高額な代物だ。特にエイデンは先祖より奇書とも言うべきものを引き継いでおり、それ1冊で小城が建つとの噂もある。ゆえに彼の本棚は、見る人によっては宝の山も同然なのだ。
しかし、幼児にとってはアクティビティの一種でしかない。価値の高低など知ったことか。どんなに高額なものだろうとも、ひたすらにバッサバッサと景気良く投げていくのだ。
「あぁ、その本は……何であったか?」
地面に落下したうちの一冊を見て、思わず訝しんだ。背表紙に見覚えはあるものの、どんな内容であるか記憶に無いのだ。そして更に不審な事に、それは自ずから本が開き、とあるページで動きを止めた。嫌な予感を覚えたエイデンはニコラを抱きかかえ、いかにも怪しげな本から距離を取った。
彼の判断は正しかったらしい。所有者の記憶にも薄い本は突然発光し、辺りを瞬時に照らしあげた。すると本の真上には、宙に浮かぶ何者かが現れたではないか。
「何者だ、貴様は!」
「クックック。私は悪魔だ。よくぞ長き眠りから呼び覚ましてくれた。褒美に願い事を3つだけ……」
謎の人物は額に1本の勇壮なツノを持ち、筋骨隆々な体つきだった。背中の羽はコウモリのようであるが、全く羽ばたいていない事から、魔力で浮き上がっている事が見て取れる。
しかしそんな些細な事はどうでも良い。エイデンにとっては単なる乱入者でしか無かった。
「悪魔だと? 一体どこの所属だ」
男は泰然とした態度を一変させた。腕組みを解き、したり顔は驚きに歪み、そして前傾姿勢なって声を裏返させた。
「つうか、ええ!? もしかして貴方は、エイデン先輩ッスか?」
「いかにもエイデンだ。私はお前など知らんが、どこかで会った事があるのか?」
「ええと、自分は後輩ッス! 魔戦術高校で、先輩の2個下だったんスよ! ちなみに名前はサックーマって言うんス」
男は堰(せき)を切ったように語り出した。彼は当時、エイデンと同じ高校に通っており、何度も顔を見かけたのだと言う。つまりは知り合いですらない。一方的な面識があるだけで、赤の他人そのものだ。もちろん、サックーマという名前にも心当たりは無かった。
「いやぁ懐かしいな。先輩は学校でも超がつくほど有名人だったから、毎日が噂で持ちきりって感じでぇーー」
「そうか。それはともかく、さっさと帰れ。知らん相手と昔話をしても退屈なだけだ」
「えぇ……。もう少しくらい良いじゃないッスか。こちとら百年ぶりの娑婆(しゃば)なんスから」
「そんな事情は我らに関係なかろう。見ろ、さっきまで娘が楽しく遊んでいたのに、邪魔をされて沈んでしまったではないか」
「実は見てたッスよ。ただ散らかしてただけじゃないスか」
「そう見えたとしても、立派な遊びなのだ」
「アレの何が楽しいっていうんス?」
「説明してやる義理は無い。良いから帰れ」
正確には、説明できるほど理解できていない。だが、娘への理解度と、乱入者の追放とは無関係だ。エイデンの体に漆黒の衣が見え隠れすると、流石にやばいと感じたサックーマは本の中へと逃げ込んだ。
しかしこの男、今日を境に頻繁に見かける事になる。言い換えれば、それだけニコラが『ご本遊び』に興じたという事でもあるが、ともかく連日のように現れるのだ。
「ちわッス。今日は雨のせいで湿気がやべえッスね。カビ対策ちゃんとやってるんスか?」
来る日も来る日も現れる。
「何か腹減るッスね。オレにも茶菓子とか貰えないッスか? できれば紅茶も、魔ッサムの蜂蜜入りで」
本棚から取り出し、床に放置しても、些細なキッカケで現れる。
「先輩、暇だったら背表紙に加工とかやってもらえます? もっと厳かな感じにしたいんスよねー」
面倒になったので、本を縄で縛りつけた上で、倉庫の奥にしまったりもした。しかし無駄であった。しばらくすると何故か勝手に本棚へ戻っており、ニコラの遊びによって眼前で開かれるのだ。
7回目の乱入を機に、エイデンはとうとう我慢の限界を迎えて怒り心頭となった。本を片手に捧げ持ち、空いた右手には暗黒魔法による禍々しい輝きを煌めかせた。
「サックーマとやら。最後に言い残す事はあるか」
「ちょ、ちょちょちょ! 一体何しようってんですか!」
「知れた事。二度と見かけずに済むよう、跡形も残さず消してやるのよ」
「うわわ、やめてくださいッス! 本棚に戻るのはオレのせいじゃなくて、魔界製造部がそういう仕様にしちゃったからッスよ!」
「そうか、貴様のせいではないと。だが知らん。滅してしまえ」
「マジ勘弁ッス! この職場を失くしたら明日から無職になっちまうッスよぉ!」
エイデンとは仁はあっても義の人ではない。彼が大切に扱うのは、身内や領民などの近しい人物だけだ。行きずりのチャッカリ者を攻撃するのに、良心の呵責などは微塵も無いのだ。
なので、泣きつかれてもエイデンの心には響かなかった。この男、ニコラの遊びを邪魔するだけでなく、何かと図々しいのだ。遠ざける術が無いのなら、消滅させるまでと決断するしかなかった。
だが、ニコラは違った。泣きに泣きまくるサックーマを見るうちに、何か感じるものがあったようだ。
「おとさん。かわいそう」
「可哀想とは、この男がか?」
「だめ、だめ。いいこいいこ」
ニコラが本の裏表紙を撫でるのを見て、エイデンは嘆息するとともに、魔法を引き下げた。
「ああ! お嬢様ありざッス! お礼にどんな願いでも3つだけ叶えてあげるッスよ!」
「待て。それは最後に、魂を抜いたりするのではないか?」
「ええ、まぁ、そういう仕様なんで」
「やはり消してしまうか。娘にとって害悪この上ない」
「わぁぁ冗談ッス! デモンズ・ジョークってやつッスから!」
こうして、ひとまず消滅だけは許した。しかしエイデンは、一刻たりとも傍に置くつもりは無い。かといって何処かへ捨てたとしても、遠からず戻ってきてしまう。そればかりはサックーマにも融通が利かない部分のようだ。
「所有者が先輩になっちまってるんで。別の人物に押し付ける必要があるッスね」
「その所有者とやらを変更するには、どうしたら良い?」
「まぁ、本を拾って貰うってのが一般的ッスね」
「拾わせるにしても、こんな怪しげな物をおいそれと手を出すとも思えん」
「ああそうだ。どうせなら、次の所有者は人間が良いッス。できれば高貴な人間で」
「何だ、そのこだわりは?」
「あと何回か人間を罠に嵌めたら、昇格できるんスよ。貴族だと臨時ボーナスもあるしで。だからお願いしゃす!」
「そんな伝手があると思うか……」
エイデンに人間の知り合いなど、ただの一人も居ない。では領民の誰かに本を押し付けるのかというと、それも却下だ。うっかり願いを叶える者が居たとしたら、魂を抜かれかねない。それが魔界の誰かしらであっても同じだ。無意味に恨みを買いかねず、後々トラブルに発展するのは確実だからだ。
どう見積もっても、魔法で消し炭にするのが手っ取り早い。しかし娘の手前、それも許されない。考えに考えた挙句、エイデンは一計を案じる事に決めた。
「喜べ。貴様の望む人間どもの元へ送り届けてやろう」
「マジっすか! さすがは先輩ッスね!」
「下準備が必要だ。しばらく待て」
それから数日のうちに、人間世界では突如として噂が流れた。なんでも、とある森の奥深くに、極めて希少なる魔術書が眠っているというのだ。最初は与太話の類と受け止められていたのだが、時の権力者の耳に入り、多額の報奨金が約束された事で状況は変わった。
噂の森は貴賎を問わず人で溢れ返った。顔ぶれも、出世欲の塊らしき貴族や金に目のくらんだ冒険者、そして徒党を組んだ農民たちと様々だ。普段は人気(ひとけ)のない場所であるにも関わらず、至る所が活気で満ちるほどになった。
もちろん、この騒ぎを引き起こしたのはエイデンだ。烏人を使役して噂を広め、人間たちをその気にさせたのだ。
「ではサックーマ。上手く拾われろよ」
「やっぱ先輩はすげぇッスね! マジ切れ者ッスわ」
「世辞はいらん。もう帰ってくる事の無いようにな」
エイデンは頃合いを見計らい、木の洞(うろ)に本を隠し、すぐさま離脱した。しばらくすると件の森では歓声が響き渡る。それを遠くから耳にしつつ、計画の成功を確信した。
実際にサックーマが戻る事は無かった。本棚には一冊分の隙間が空いたままとなり、それが小さくない清々しさを与えてくれる。ちなみにだが、その日を境に、人間世界では貴人が失踪する事件が多発した。しかしエイデンの耳に入る事は無く、再度訪れた平穏なる日々を愉しむばかりであった。
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