第10話 渾身作を愛でよ
何かと育児に掛かりきりであるエイデンにも、一応趣味らしいものはある。ただし彼は、ひとつの道を極めようとするタイプではなく、その時々によって趣向を変える。今もまた、丁度新たな楽しみを見つけた所だった。
「よしよし、イメージ通りだな」
夜更けの頃合い。寝かしつけを終えたエイデンは、限られた僅かな時間で趣味に没頭していた。眼前に置かれたのは小さな桐の板。その上には水晶が2つ並べる。それらを用いて立体造形を愉しもうというのである。
やがて納得のいく物が仕上がった。机上の成果物は、思わず唸り声を漏らすほどの出来映えに見えた。エイデンは椅子から離れ、背伸びをしながら見下ろしたかと思うと、左右に体を揺さぶり角度をつけてみる。そうして眺めた末に、ひとつの確信を得るに至った。
「素晴らしい……この美しさ、名だたる作品群にも引けを取らぬであろう!」
何に感銘を覚えるかは人による、としか言えない。彼が最高峰だと思えば、自己世界ではそのように定まるものだ。
「この感動、胸に閉じ込めてなどいられるかッ!」
そう叫ぶなり、エイデンは作品を携えながら廊下を駆けていった。水晶が激しく揺さぶられるが、魔法によって接着済みなので、バランスが崩れる心配はない。3階から2階へ降りると、またもや猛然と走り、とある部屋まで向かう。
「見てくれ! 私はとうとう崇高なる芸術品を生み出してしまったぞ!」
シエンナの居室に勢いよく踏み込んだのだが、あまりにもタイミングが悪すぎた。今は夜更けであり、彼女はまさに寝入る寸前であったのだ。乙女の寝室への乱入は、熱い拳によって迎えられる。幸いにも夜這いの疑いまでは抱かれなかったが、作品のお披露目は翌日まで待たねばならなかった。
明くる朝。エイデンはニコラの部屋で朝食を受け取った。今日の配膳担当がシエンナだった為に、食事もそこそこに自慢話が繰り広げられる。
「昨晩は慌ただしかったからな。存分に眺める事ができなかったろう。さぁ見るが良い、その眼を果てしない程に愉しませてやるのだ!」
そう豪語して突き出された品を、シエンナは手に取ってみた。鳴り物入りの傑作とやらは、彼女の理解を遥かに超えるものだ。しかしエイデンの、少年のような曇り無き瞳に見つめられると、あまり無下にも出来ず悩んでしまう。
その結果、口から出た言葉は、何とも歯切れの悪いものだった。
「うん、まぁ何と言うか、良いんじゃないですか?」
「そうだろう。ちなみに銘を『運命との抱擁』と名付けてみた」
「はぁ、なんだか凄そうですね」
「そうだろう、そうだろう。凄まじいこと山の如しであろう。ところで、この作品のどの辺に情熱を感じられたか?」
「えぇ……?」
シエンナは改めて手元の物を眺めてみる。作品の概形はというと、桐の小さな板の上に水晶片が2つ乗せられていた。右側には岩石に似た武骨な水晶で、左側には延べ板状のものがあり、板が岩に立て掛けられているような造りをしていた。
これの何が、と思う。一応は綺麗だと思うが、素材の持つ美しさに依存した感想だった。わざわざ手を加え、その趣向を褒めろと言うのだから、彼女でなくとも難易度は高すぎた。
「ちなみにな、右の水晶は幸福を、左の方は無造作に寄りかかる男を表している。どうだ、この角度。たまらんだろう?」
「えっと、あのですね。私はこういうの分からないんで……」
「やれやれ。これだから芸術を解さぬ者は。お前も飯だ遊びだと低俗な意識を捨て、たまには高尚な世界に触れてみたまえ」
「何でしょう。今日は普段の倍ムカつきますね」
シエンナが拳打を放つ。しかしエイデンは、回収した作品を手にしたままでヒラリと避けた。
「さて、私はしばし外すぞ。皆にも見せてやらねばならぬ」
「それってもしかして……」
「その間、ニコラを頼むぞ」
「ああやっぱり」
「マキーニャはシエンナに代わり、掃除を済ませておけ」
「イエス、ゴミ貴人」
後事の指示を出すなり、彼は室外へと出た。そして、誰の元へ向かうか思案する。
「ふむ。やはりアヤツに見せてみるか。勤勉な分、芸術にも明るいだろう」
そうしてやって来たのはクロウの居室だ。部屋の主はというと、分厚い帳簿と向き合う最中であった。
「これはこれは魔王様。いかがなさいました?」
8畳程度のスペースには小さな作業机、単身用ベッドが1台と、大筋では他の部屋と同じである。しかし、小棚に煌めく私物はどうか。彼のコレクションである美しい芸術品が、所狭しと並べられている。それを横目に、エイデンは語るに足りる相手であると確信した。
「大した用ではない。昨晩、面白いものを作ってな。お前にも見せに来たのだ」
「ほほぉ、これはまた……」
クロウからは感嘆の声が幾度となく漏れる。それを耳にするたび、エイデンは背中に代えがたい快感が駆け上るのを感じた。
しかし、良い想いを堪能できたのも、残念ながらこれまでである。
「魔王様。この作品は、超然対比変異法を主としたものとお見受けしましたが」
「何だその、超然ウンタラとは?」
「ご存じありませんか? 魔界随一の彫刻家、生ける伝説とも囁かれるダイナシーの三番弟子が生み出した手法ですよ」
「名前しか知らぬ。彫刻を学んだ事など一度も無いのでな」
早くも雲行きが怪しくなる。一度こうなると話が長くなる事を、長い付き合いのエイデンは肌で知っていた。そして、抱いた危惧は現実のものとなる。
「そうなのですか? これほど似ているのだから、てっきり念頭に置かれたのだと。ちなみに三番弟子、名前をカイム・ミドコロと言うのですがね。彼の持つ逸話は素晴らしいものがあります。二番弟子であるカイガスキーとの決闘などは胸が熱くなりますな。もちろん決闘といっても殴り合いなど無粋な真似はしませんがね。互いの作品をぶつけ合ったのでございますよ。しかしまさか三日三晩眠ることなく……」
妙に早口だ。饒舌、流暢という言葉がシックリくる語り口調である。クロウは一度スイッチが入ると、中々元に戻らない。それを承知しているエイデンは、話途中で退席する事を決めた。
「そのエピソードは面白いとは思うが、今は時間がない。この辺りで失礼するぞ」
「そこで取り出したのは、先祖代々伝わるノミではなく、ボロ市で買い求めたものだったのです。これにはカイガスキーも目を丸くしてしまい……」
エイデンは独演を背中で聞き流しつつ、部屋を後にした。そうして、次なる相手を求めて歩きだす。
「ここはやはり、芸術を生業とするものが良いだろう」
そうしてやって来たのは中庭だ。今日も大木の枝にレーネが腰を降ろし、辺りに美しい歌声を響かせていた。
「レーネ、ちょっと良いか?」
エイデンの言葉に、彼女はヒラリと舞い降りた。
「ンーー、ご機嫌麗しゅうございますぅ。本日はどのような御用でしょうかぁ」
「今日はな、良いものを持って来た。存分に愛でるが良い」
「ンーー奇遇でございますねぇ。ワタクシもぉ、陛下に捧げる歌をご用意してましてぇ」
「見てみよ、この角度。水晶から豊かさを想起するが、実に危ういバランスを醸しだしていて……」
「ルルル~~ララ。我らが猛き魔王さまぁ~~」
お披露目のバッティングというか、押し付けあいが始まった。日頃から協調性に欠ける両者であるが、今日は普段よりも輪をかけて酷いものだった。
「これはつまり、寄りかかる事の虚しさと、慢心に対するアイロニーが込められていてだな」
「アァ~~誰よりも勇ましく、そんでもって稀におっちょこちょいな~~偉大なる王~~」
「レーネよ、聞いておるか?」
エイデンの問いに、彼女もピタリと歌を止めた。
「陛下こそ、ちゃんと聴いていただけてます?」
返答は不服そうなものだった。どちらも見せびらかせるのに必死で、相手の動向にまで気持ちが向いていなかったのだ。よって、最後はお茶を濁したようになる。
「まぁあれだ。良い歌であった」
「ンーー陛下のそれも、素敵だと思いますぅ」
心にもない世辞の応酬を最後に、両者は別れた。
それからもエイデンの行脚(あんぎゃ)は続く。しかし、結果は芳しく無かった。兵士長グレイブに見せてみるも、誉められはしたのだが、特にめぼしい感想は貰えなかった。どちらかというと、エイデンに対する称賛であったと言える。確たる上下関係が無ければ、一瞥すらしなかっただろう事は明らかだ。
他にも、通りすがりの者に見せてみる。しかし、曖昧な世辞が返されるばかりで、好評には程遠い反応だった。この程度でエイデンの承認欲求を満たせる筈もなく、彼は浮かない顔でニコラの部屋へと戻る事となる。
「むぅぅ。もしかすると、何かが足りぬのやもしれん」
室内はそこそこに賑わっている。ニコラは絨毯の上でハイハイを楽しみ、延々と向かい壁の間を行き来している。その足元に気遣いつつ、シエンナがハタキを片手に掃除に勤しむ。
そんな様々な音の入り交じる中、エイデンは自作の出来映えについて省みた。当初は心をうち震わせる程であったのだが、熱意が冷めゆくとともに、どこか物足りなさを覚えた為だ。
「どうやら完成では無かったらしい。しかし、どう手を加えれば良いのだろう……」
とりあえず、キャビネットの上に置いて眺めてみる。窓から射し込む陽射しが、作品を絶妙に照らしてくれるのだが、やはり不足感は否めない。
「陛下。ちょっとどいて貰えますか」
「うむ」
シエンナの作業が、エイデンの前を割って入る。そして彼女が通りすぎた後、すぐさま元の位置に戻ろうとしたのだが、ニコラの方が速かった。愛娘はキャビネットで掴まり立ちとなり、眼前の作品に手を伸ばそうとする。
「マンマ、マンマ」
「ふふっ。ニコラよ、それは食べ物では無い……ッ!?」
娘の言葉に綻んだのも束の間、無遠慮なる幼い手が辺りを大きく払った。もちろん、件の作品も動きに巻き込まれる。それは宙を舞い、よりにもよって絨毯から外れた場所に落ちた。当然ながら、衝撃によって激しく破損した。
地面に衝突したことで延べ板の方が砕け、辺りに破片が散らばった。あくまでも水晶の両端を接着させただけで、特別な強化を怠った為である。
「アァァアアァーーッ!」
腹の底から嘆く声だ。それを聞き付けたシエンナが顔を寄せた。
「どうしたんです……あぁ、大変」
「私の最高傑作『アンニュイなる貴婦人』がぁぁ!」
「いや、タイトル変わってるじゃないですか。というか、片付けちゃいますよ。尖った破片なんか危ないじゃないですか」
「うぅ……まさか、このような結末になろうとは」
エイデンはシエンナと手分けして、破片の大小を回収した。吸引の魔法を発動させたので、取りこぼしなく全てを集め終えた。
「さて。これはどうしたものかな……」
見るも無惨となった作品に再び目をやった。割れた延べ板は桐板と、岩状のものに接合した部分のみを残し、断面は痛々しい程に尖っている。破片はひとまず桐板の上に乗せてみた。
「ムムッ。これは……!」
エイデンの瞳がギラリと輝いた。顔つきも、先程までの生気の失せた様子とは、全くの別人のようになる。
「これだ! これこそが完成品よ!」
「えっ。何がです?」
「この空虚さを見よ。怠惰の果てには身を滅ぼすというメッセージが感じられるだろう!」
「えっと、感じます? 感じちゃうんです?」
「ニコラのおかげで更なる成長にありつけた。これ即ち、初めての合作と言えよう!」
「はぁ、まぁ、そうかもですね」
「こうしてはいられん! ちんまりとした作品に留めるには惜しい、我が城を飾る大作に昇華してやらねば!」
「ちょっと陛下! どこ行くんですか!?」
エイデンは駆け出した。彼が言う娘との合作とやらを、大がかりな作品として製作するためだ。そうして業者に巨大な水晶石を発注。なるべく形状の似たものを取り寄せ、砕き、そして飾った。城の入り口たるエントランスホールに。
わざわざ除幕式までやってのけたのだが、それでも感動を覚えるのは若干名だけであった。エイデンとクロウの2人である。
「うむ。これは良い。城を訪れる者はド肝を抜かれるであろう」
「中々の出費にございましたが、それに見合うだけの仕上がりかと」
2人は口々に褒め称えるが、シエンナからすれば唯の置物である。岩の側で水晶が砕け、破片が散ったようにしか見えない。しかも作品が身の丈を超える程のサイズになった事で、美しさよりも圧迫感の方が遥かに押し出されている。少なくとも、彼女はそのように感じた。
ちなみに後日談として、エイデン城に攻め寄せた魔王討伐隊の逸話がある。彼らは、酔狂によって造られた作品の前で、ひたすらに考察を重ねてしまう。何か仕掛けや謎解きがあるものと誤認し、延々と首を捻り続けたのだ。しかし、それはまた別の話なのである。
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