第12話 暗躍する地獄犬

 城外の練兵場付近には、多数の兵舎が並ぶ。その中でも一際大きなものが、国内最強の呼び名が高い、『独立強襲隊』の詰所であった。頃合いは夜更け。あらゆる部屋の灯りが落ちるなか、ここだけが眠りを拒み続けている。


「ぶぇっくしょん!」


 室内のテーブルでは、2人の男が向き合って座り、酒瓶を傾けていた。その片割れがクシャミをしたので、通り一編の声がかけられる。


「風邪か?」


 反射的に飛び出した言葉に対し、返答には異様な強さが込められていた。


「風邪だと? オレ様を誰だと思ってやがる。伝説のケルベロスが子孫ルーベウスだぞ」


 そう叫ぶ男は、冬だと言うのに軽装すぎた。衣類はズボンが一着だけで、上半身には青々とした体毛とタトゥーしかなく、見るからに寒そうだ。犬の形でもしていれば妥当に思える姿だが、彼は人型であるために、無謀な印象を受けるのだから不思議なものだ。


「知っている。その台詞は百万回は聞いた」


「言っとくがな、地獄門の寒さはこんなモンじゃねぇぞ! 地上の冷え込みなんか平気にきま、きまっ……ブェックシ!」


「暖炉に当たるか?」


「うっせぇ! 余計なお世話だ!」


 ルーベウスの反対側に座る男は、名をティコという。被った帽子からは獅子のたてがみがはみ出ているが、瞳の色は広いツバに隠されている。もちろん、今どのような眼をしているかは、ため息のニュアンスだけで分かるというものだ。


「つうかよ、そんな話はどうでも良いんだ!」


「うるさい。叫ばずとも聞こえる」


「テメェは腹立たねぇのかよ! マンティコアの血筋が泣くぞ!」


 罵声を涼しげに聞き流すティコも、系譜を辿れば有名な怪物に行き着く。だが時代を経る毎に血は薄まり、猛威をふるった頃の姿は名残すら怪しく、見た目は人と同じであった。祖先の残した能力と言えば、せいぜいが毒に関する知識と耐性くらい。敬う気持ちは恩恵と同様に薄いものとなっている。


 少なくとも、目の前で気炎を吐く男に比べたなら。


「名が泣くだと? 何が不服なのだ」


「平和ボケのせいに決まってんだろ! わざわざ地上にまで出撃して、やった事は何だ! 大陸の隅っこに城立てて終いじゃねぇか!」


「十分な快挙だ。それで泣くのであれば、勝手にすれば良い」


「オレらの手柄がまだだろうが。全部魔王のダンナがやっちまったんだぞ。このルーベウス様ともあろう男が、腰巾着だなんだと魔界じゃ良い笑い者だ!」


 ルーベウスとしては、今すぐにでも人族の砦に殴り込み、その名を轟かせたい所だ。しかし、肝心の攻撃命令が降りてこない。クロウを筆頭とした司令部からは、ただひたすらに守れとだけ返ってくる。なので今はする事もなく、酒を片手にくだを巻くのだ。


「御子様が独り立ちされるまで待て。そうすれば、働きの場も与えられる」


「そりゃあいつの話だよ? 半年くらいか?」


「早くて5年。長くても10年程度で……」


「待ってられっか! そこまでグズグズしてたら、そのうち国軍が派遣されて、オレたちの手柄を奪われちまうぞ!」


「その時は運命だと思って諦めよ」


「クソが! まったく、あのガキさえ居なけりゃ……」


 そこまで言うと、傾けた杯がピタリと止まった。そして突如、辺りには不穏な空気が漂いだす。その邪気を見逃すティコではなかった。


「待て、ルーベウス。滅多な事を考えるな」


「そうだよ。魔王のダンナをキレさせりゃ良いんじゃねぇか。あのガキをズタズタに引き裂いてよ、人間どもの仕業に見せかけりゃ、明日の今ごろは全面戦争よ」


「よさないか。その浅知恵、どうなっても知らんぞ」


「ハッ! このオレ様がヘマをやらかすかって? んな訳あるか!」


 ルーベウスは手の杯を放り投げると、勢い良く闇夜へと飛び出した。酔っている割には足取りが確かなようである。そして、室内に独り残されたティコは、酒を煽りながらポツリと漏らす。


「警告はしたからな」


 その言葉を拾うものは誰も居ない。返事の代わりにコトリと、酒瓶を置く音だけが響いた。


 さて、鼻息を弾ませて飛び出したルーベウス。彼は他のものには目もくれず、城の中庭へとやってきた。あらゆる窓が消灯している事を確認すると、自身の両手足から鋭利な爪を伸ばし、壁に引っ掻ける。


 石壁を昇る事など造作もない。すぐに3階までやって来ると、窓を爪で粉々に切り裂いた。叩き割ってしまえばエイデンに気づかれかねない。騒ぎが起きてしまう前に、標的を拐って逃げねばならなかった。


「へへっ。順調そのものだな」


 手際よくニコラの部屋に侵入したルーベウスだったが、足を踏み入れた瞬間に全身を凍りつかせた。寝静まったと思われた室内で、2つの瞳が低い位置で煌めいているのだ。驚きの余り、つい身構えて叫んでしまった。  


「だ、誰だお前!」


 眼前の瞳が細められる。それは睨むとも、貶すとも思える形をしていた。


「誰だ、とはご挨拶ですね。こんな夜分に忍び込むなど、何を考えているのやら。酒を過ごす余りに道を間違えましたか?」


 その声には覚えがあった。更には、窓から月明かりが差し込んだ事で、ようやくその正体に気付く。


「てめぇ、マキーニャか! こんな所で何してやがる!」


 彼女は今、四つん這いの状態で侵入者を迎えていた。しかも背中にニコラをチョコンと乗せた状態で。確かに、真っ暗闇の中では不自然すぎる取り合わせであった。それでも、窓から現れた酔客よりはずっとマシというものだ。


「説明する義理などありませんが、鬱陶しいので教えましょう。私は親衛隊ですので、寝ずの番をしております。そして、先程ニコラ様が目を醒まされたので、あやしていました。以上」


「クッ。聞いてねぇぞ、護衛がいるだなんて!」


「さて。今度は私から尋ねます。こんな夜更けに何用ですか?」


 ルーベウスは当然言い澱む。言い訳しようのない状況も手伝い、誰かの助けを探すかのように、思わず顔を背けてしまった。


「ほう。怯みましたね。やはり、良からぬ企みがある証!」


 マキーニャはルーベウスを見据えながら、背中のニコラを丁重に降ろした。そして、拳を構える。全身から湯気にも似た光が沸き立つのは、彼女が闘気を漲らせた為だ。万全の体勢を前に、ルーベウスは激しい焦りを覚える。

 

(よりにもよって、厄介なヤツに絡まれちまった……!)


 真っ向勝負を仕掛けて勝てるかどうか、自信が無い。互いの実力は伯仲しているにも関わらず、迅速に倒さねばならないので、ルーベウスの方が不利であった。いや、それどころか、叫び声ひとつで解決できるマキーニャの方が圧倒的に優勢だ。


 ルーベウスは退路の方にちらりと眼をやった。割れた窓に気持ちが吸い寄せられそうだ。次第に体ごと向きかけるのだが、それは場違いな声によって止められた。


「あしょぶ! にこ、あしょぶ!」


 能天気極まる口調に、ルーベウスは耳を疑った。そして次に眼を疑う事になる。なにせ、1歳にも満たない幼児が、全身に闘気を纏っているのだから。


「な、何だと……」


 言い切る前にニコラが駆けた。まるで地を這う旋風のようだ。完全に虚を突かれた事もあり、ルーベウスは彼女の体当たりを膝に受けてしまう。骨が小砂利のように砕けるとともに、強烈な激痛が全身を駆け巡った。


「ぐああぁ! 足が、足がァァ!」


 痛みに悶絶して転げ回った。しかし、『遊戯』はまだ終わらない。ニコラはルーベウスの背中に周り、パパ登りの要領で伸し掛かり、相手の首元にしがみついた。


「うわぁ! やめろ、そこだけは……!」


 小さな両腕が回されると、 首が絞まったようになる。その直後、ルーベウスは気絶した。呼吸ひとつ分すら保たずに落ちてしまったのである。


 これは彼の祖先たるケルベロスが、某英雄によって絞め落とされた事に起因する。子孫は逸話を学ぶあまり、いつしか自己暗示をかけてしまうようになるったのだ。


 自分も、首が弱点である、と。


 こうして呆気なく企みは挫かれた。しかしマキーニャの顔は、まだ晴れない。戦後処理に悩まされたからである。


「さて、どう報告したものか。魔王の端くれ様にありのまま伝えたら、間違いなく負け犬様は処刑されるでしょうね」


 ルーベウスは一応、名の知られた男だった。粗暴なために不人気ではあるものの、実力者を死刑にしたとあっては、あまり風聞がよろしくない。これが戦場ならばいざ知らず、平時での処分としては重すぎるのだ。


 かと言って、沙汰が甘いとつけあがる事は確実だ。それなりに思い罰が与えられなければならない。何か絶妙なセンを攻める必要があると、マキーニャは考えていた。


 だが熟考する前に、やらねばならない事がある。


「御子様。お手を洗いましょう。バッチィバッチィですから」


「おてて、キレイキレイ? あわあわ、キレイキレイ?」


「そうですね。石鹸でしっかり洗いましょうか」


 マキーニャはニコラを水場へと誘った。それから再び部屋へと戻ると、すぐさま寝かしつけが始まる。たくさん遊んだために、入眠は早い。そして夜が明けた。


 翌朝。報告を聞いたエイデンは、玉座の間にルーベウスを呼びつけた。ここは外部の者が謁見する際と、罪を裁く時に利用される場所だ。今は2人きりで向き合っている。もちろん、昨晩のような酒の席ではなく、断罪の場であった。


「ルーベウスよ。昨晩はニコラの部屋に乱入したそうだが、事実か?」


 エイデンの体には、漆黒の闘気が見え隠れしていた。放たれる気配だけでも、喉元を切りつけられるような錯覚がある。ちなみにルーデウスが受けた昨晩の怪我は、回復薬によってスッカリ完治したのだが、返答次第では治療が無駄になりかねなかった。


「はい、間違いありません」


 声は震えていた。それどころか、両手足に尻尾までも震えている。情けないと思う気持ちすら起きず、今はただ、魔王が恐ろしかった。


「まったく……少しは自重しろ。確かにニコラは史上最高に愛らしいが、部屋に忍び込んでまで眺めようなどと、度が過ぎているとは思わんのか?」


「……へ?」


「何だ、違うのか? マキーニャが言うには、慕う気持ちが募るあまり、とうとう強硬手段に出たとの事だが。聞き間違いだろうか」


「いえ、その通りでございます! 御子様は太陽よりも眩しく、そして月よりも気高く、華やかで……。ご尊顔を拝みたくって仕方なくなっちまいました!」


 酔った勢いで暗殺を企みました、と述べるよりは遥かにマシな弁明だった。もちろん真っ赤な嘘である。ルーベウスは助かりたい一心で、額を床にこすりつけながら、曲解された動機にしがみついたのだ。


 もしこの場にティコが居たのなら、「名が号泣している」くらいの皮肉は言った事だろう。それを回避できたのも、エイデンが人払いをするという配慮のお陰であった。


「まったく、仕方のない奴だ。それでお前に与える罰についてだがな、処刑するには重すぎる。かといって、放置するには父親として不安である。よってこれに決めた。首を出せ」


「首、ですか?」


 エイデンの指先が青白く光輝いていた。それは思わず寒気を催すものであったが、殺意までは感じられない。ルーデウスは観念し、ぎこちない動きで主人の元まで歩み寄った。


 エイデンの指先がルーデウスの喉元に突きつけられる。すると彼は、自身の首元に強い違和感を覚えた。とっさに手が出てしまい、謎の感覚を取り払おうとした。


「馬鹿者。迂闊に触れるな」


「えっ……! ギャアァァァ!」


 直後にルーデウスの全身に電流が走り、その身を大いに焦がし、昏倒させてしまった。エイデンは即座に回復薬の粉を振りかけ、治療を施す。しばらくして、ルーデウスは死の淵より舞い戻った。


「ええと、今のは?」


「お前を縛る鎖のようなものだ。その首にあるのは魔法の輪というやつでな、無理に外そうとしたり、ニコラに害を及ぼそうとした時に電撃が起こる」


「つうことは、今みたいなのが?」


「そうだ。知ってるだろうが、電撃は内臓にもダメージを与えるものだ。回復薬の力をもってしても治癒に限界はある。何度も食らうと寿命が縮むぞ」


「そんなぁ……。これ、いつ外してくれるんですかい?」


「安全だと確信が持てた頃、だろうな」


「ああ、なんてこった……」


 この一件を境に、ルーデウスは大人しくなった。もちろんニコラを襲うどころか、寄り付きもしなくなる。彼の首が2つの意味で弱点となった事で、恐ろしき企みは終焉を迎えるのだった。

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