第11話 邪気のない暴力
子を見守る者にとって、成長のあとが見られることは無類の喜びと言える。昨日出来なかった事が、今日は出来る。その進歩のスピードは、やはり目を見張るものがあり、生命の神秘すら感じさせるのだ。
魔王エイデンは見守る側に立って久しい。彼も娘の健やかなる成育に感謝する一人であり、取り分け喜ばせてくれるのが、この遊びであった。
「あい、どーじょ!」
ニコラはとうとう2足歩行が可能となった。その折りには、父エイデンも卒倒しかねない程に喜んだのだが、今は別件で喜びを噛み締めている最中だ。
「おお、ありがたい。これは素晴らしい物を受け取ってしまったな!」
手渡されたものは、マンドラゴラの脛毛(すねげ)である。エイデンは今現在、特別に欲していた訳ではない。しかし愛する娘直々に、彼女の自由意思によって贈られたことが嬉しくて堪らないのだ。
感謝の言葉に気を良くしたニコラは、玩具エリアへと舞い戻った。それから何かを手にすると、再びエイデンの元へと駆け寄った。
「あい、どーじょ!」
「これは賢者の石ではないか。助かる、助かるぞぉぉ!」
「やたーー!」
「そうだ、やったな! 沢山持ってくるなんて凄いじゃないか!」
エイデンの背後で、愛娘からの『贈答品』が山を成す。乱雑に置かれたそれらは、青龍の鱗やらヌエのたてがみやらと、極めて希少なる物ばかりだ。いずれも秘薬妙薬の原料であり、薬師が見たら目の色を変える程の光景であった。
だが、魔王特性のひとつ『病魔無効』を持つ身としては、有り難みも相応に薄くなる。
「こえ、どーじょ!」
「うむ? 今度はボールか。これで遊びたいのか?」
「あしょぶ! あしょぶ!」
手渡されたのは、拳大の球だった。なめし革を縫い合わせ、繋ぎ目にゴムの樹脂で補強して膨らませただけの、極めて簡素なものである。しかし、幼子にとってはホットな玩具だ。軽快な音と共に弾む様が、どうにも面白いようなのだ。
「では投げてみよう。よく見ているのだぞ」
エイデンは掌から雫を垂らすかのようにして、ボールを床に落とした。それはひとしきり跳ねると壁まで転がり、ゆっくりとこちら側へと戻って来た。ニコラはケタケタ笑う。何が面白いのか理解に苦しむが、楽しんでいるならそれで良いと思う。
子供とは遊びには貪欲な生き物だ。たった一回で満足するような心構えなどない。よって、幾度も同じ動きを強いられる事になる。跳ねる、笑う。跳ねる、笑う。延々と続くような錯覚を覚えてしまうが、この部屋に来訪者を迎えた事で、ようやく大きな変化を迎えた。
「陛下、晩御飯をお持ちしました……って、ボール?」
シエンナがトレイを携えつつ現れた。食事の時間に差し掛かったのである。室内を存分に転がったボールは開かれたドアを抜け、シエンナの足元で止まった。
「それは机の上に置いてくれ。足元のボールは、無理か」
「そうですね。足で蹴っても良いなら返せますが」
「かまわん、やってくれ」
足先で蹴飛ばされたボールが床を転がり、絨毯の上で急ブレーキをかけて止まった。ここでもニコラは大喜びとなる。よっぽどこの遊びが気に入ったようだ。
その間シエンナは部屋の奥、窓際にある机にトレイを置いた。それからすぐに退室しようとしたのだが、足元で微笑むものに阻まれてしまう。
「あしょぼ、あしょぼ!」
「えっ? 私ですか?」
「そのボールで遊べ、という事らしい。暇なら付き合ってやってくれ」
「そうですね。仕事は粗方終わってるんで、少しくらいなら」
「では頼む」
シエンナはボールを受け取ると、下からゆったりとした動きで投げ上げた。すると天井にぶつかって向きを変え、壁を経由して床に落下した。ニコラが満面の笑みで後を追う。
しかし、それからは様子を変えた。ニコラは両手でボールを持ったまま、振りかぶっては下ろす事を繰り返す。エイデンは眺めるうちに『どうやら、自分も投げてみたいのだ』と見当を付け、目の前で投げるフリをして見せた。
「良いか。それは、このようにして投げるのだ」
最初は戸惑うニコラであったが、やがて理解が出来た事で、瞳に自信にも似た色が生じる。それからシエンナの方へ向き直ると、頭上いっぱいにまでボールを掲げた。
「そっちに投げるみたいだ。受け取ってみてくれるか」
「良いですよ。さぁニコラ様、どーんと投げちゃってください!」
シエンナは、眼前で披露されるたどたどしい動きに、暖かな眼差しを向けた。父親は割とアレでも、幼子というのは愛らしいものだ。心の母性がくすぐられるのを感じながら、ボールが跳ねるのを待った。
その直後だ。すぐに顔の脇を、超高速の何かが駆け抜けていった。掠った頬に熱が生じ、軽く煙が燻る。何が起きたか分からず、反射的に背後を振り返った。するとそこには、先ほどのボールがキリモミ回転しながら壁に突き刺さっているのが見えた。もちろん革張りのボール如きに耐えられる衝撃ではない。壁で黒煙を上げたのち、パァンという破裂音とともに四散してしまう。
シエンナは、何が起きたのか全く理解ができず、ただ呆然と固まるしかなかった。
「ほう、さすがは我が娘だ。もう魔法の原形らしきものを体得しているのか」
「ちょ、ちょ、ちょっと! 今のは何ですか!」
「魔力を闘気に変えて攻撃する技だな。1歳を迎える前に片鱗を見せるとは、やはり魔王種とは力も情緒も成長が早いものだ」
シエンナ、震える。今の一撃は、当たりどころが悪ければ重篤になるやつだ。こんなものが飛び交う職場など、命が百あっても不足しそうである。
「陛下、これどうするんですか! 危ないじゃないですか!」
「そうだな。闘気の攻撃を凌ぐには、同系統の力を前面に押し出して……」
「違う! 欲しいのはレクチャーじゃなくて躾(しつけ)の方!」
「躾だと? それは難しいな……。最近のニコラは少し扱い辛いのだ」
「じゃあ使用人の皆がケガ人だらけになって、労災祭りになっても良いんですか? 家計を処理するクロウ様が血反吐まみれで倒れても知りませんよ?」
「わかった、わかった」
エイデンは苦笑混じりに観念した。突っ伏して笑い続ける娘の側に腰を降ろし、そっと語りかけた。
「ニコラよ。今のはやってはならぬ。良いか?」
「やっだ」
「嫌なのか。それでも、止めてもらわねば……」
「やだ! やーーだッ!」
激しい拒絶だ。先ほどの上機嫌もどこへやら。笑顔が急転直下して曇り、目元には涙すら浮かべている。ついには投げ出された両手足が、床を強く叩くようになり、部屋全体がグラグラと揺さぶられてしまう。
「ふむ。そこまで嫌なのであれば仕方な……」
「仕方なくない! どうにかしてくださいよ!」
「とは言うがな。一度こうなってしまうと、手が付けられんのだ」
「……わかりました。ちょっと私が代わります」
エイデンを半ば押しのける形で、シエンナが腰を降ろした。ニコラは癇癪を起こしており、触れる事も容易ではない。なのでしばらく待つ。そうして感情に緩みが見えた頃、やはり柔らかな口調で語りかけた。
「ニコラ様。言いつけを守ってくれないと、お父様が悲しまれますよ?」
その言葉に有るか無きかの反応が示される。声が耳に届いている証であった。
「ちゃんと話を聞いてくれないと、お父様が悲しい悲しいってなっちゃいますよ」
「おとさん?」
「そうですよ。言う事を聞いてくれますか?」
「シエンナ。私は別にそこまで心を痛めてはいないのだが」
「黙っててください。際どいシーンじゃないですか」
果たして、説得の成否はどうか。ニコラはスクッと立ち上がり、俯いたままでエイデンの元へと歩いた。顔は苦虫を噛み潰したようであるが、ただ静かに父の膝に腰掛けたのだ。納得してもらえたと考えて良さそうである。
「ああ、良かった。陛下、ニコラ様を褒めてあげてくださいね」
「うむ。そうだな。それにしても、今のは何だ? 効果てきめんではないか」
「ちっちゃな子には、ただ禁止と言い放つより、今みたいなのが効きやすいんです。それだと困るとか、悲しいとか。社会のルールを理解できる年齢じゃないので、心に訴えかけた方が上手くいくみたいですよ」
「すごいな、まるで魔法のようだ」
「それは魔法を使いまくってる人のセリフじゃないですよね」
こうして、危機は去った。使用人たちは、どこからともなく飛んでくるボールに怯えずに済むし、クロウは労災申請の山を回避できたのだ。ただし、噂にはなる。ニコラの世話はエイデンが一手に担っている為、それほど王女の成長ぶりは知られていなかったのだが、本件で大いにバレた。何やらヤバい程に育っている事を。
噂はその日のうちに城内の隅々にまで伝わった。だが、兵士たちの暮らす兵舎までは及ばなかった。それが原因で、とある兵士が失態を晒す事になるのだが、この時はまだ誰も知らない。
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