第17話 洗濯に悪戦苦闘

 縁談は物別れに終わった。しかし魔王の知恵袋たる片腕は結果にもめげず、早々に財政改善案を精査した後、持ち出した。屯田制の実行である。


 屯田制とは、平たく言えば兵士の開拓民化、あるいは生産者を兼ねる策を言う。専門軍人として雇われたエイデン軍の構成員たちに、開墾や民芸品の作成などに従事させるのだ。もちろん訓練の時間が割かれ、軍全体が弱体化を招くのだが、背に腹は変えられない。


「シエンナ……は、この時間居ないか」


 エイデンの呼び掛けに返答は無い。というのも、王の身辺を担うべき下働きたちも、手工業を任される事になったからだ。彼らは城内の仕事を最低限に済ませると、暮れまで作業場へ籠ってしまう。そこまでして、ようやく『ゴブリンの涙』程度の利潤が生まれるのだから、エイデンに異論など無い。無いのだが、あまりの不便さにはつい閉口してしまう。


「しょうがない、自分で掃除するか」


 部屋は水浸しの状態であった。ニコラが邪山羊の乳を吐きまくったのである。それにも関わらずエイデンが慌てないのは、吐き戻しでない事が分かりきっているからだ。ニコラは山羊乳を口に含むなり、すぐさまピュウーッと吹き出す事を繰り返した。その新たな遊びの代償として、室内は至る所で大惨事を迎えてしまった。


「これが真水だったら良いのだが、山羊の乳は後で臭うからな……」


「おとさん、やにゆう! やにゆうぅ!」


「ダメだニコラ。どうせ飲まずに遊んでしまうのだろう? しばらくお預けだ」


「えぇーーッ!?」


 遊び方にせよ、受け答えにせよ、随分と成長したものである。それが喜ばしくもあり、増した負担が辛くもあり。それが今後も激しくなっていく一方だと思うと、肩にズシリとした重みを感じてしまう。


 とりあえず、雑巾を片手に辺りを拭う。汚れが石床だけであれば楽なのだが、絨毯も存分に被害を出していた。いくら布をこすらせた所で、吸ってしまったものを戻しきる事はできない。


 そうして未知なる作業に向き合っていると、室内で唯一のメイドが口を開いた。彼女の言葉を借りれば、親衛隊の女が、である。


「端くれ様。そのように膝をつくなど、王の振る舞いではありません。ただでさえ威厳が無いのに、一層みすぼらしく見えますよ」


 マキーニャだ。彼女は城内の清掃を終えるなり、やたらとニコラの部屋に留まろうとする。特に頼んだ訳ではないのだが。


「仕方あるまい、やりようが無いのだから。それよりもだ。お前も手伝え」


「私に四つん這いになれと仰る? なんて事でしょう。貴方様は魔王の端くれなだけでなく、エロス人(びと)でもあるのですね」


「何故そうなるのだ」


「這いつくばる私の尻を愛でたいのでしょう。おあつらえむきに端くれ様も似た体勢。何だかんだと理由を並べ立て、尻肉に顔をスリスリしたり、スカートの中をネットリと覗こうとしたり……」


「前言撤回だ。大人しくしてろ」


 頼りになるようでならない家来である。能力は図抜けて高いのに、気質がネックで相当に扱いにくいのだ。人手が欲しい時に限って、この反応。親の顔が見てみたいという言葉が過るが、鏡を見ろと言われるのがオチである。


「むぅ……やはり拭き取るだけでは綺麗にならんか」


「端くれ様。水洗いして干したなら、ほぼ改善されるでしょう」


「洗濯か。やった事は無いが良い機会だ。試してみるか」


「殊勝な事です。お供いたします」


 それからはニコラの昼寝を待ち、洗濯場のある裏庭へとやってきた。他の洗い物は既に干されており、柱の間を結ぶロープには、数えきれない程の布や衣類がブラ下がっていた。


「洗濯にはタライを使うものです。水は井戸から汲み上げてください」


「面倒だな。魔法で氷塊を作り、それを炎で溶かす方法はどうなのだ?」


「問題ありませんが、常人にとっては井戸水の方が遥かに楽なのものです」


「そうか。問題無いのなら自己流でやらせてもらう」


 その案はすぐに実行された。しかし早くも失敗をやらかす。大所帯向けのタライを水で満たせたは良いものの、氷を溶かす位置を誤り、洗濯物を巻き添えにしてしまったのだ。


「干したそばから濡らすとか、鬼畜にも劣る所業ですね」


「仕方あるまい。勝手が分からないのだから。だが次は上手くやってみせよう」


「そう願いたいものです」


 気を取り直して作業は続行。次なる工程は押し洗いだ。表面を擦ると傷みやすいので、素材に含ませた水を押し出すようにして、汚れも外に吐き出させるという寸法だ。マキーニャに手法を習い、折り畳んだ絨毯をタライの中に沈め、存分に水を吸わせる。しばらくすると、布地の色味が暗く染まっていった。


「では押すか。フンッ……!」


 掛け声と同時に、メキリという嫌な音がした。タライの中をまさぐってみると、底が抜けており、貯めた水も止めどなく流れてしまう。せめて金属製であったなら歪むだけで済んだろう。木板を張り合わせただけの代物なので、耐久力に難があったらしい。


 水はすっかり抜け落ちてしまった。そうして空になったタライを掲げたなら、大きな穴を通して、その向こう側にあるマキーニャの真顔が見えた。


「失敗です。力を入れすぎですね」


「そうか。今の強さはアイアンゴリラを圧し殺す程度だったのだが、次はゲイルウルフを捻り潰すくらいに留めておこう」 


「まずは不殺を心がけてください」


 メキリ、メキリ、メッキリ。替えのタライがいくつもガラクタへと変貌する。倹約とは何だったのか。苦言の甲斐無く、仕事道具が無意味に破壊されていった。


 しかし、エイデンも流石に学ぶらしい。最後のひとつとなったタライは良い案配で扱い、押し洗いを完了にまで漕ぎ着けた。


「さてマキーニャ。次はどうすればいい?」


「軽く絞った後に水を切ります」


「水を切るとはつまり……」


「予めお伝えしますが、手刀とは関係ありません」


「何だ紛らわしい。誤認しかねない言葉は控えておけ」


「そうですか。とことん家事知識に疎い方なのですね」


 水浸しの絨毯を少し絞り、水気の大部分を吐き出した後、布地の端を持って振り回した。さながら円を描くようにして、向こう側が地面に触れてしまわぬように素早く。するとどうだろう。激しく攪拌された大気が旋風を生み出し、局地的な竜巻が発生してしまった。絨毯は延々と乾いた風に当てられる事で、たいした時をかけずに乾ききった。


「どうだマキーニャ。これで洗濯は完了だろう」


「おめでとうございます。ですが、仕事はまだ終わりではありません」


「やはり、私がやらねばならんか」


 短い時とはいえ、旋風を巻き起こしてしまった事は失敗だった。右を見ても左を向いても、惨事としか言いようが無い。


「たとえば作業場あがりの豚足女に任せるとしたら、どうでしょう?」


「半狂乱で殴られるだろうな。発覚前に対処せねばなるまい」


 物干し場での竜巻などご法度だろう。洗濯物は全て暴風に飛ばされ、天高く舞い上がった後に、地面へと落下したのだから。辺りが乾いていれば被害は軽微だろうが、あいにく水浸しという悪条件が重なってしまった。純白のシーツも泥だらけだ。よって、それら全てをイチからやり直さねばならない。


「マキーニャ、手伝ってくれ」


「お断り申す」


「初老の男みたいな声マネをするな。良いから手伝え」


「金輪際、お断り申す」


 エイデンは独り、洗い物を回収しながら思い出す。先日のナテュルとの一幕で、『家臣の失敗は主人のもの』と発言した言葉を。それは裏を返せば、主人のミスも家臣がサポートするべきでは無かろうか。


 そんな思いを抱きながら、改めてマキーニャを見る。しかしそっぽを向くばかりで、一向に手伝ってもらえる気配は無い。尻拭いを求めるにしても、そこに至った経緯や正当性は重要なのである。

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