第14話 財政クライシス
玉座の間にて、エイデンはクロウと向き合っていた。人払いは済ませており、文字通りの2人きりだ。片腕たる男は平伏の姿勢であるのに、どこか重たい気配を漂わせながら口上を述べた。
「ご多忙の中お呼び立てしてしまい、恐縮至極に存じます」
この場はエイデンが設けたのではない。クロウからの強い要望によって実現させたものだ。これからどのような話が投げかけられるのか。そう思うだけで、主人の腹にキリキリとした痛みが走る。数々の優秀なる魔王特性の中に、なぜ『小言無効』がないのか、悔やまずには居られなかった。
「此度、申し上げるのは他でもありません。財政についてでございます」
「財政とは、つまり金の話か」
「御意。単刀直入に申し上げますと、早晩に資金が底をつきます」
「なッ……!」
エイデンにとって寝耳に水だ。浮かべた驚愕の表情も、演技の入る余地すら無いものだった。返す言葉も、ワナワナと震える口から絞り出される。
「金とは、無くなってしまう物なのか!?」
「そこから説明差し上げねばなりませんか?」
流石は名家の御曹司だ。金の価値を知らず、歳入歳出の概念すら無いに等しかった。恐らく街行く子供の方が、よっぽど俗世間を理解しているだろう。
「順を追ってお話しします。まず収入ですが、ほぼゼロと言って良いでしょう。領民には農業や畜産をやらせていますが、それで得た利益は、兵士や使用人の給与に充てられます」
「金は領土を持っていれば、勝手に入って来るものではないのか?」
「まぁ、その認識で間違いはありません。ではお聞きしますが、我が国の領土とは?」
「……この城だけだな」
「ご明察。収入を得るには人間どもを支配して使役したり、略奪する必要があります。ご存知の通り、田舎町ひとつ襲えておりませぬゆえ」
「だから金が入ってこないと」
「まさしく」
この話を持ち出されると、エイデンが弱ってしまうのは、子育てを理由に閉じこもっているからだ。出陣の間くらいメイドに任せろなどという諸々の意見を、全て撥ね付けてまで我を通しているのだ。自身のワガママが原因の窮地では、どうにも正当性が揺らいでしまう。
しかし彼は巨万の富を引き継ぐ男だ。それだけが今、この断罪の場における拠り所となっている。
「だが待て。倉には先祖代々の財宝があるだろう。とても困窮しているようには思えぬ」
「確かに相当な蓄財がされております。よって、今日明日に困る事はありません」
「そうだろう。では資金が尽きるとは、どういう了見だ?」
「支出の異常な多さから、そう申し上げました。地上に侵攻してより一年足らず。これまでの出費から、どれほど現状を維持していけるか、試算してみました」
「そうか。遠慮はいらん、正確に申せ」
「およそ20年ほどかと」
「に、20年だと!? いくら何でも早すぎる!」
エイデンは衝撃をもって聞いた。彼の持つ財産は目減りしたとはいえ、まだまだ積み上がる程に残されているのだ。それが100年すら保たないとは、予想外にも程があるように感じた。
「ちなみに、甘く見積もっての数値です。今よりも出費が増えれば、期間は相応に短くなりましょう」
「一体何が問題だと言うのか……。ヒュドラ肉を取り寄せた事が原因か?」
「あれも高い買物でしたが、主要因ではありません」
「では、外壁を新たに造らせた事か?」
「それなりの痛手ですが、騒ぐ程ではありません。そもそも必要不可欠なものでございます」
「ならば魔剣の修復費用か? ニコラの玩具代も高かったろうな」
「それらも高額の部類ですが、家が傾くには至りません」
「では何が原因だというのだ?」
「陛下の浪費癖にございます」
まさにズバリ。クロウは剣の腕などサッパリだが、非常に弁の立つ男だ。今もこうして、エイデンの体に触れもせずに、確かな心理的ダメージを与えている。
「浪費癖か……その自覚は無いのだが」
「広大な領地をお持ちであれば豪奢な暮らしも結構。私も小うるさい事は申しません。ですが今は状況が状況にございます。節約に勤しんでいただかねば、いずれは路頭に迷う事となりましょう」
「むむ……。しかし身に染み付いた習い性だ。すぐに治せるとも思えぬ」
「そう仰ると思いまして、金策を講じておきました」
「何だ。手立てがあるのではないか。お前も人が悪い」
「事態を把握していただく必要がありますので」
クロウはそう言うと、懐から小さな人物画を取り出してエイデンに差し出した。そこには短い緑髪の映える、高貴な娘が描かれていた。見たところ随分と若く、せいぜい200歳を過ぎたくらいに思える。
「何だこれは?」
「このお方はナテュル。元老院でも一目置かれる、フゴー家のご息女にございます」
「フゴーという事は魔王種の公爵家だな。かなりの権勢を振るっているそうだが、その娘がどうかしたのか?」
「正室として迎えなさいませ。晴れて夫婦となれば、向こうから金銭面の援助を引き出す事も難しくありますまい。あるいは万を超す援軍や、強力な傭兵団のコネクションも手に入る事でしょう」
「待てクロウ」
「申し遅れましたが、すでに縁談は進めております。近々お顔合わせを済まし、双方のいずれからも異論が出なければ……」
「待てと言ったろう!」
エイデンは語気を強くして遮った。しかしクロウは怯むどころか、瞳には確固たる意志の光が宿したままだ。嘘や軽口でない事は明らか。それでもエイデンには、おいそれと受け入れられない理由がある。
「妻のレイアを亡くしてから日も浅いのだ。どうして他の女に目移りが出来るというのか!」
「ではお尋ねします。資金が尽きる前に、戦場へ御出陣いただけますか?」
またもや正論突きである。核心を持ち出されたことで、一気にトーンダウンしてしまう。
「それは……ニコラが300歳を迎えた辺りが頃合いだ」
「節約を心がけていただけるのですか?」
「それも無理だ。治すには相当の時間を要するだろう」
「ならば、答えは自ずと定まるのでは?」
もはや外堀は完全に埋め尽くされていた。この展開を読みきった上で、クロウも相談なしに縁談を推し進めたのだ。
いくらエイデンが渋面を作り、結論を引き延ばそうとも虚しい抵抗である。全てを理解した上で観念し、沈んだ声を絞り出すまで、それほど時間はかからなかった。
「……会うだけ、会ってみよう」
「実物は、肖像画に劣らぬ美女と聞いております。きっとお気に入りいただけるかと」
「もう良い。話は終わりだ」
エイデンは一方的に対話を切り上げると、足早に謁見の間を後にした。それから、ニコラの元へ戻る前に、自身の居室へと寄った。
愛用する作業机の上には1枚の肖像画がある。モデルの女は、金色の髪に犬耳という姿をした犬人族の娘。亡き妻レイアその人だ。それを手に取って眺めていると、胸の内から熱い想いが込み上げてくる。別に語りかけるつもりは無かったのだが、自然と言葉が口から溢れ出てしまう。
「私は見合いをする事になったぞ。公爵家の娘だという」
そう告げたところで、描かれた人物は身動ぎひとつしない。愛する妻は今も、柔和な笑みを浮かべたままでいた。
「お前は変わらないな。絵の中でも、記憶の中でも。だが私まで供をするのは、状況が許さぬらしい」
在りし日の姿をジッと眺めていると、最後の言葉が昨日の事のように蘇る。いまわの際に残した、『ニコラに寂しい想いをさせないで、私の分まで愛してあげて』という願いが、エイデンの心を縛り付けている。彼が独力の育児に励むのも、そういった背景がある為であった。
「どうすべきであろうな、レイア。お前への愛を貫くべきか、それとも遺言を守るべきか」
絵は黙して語らない。そんな事は百も承知だ。しかしエイデンは妻から離れ難くなり、しばらくの間、その場から動けなくなってしまった。
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