第15話 純血魔王種の女
エイデン城は、未明の頃から慌ただしさに包まれた。下男下女はもちろんのこと、兵士に下士官、果ては参謀部の烏人まで駆り出される騒ぎだ。
「急げ急げ! このままでは夕刻までに終わらぬぞ!」
陣頭指揮者クロウの檄がしきりに飛ぶ。全ては、古(いにしえ)よりの習いとも言うべき、諸々の飾り付けに対する指示だ。彼は全体作業から細部に至るまで眼を光らせているので、一寸たりとも休む暇も無かった。
急ピッチで整え始めた内装だが、人海戦術が功を奏し、武骨な城も一応の優雅さを備えていく。特に気を使ったのが内門、エントランス、そして舞踏会場となるダンスホールだ。
至るところに花を飾り、壁という壁を、真紅と濃紫の布を織り混ぜた布で覆い尽くした。調度品も総取り替えで、倉から年代物まで持ち出すという徹底ぶりだ。もちろん、埃や汚れの類いは念入りに除いてある。
「飾り良し、料理の支度も順調か。何とかなりそうだな」
独り言でさえ、どこか忙しなさを感じさせる。とにもかくにも余裕が無い事は、誰の目にも明らかであった。
さて、何が彼らをここまで駆り立てるのか。それは極めて重要な人物がやって来る為だ。他でもない、フゴー公爵令嬢ナテュルの来訪である。
肩書きとしては、王を冠するエイデンの方が上に位置する。しかし家名とその歴史、政治力までも含めたなら、比べようも無い程にこちらが劣る。失礼があってはまさに一大事。クロウは僅かな隙も見せぬよう、必死に創意工夫をひり出して対応に臨んでいた。
しかし、使用人を含めた城勤めたちが酷く緊張するのは、別の理由にある。彼らは不安のあまり、身を寄せ合っては胸の内を溢しあった。
「ねぇ聞いた? ご令嬢って魔王種らしいわよ。しかも純血の」
メイドのユーミルは、同僚を見つけては熱っぽく語った。ともかく他人の浮いた話が好物という性質で、やたらと饒舌(じょうぜつ)であった。
「だとしたら強いんでしょ? 怖いよね。何か気に触る事したら、殺されちゃうかも」
「でもね、クロウ様が言うには、温和で優しい方との噂ですってよ」
「そんなの当てになるのかな。実物を見るまでは分からないじゃない」
ナテュルは軍属ではないので、武芸の心得はない。よってエイデンよりも力は大きく劣る。それでも種族の持つ潜在能力は、他を圧倒する程のものだ。癇癪のひとつも起こされようものなら、血の海を見る事になりかねない。だから、怯えてしまう者も少なくなかった。
「それにしてもエイデン様が再婚かぁ。ちょっとガッカリかな」
「どうしてよ。まさかユーミル、狙ってたの?」
「違うわよ、シエンナよ。あの子とちょっと良い感じだったじゃない。絵に描いたような身分差の恋物語をさ、この眼で見られると思ったのになぁ」
「ねぇねぇ。噂をすればホラ!」
彼女たちが見かけたのは、シエンナが大きな花瓶を運ぶ姿であった。都合良く、こちら側へと向かっているので、目の前を通り過ぎようとするのを引き止めた。
「あのさシエンナ。ちょっといいかな?」
「何よ。今忙しいんだけど」
返答のトゲが鋭い。彼女は多くの同僚から質問攻めを受けてきたので、かなり機嫌を損ねているのだ。
「聞いてるでしょ。エイデン様が再婚なさるって! それについてどう思うの?」
「別に。お相手がいるなら良いんじゃないの? 高貴な身の上なら、正妻どころか妾まで沢山抱えるもんだし」
「えぇーー! あなた平気なの? 恋敵の世話なんか出来るの!?」
「やめてよ、そんなんじゃ無いから!」
立ち話に華が咲きすぎた。すぐにクロウから叱責が飛び、一斉に散る事となるが、興味本意で絡まれたシエンナにとっては助け舟に等しい。すぐに作業に戻り、花瓶を所定の位置に置いた。
「はぁーー。重たかった!」
運んでいたのは、ダンスホールの一角を彩る花瓶だ。ここの内装はおおよそ終えており、いつもと違う光景に眼を奪われてしまう。半日後には、エイデンがご令嬢とやらと踊るのだ。そう思うと、僅かながらに胸が疼く。
「そんなんじゃないったら、本当に……」
独り言にしても声が暗すぎる。それはシエンナ本人も気づき、惨めさにも似た想いが込み上げてきた。同時に、無自覚な自意識を垣間見た気もして、思考は軸すら失い揺れ動く。
しばらくは何をするでもなく、白いテーブルの隅を眺め続けた。だがそれも、別の作業者が入室した事で取り止め、新たな仕事を求めて奔走し始める。手を休めるよりも、動き回っている方が気楽に思えたからだ。
やがて刻限が近づいた頃。全員が力を合わせた甲斐あって、どうにか全ての準備を終えた。そうなると次はお出迎えで、一同が城門前に整列した。エイデンを最奥の門前に、先に行くほど序列が下がるという形で列を作り、ナテュルの来訪を待つ。
「陛下。どうか礼を失するのだけは、おやめくだされ」
「分かっている」
「気立ての良いお方だそうですが、くれぐれも不興を買わぬようお願いします」
「分かっていると言ったろう」
燕尾服に着替えたエイデンは、さすがに優雅な姿であった。懸念すべきは、いつもに増して表情が固い事だろう。それもやがて緩む事に期待するしか無かった。
待つことしばし。耳に痛い高音が鳴り、夕闇を切り裂くようにして空が割れた。切れ目から最初に飛び出したのは、4体のケンタウロスだ。それが巨大で豪奢な馬車を引いて、エイデン城下に出現した。待ち合わせ場所を外に決めたのは、地下泉では通り抜け出来なかった為である。
ケンタウロスの集団は一糸乱れぬ動きにより、巧みに馬車を引いてみせた。エイデン配下が作る列の先頭から数歩離れた位置に止まり、一斉に跪く。そして、十分な静けさが訪れた後、1体が大音声にて告げた。
「フゴー家が第二子ナテュル、エイデン王にお目通り願う!」
よく通る声が一帯に響き渡る。それから一呼吸あって、大馬車の扉が開かれた。
中からはまず足が飛び出したのだが、肌はハッとする程に美しく、形も均整の取れたものだった。容貌は肖像画とほぼ同じだ。緑色に染まる短めの髪、切れ長で気品の漂う眼。ただし鼻からアゴにかけては、開かれた扇によって隠されてしまい、正面からは見通す事ができない。
しかし衆目が釘付けとなったのは、豪華絢爛なる装飾品の数々だろう。誰ひとりとして顔には出さないまでも、心の中では好き勝手に感想を浮かべた。
(何あれ、すっごい! どんだけ指輪つけてんの!)
(うわぁ……趣味悪いなぁ。金持ちアピールしすぎでしょ)
あらゆる指には宝石の煌めく指輪が嵌められていた。隣り合う石が邪魔をして、拳を握るのにも難儀そうに見える。さりげなく顔を隠す扇は羽毛で出来ているのだが、全てがコカトリスの羽だ。更には首に下がるネックレス、ブレスレットやアンクレットに至るまで、意匠に一切の隙が無い。当然の事ながら、全てが一級品で高額なものだ。歩く宝飾店という揶揄を受けたとしても、仕方のない装いだと言えた。
身を包むロングドレスは白を基調とした作りで、胸元が大きく開かれている。豊満な胸が作るデコルテは美しく、腰のくびれも相まって煽情的だ。しかし全身を彩る飾りが仇となり、狙ったほどの効果は得られていない。そんな風体の女が、一歩一歩踏みしめるようにして、列の間を歩いていく。
「これがエイデン城と家来どもか。みすぼらしい事この上ない」
視線はしきりに左右を行き来する。頭(こうべ)を垂れるエイデン城の使用人たちを、品定めするような動きだ。焦らすようにして歩く事30歩。随分な時間をかけた後、ようやく門前までやってきた。
ナテュルは足を止めるなり、伸ばした足を半歩前、片手は腰に。そしてアゴを尊大な角度に持ち上げた。その姿勢のまま、地面に叩きつけるかのような言葉を吐き出したのだ。
「出迎えご苦労。妾(わらわ)がフゴー家の次女、ナテュルである」
尖りきった口調であった。しかしクロウは気を取り直し、拝礼するとともに返答した。
「遠路はるばるお越しいただき、恐悦至極にございます」
「そなたはエイデン王では無いな。何者だ?」
「申し遅れました。軍務と内政を任されているクロウと申します。以後お見知りおき……」
「つまりは下郎か。烏男ごときが出しゃばるでないわ。首をはねてやっても良いのだぞ?」
切れ長の眼が酷薄に歪む。怖気を感じたクロウは、反射的に最拝礼の形を取った。
「これは大変失礼を。何とお詫びを申し上げれば良いのやら」
「ふん。まぁ良い。それよりも、いつまでむさ苦しい所に留め置くつもりか?」
ナテュルの瞳がエイデンに向けられる。そうする事で、ようやく場所が移る事となる。
「確かにその通りだ。城を案内しよう」
「ふむ、やはりそなたがエイデン王か。噂に違わぬ美男子よの。よかろう、エスコートを許す」
「では中へ」
エイデンはナテュルの手を軽く捧げ持ち、城内へと進んだ。その間、クロウを始めとした城の者たちは、全員が頭を下げたままで見送る。2人の姿が見えなくなるまで整然としていたのだが、内心は穏やかでなかった。
(これのどこが穏和なんだ!)
良い噂を耳にはしたものの、見ると聞くとでは大違いだった。あの尊大な人物が后になどと、考えたくもない話である。
(こんな縁談、破談になっちまえ!)
一同は腹の中で毒づきながらも、涼しげな顔を飾り、自身の持ち場へと立ち去った。
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