第13話 流行病にご用心
窓の外で粉雪がちらつく。曇天模様ながらも、風物詩が飾る景色というのは、やはり目に優しいものだ。子供たちの喜び様といったら、小躍りで歓迎するくらいだ。積もれ積もれと口々に言い、終いには雪そっちのけで追いかけっこに興じ始める。
子供はそれで良い。情操教育の為にも、四季折々の変化を喜ぶだけで十分なのだ。しかし大人は違う。その時々の脅威を意識し、対策を講じなければならない。
「さぁニコラ、魔法をかけよう。患気(かんき)が来るからな」
「かんき?」
「当たると病気になる風のことだ。お腹が痛くなったり、熱が出たりしてしまうぞ」
「やっだ」
「そうだろう嫌だろう。だから魔法で予防するのだ」
ニコラの全身に薄緑の光が灯ると、間もなく消えた。エイデンが防疫の魔法をかけたのだ。本来は農作物に用いるものであるが、魔人に転用できることは周知の事実だ。念のため魔法の重ねがけをしておく。それで効果が倍加したりはしないが、気は心というものだ。
「よいかニコラ。しばらくの間、魔法無しに外へ出てはいけないぞ」
「なんで? なんで?」
「危ないからだ。暖かくなった頃には止めて良い」
子を持つ親、特にエイデンは神経を使う時期に差し掛かっている。魔(ま)ンフルエンザの季節が到来したのだ。
この型は、魔族だけが罹患すると言われる季節病だ。かかれば吐き気に頭痛、咳に発熱などの諸症状に苦しめられる他、重篤化すると命に関わる恐れがある。取り分け幼児と老人にとって危険な病だ。薬学が未発達で、特効魔法を持たぬ彼らにとって、まさに死活問題だと言えた。
ちなみに別タイプに人(ニン)フルエンザというものがあるが、こちらは魔族に感染する心配はない。突然変異を起こさない限り、ではあるが。
「さてと、どこに出掛けようか」
「あっこ、あっこ!」
「城下か。良いだろう」
エイデンはニコラを肩に乗せて部屋を後にし、やがて城門の外へ出た。
そちらの様子はというと、そこそこに賑やかだった。兵士や使用人たちが、魔界から家族を呼び寄せたからだ。その為、人口はみるみるうちに膨れ上がり、先日には大台の千人を超えた。地上へやって来た当初などは、見渡す限り原っぱという景色であったが、今では住居や畑が数多く見られる。
国民は使用人か兵士という時期も終わりを告げたのだ。老人や幼子の姿を見かけるのも、もはや珍しくはない。
「あっこ、あっこ!」
ニコラがしきりに指し示すのは、新たに建設を開始した外壁である。城下に広がる人々を守る為に、急遽計画されたものだ。もちろん莫大な資金が要る。この決定に参謀長のクロウが血反吐を吹いたのだが、エイデンの耳にまでは届いていない。
「さぁ着いたぞニコラ」
「わぁーー! わぁぁーー!」
「ふふっ。建築現場を気に入るとは、為政者に向いておるな」
唐突な王の来訪に、作業員は直立して迎えた。エイデンはそれを片手で制し、視察でない旨を伝えた。すると、安堵の息が溢れ、あちこちから小気味良い鎚(つい)の音が聞こえるようになる。
そんな折りに、2人が向かったのは製石所だ。荒く切り出した石材を集め、形を整える場所である。ニコラは、転がされた均整な石に両手を置いては、跳び跳ねて歓喜の声をあげた。
「おや御子様。石がお好きですかい?」
男がノミを片手に問いかけた。手元から眼を離していても、動きに乱れは見られない。
「いし、いし!」
「そうですよ。こうして同じもんが並んでると、キレイなもんで……」
ここで男が顔をのけ反らせ、大きく口を開け広げた。その動きを機敏に察知したエイデンは、すぐさま両者の間に割って入った。
「ぶぇっくしょい!」
飛沫がエイデンの肩を濡らす。男はその顛末を目にするなり、素早く平伏して許しを請うた。
「も、申し訳ありやせん! お召し物を汚してしまいやした!」
これは無礼討ちもあるか。周りの同僚も震えながら成り行きを見守る。しかし、王の口から飛び出したのは、何人も予想だにしない言葉であった。
「貴様、魔ンフルではないだろうな!?」
「へっ?」
「だから、魔ンフルエンザなのかと聞いている!」
「へ、へい! 違ぇと思いやす。鼻がちょっくらムズムズするだけなんで」
「そうか……ならば良い」
感染リスクが低いことから、エイデンは胸を撫で下ろした。しかし安心したのも束の間。そこここから、クシャミだの鼻をすする音だのが聞こえ、小さくない戦慄を覚えたのだ。
「ニコラ、裏の方へ行こう」
「やっだ」
「向こうの方が良い。同じ年頃の子たちが一杯だぞ」
「やだ! やだぁ!」
暴れるニコラ。だがエイデンはそれを厭(いと)わず、小脇に抱えて歩きだした。
抵抗する手足が父の体を打つ。それらの闘気に満ちた打撃は威力凄まじく、大岩を砕き、大木の幹をへし折る程である。エイデンは無抵抗に浴びせられるのだが、ちょっと痛いという位で済むのだから、やはり魔王と呼ぶに相応しい男と言えた。
むくれ面の我が子を抱えたまま、城の裏手にある空き地へとやってきた。こちらは壁の着手すらされておらず、敷地も第2練兵所と決められているだけで、今は野原同然のスペースだった。
「見ろニコラ。あそこの少年が凧揚げを始めるみたいだぞ」
エイデンの指す先で、犬人の兄弟が駆け回っていた。兄の手には菱形の形をした布張りの凧があり、糸は弟が握りしめている。今日は微風すらも途切れがちだ。それでもみるみるうちに高く昇っていくのだから、子供とはいえ犬譲りの脚力は中々のものである。
見慣れぬオモチャに興味津々のニコラは、スッカリ機嫌を良くしていた。目を爛々と輝かせながら、糸で制御する弟の側まで駆け寄る。相手の少年は、見知らぬ幼女が現れたことで萎縮してしまうが、彼の兄は心得たものだった。
「どうしたの、お嬢ちゃん。君も遊びたいの?」
「あしょぼ! あしょぼ!」
「じゃあ、弟が終わったら貸してあげるね!」
「あしょぶ! あしょぶッ!」
待ちきれないニコラは強引に糸を奪おうとした。エイデンは急ぎ止めようとするが、それよりも早く事件は起きた。
「やめて、離してよ!」
「あしょぶぅーーッ!」
「離してったら……ふぇ、ふぇっくし!」
至近距離でのクシャミにより、ニコラの顔が濡れた。
絶叫するおとさん。半狂乱になりつつ、ニコラの顔を袖で何度も何度も拭き取るおとさん。そして飛ぶように、いや逃げ込むようにして、娘ともども帰城したおとさん。最速力による退避であった。
最初は状況を理解しきれなかったニコラだが、自室に戻されたことを追い追い把握し、それはもう大きな声で泣き叫んだ。遊びを2度にわたって邪魔された挙げ句の連れ戻しである。まるで火がついたように騒ぎ、エイデンも静める事に四苦八苦する。
「聞いてくれニコラ。外は危険なんだ。重い病気にかかるくらいなら、部屋から出ない方が良い」
「やだぁ!」
「頼む、聞き分けてくれ。お前にまでもしもの事があったら、私は……!」
「やだ! やだぁーーッ!」
行き過ぎた配慮は、娘の心には一切響いていない。ニコラは全身で怒りを示し、壁や床を手当たり次第に叩き続ける。エイデンは咄嗟に室内を魔法によって保護するが、明確に動けたのはそこまでだ。善後策を考え始めると、途端に決断力は陰りを見せてしまう。
とにかく心配が度を超している。そもそも魔法で病気の予防を施しているので、彼の反応は過剰と言わざるを得ない。それでも万々が一という事態は起こるだろう。たとえ1厘にも満たない確率であったとしても、脅威から遠ざけたくなるのが親心というものだ。
などと思う反面、さすがに外出禁止令は重たすぎるとも感じていた。健康と遊び。どちらを優先すべきか悩みに悩み、何度も首を捻り続ける。
終わらぬ自問に泣き続けるニコラ。この混沌とした室内の空気を塗り替えたのは、やはりこの人物であった。
「陛下、お茶をお持ちしました……」
シエンナがトレイを片手に現れた。彼女は中の様子を見るなり、面倒に巻き込まれそうだと察知。お茶一式は手早く窓辺の机に置くと、足早に扉へと向かう。
だが、魔王から逃げる事は容易くなかった。
「待てシエンナ。ひとつ相談に乗ってくれ」
声と共に、彼女の肩に強い力がかけられた。有無を言わさぬ気配が存分に込められたものだ。しかし、それしきの事で「はい分かりました」と頷くほど、甘い女ではなかった。
「お言葉ですが、仕事を残しているので」
エイデンは諦めの悪い男だ。断られてもなお食い下がる。
「茶を飲む時間くらい良いではないか。銘菓だってあるぞ。好きなだけ食って構わない」
「はぁ、じゃあ一杯だけ」
「すまん。恩に着る」
このようにして彼女は、高級なるお茶にありつく権利を得る。いい加減、役得のひとつも無ければやってられないという想いが、そう言わせたのだ。
席に着くなり、エイデンは怒濤の勢いで事の顛末を告げた。せっかくの紅茶にも手を付けず、息を吸う間すら惜しいという様子だ。
一方でシエンナは、大事そうにカップを抱え、ジンワリと愉しんでいた。魔ッサムの茶葉が醸し出す芳醇な香りと渋味。ミルクや蜂蜜無しにストレートで味わう。さすがに貴族の口に入るものは違うと、当然の感想を改めて抱いた。
「なるほど。大筋は分かりました」
シエンナは器にカップを戻し、カタリと小さな音を鳴らした。
「それで、どう思う? 私はどのように決断すれば良い?」
「外で遊ばせるべきですよ。それから、防疫魔法も少しは控えた方が良いと思います」
「何だと!? それでニコラの身に何かあったら、一大事ではないか!」
エイデンはちらりと眼を逸らした。視線の先には、おやつのバナナで一応の機嫌を取り戻したニコラが居る。顔は依然として渋いままだが、泣き叫ぶ事だけは止めてくれた。
「まぁ私は医者や薬師ではないので、断言はできません。でも、とある逸話からそう思いました」
「聞かせてもらおうか。その逸話とやらを」
「今から遡ること千年前。当時の魔界は今よりも衛生状態が悪く、死亡率も高かった、というのはご存じですよね?」
「無論だ。平均寿命も、近年の半分程度だったと聞く」
「これはそんな背景を持つ、とある王国で起きた悲劇の物語です。その名も『王女の落命』と言います」
「王女の、落命……!」
エイデンは腸(はらわた)を突かれた気分に怯むが、シエンナの話は続けられた。とうとうと語られた物語の前置きとしては、次のようになる。
魔界のとある王国に極めて美しい姫が産まれた。王の溺愛ぶりは遠国にまで知られるほどだ。というのも、姫は生まれつき病弱で、付きっきりの世話が必要不可欠であった。王は数えきれない程の召し使いを雇い、一粒種の娘に何不自由ない暮らしをさせた。そのうちの一つが、毎日欠かさずにかけた防疫魔法である。
「どこか似ているな。今の我らの状況と」
「話の肝に入りますね。ある日、何かの手違いから、防疫魔法をかけ損ねてしまいます。それが原因で姫は大病を患い、帰らぬ人となりました」
「なんと由々しき事……!」
「この姫様は、身近な病と闘う事なく育ってしまいました。その為、自身の力では太刀打ちできず、悲劇的な結末を迎えてしまった訳です」
「そうか……。それで、今の話の意図は何だ?」
「病気にかかり克服することは、いわば訓練なのですよ。普段から寝転がってる兵士が強くなれますか? 来る日も来る日も鍛え上げる事で、本当の強さが身に付くものですよね」
「つまりは、少しは病と触れ合えと。たまには風邪くらい患うべきだと言いたいのか?」
「まぁ、そんな感じです」
シエンナは話を切り、焼き菓子に手を伸ばした。一枚口に運ぶと、バターの香りが柔らかな甘味を連れて、無類の喜びを与えてくれる。これは止まらない味だ。思案顔のエイデンをよそに、パリポリパリポリと無遠慮に貪り続けた。
「しかし、そうであってもだ。娘が臥せってる姿を見るのは辛い」
「そうでしょうね。御子様がちょっとむせただけで、医者だ薬だと大騒ぎしますもんね」
「だが、それではダメなのだ。そうだろう?」
「ですね。これは受け売りになるんですが、親っていうのは子を守る存在でもあるけど、成長を助ける人でもあるらしいですよ」
「何の反論も出来ぬ……」
エイデンにとって、これほど耳の痛い話もないだろう。物語の人々について何も知らないが、1人の親として受けた哀しみは、決して小さなものではない。そして明日は我が身と思えば、答えは自ずと見えるというものだ。
「ニコラ、さっきは済まなかったな。おやつを食べ終わったら、また外に……」
しかし言うが早いか、ニコラが小さなクシャミをした。鼻水も唇に触れかねない程に飛び出ている。
この瞬間、エイデンはかつてない戦慄を覚え、正気を根こそぎ奪い去られてしまう。
「医者だ! 魔ンフルエンザに詳しい医者を呼べ!」
「ちょっとちょっと! まだそうと決まった訳じゃ……」
「医者を急げ! ニコラが魔ンフルだぞーーッ!」
エイデン奔走する。しかし例によって緊急扱いとはならず、数日ほど様子を見る事になった。実際、鼻風邪だけで完治したのだから、今回も取り越し苦労として終わりを迎えた。
それにしてもだ。シエンナは子煩悩すぎる王を諌(いさ)める事に、敢えなく失敗してしまった。物事とは容易に運ばないものである。せっかく作り話まで用意したのだが。
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