第4話 歌声を聴かせて
ここ最近のエイデン城は主人の慟哭(どうこく)は聞こえず、辺りは静かなものだった。それこそ木々で羽を休める鳥たちのさえずりが、耳を楽しませる程である。ならば育児が順調なのかと言えば、そうではない。むしろ真逆という有り様だった。
生ける屍にも似た男が、行く当てもなく漂う。相当に追い詰められているだろう事は、誰の目にも明らかである。完全無欠の若き魔王は、今や見る影も無いほどに萎れきっていたのだ。
「助け、助けてくれ……」
焦点の合わぬ瞳を晒すエイデン。その胸には、火が点いたように泣き叫ぶニコラ。ここ最近は、父に代わるかのようにして喚くのも、決して珍しい事では無かった。
「うわっ。陛下、どうしたんですか?」
シエンナは名指しで呼ばれはしなかったものの、胸騒ぎからエイデンの元までやって来た。そうして目にしたのは、果てし無く疲れきった、孤独なる王だった。美しい銀髪が総白髪のように見えたのは気のせいか。或いは窓から降り注ぐ日差しにより、光の反射が上手い事どうにかなってしまい、白く見えたのだろう。
心強い味方(シエンナ)の登場である。しかしエイデン、折角の助けを前にしても、喜びあがるだけの気力が残されてはいない。枯葉の擦れるような声を絞り出すのがやっと、という有様であった。
「シエンナか……よくぞ、駆け付けてくれた」
さながら、陥落寸前の砦を守る領主のような言である。となると、シエンナは頼もしき援軍を率いる長官と言えるだろうか。
「すっごい消耗してますね」
「そう見えるか」
「まぁ、理由を聞くまでもないですけど」
「そうだろうな」
ここ最近のニコラは、とにかく泣く。原因は空腹でもオシメの汚れでもない。抱き上げてあやしてみても、全く効果は見られず、ただ延々と泣き続けるのだ。それはもう際限が無いと感じるほどに。
しかもニコラは体の成長に伴い、声も一段と大きくなっている。本来なら喜ばしいことであるが、今ばかりはエイデンを追い詰める遠因でもあった。
「どうにかして泣き止ませたい。しかし、理由が分からんのだ!」
「こればっかりはなぁ、私にもちょっと……」
「お前でさえ打つ手無しか。では、ひたむきに耐え続けよ、と申すのか」
「そうだなぁ。歌なんてどうです?」
「歌だと?」
「それで泣き止む子も、中には居ます。もしかするとニコラ様も」
「そうか。ならば、試してみる価値はあるのだろうな」
エイデンは喉を小さく鳴らすと、伸びやかに歌い始めた。
◆
行けよ行けよ 道無き道を
駆けよ駆けよ 転がる腐肉を掻き分けて
吊るして晒せ 並べて笑え
大将首で塚を築かん
◆
無駄に良い声だ。歌い終えた当人は確かな手応えを感じ、鼻で深く息を吸った。だが、彼の熱意は1割すらも伝わらないどころか、メイドの拳を頬に呼び寄せてしまった。
「こんのボケ貴人!」
「何をする!」
エイデンは流石に魔王と謳われるだけあって、ダメージは欠片もない。だが、折角の独唱を貶されたとあっては、心にささくれ程度の傷もつく。
「軍歌じゃなくて、もっとこう、子供ウケの良い歌を選ぶもんでしょうが!」
「私がそんなものを知る訳なかろう!」
するとシエンナは中庭の方を鋭く指差した。窓越しに覗いてみると、大木の枝に一人の女が腰を降ろしていた。翼人という種族で、白くて大きな羽を背中に生やしているのが特徴的だ。
「丁度レーネさんが暇をしています。習ってきてください」
有無を言わさぬ語気には逆らえなかった。エイデンは不本意ながらもニコラを預け、3階の窓から飛び降り、庭の真ん中へと降り立った。そこでレーネと眼が合うなり、透き通るような声を投げかけられた。
「ンー、ご機嫌麗しゅう陛下ぁ。何やらお疲れのご様子ですねぇー」
「レーネ。今日は頼みがあってやってきた」
「それはもしやぁ、寝不足のご相談でございますかぁ? 魔唱術を駆使すれば、永き眠りにつけますよぉー」
レーネは歌に魔力を乗せて力を振るう。過去の実績と言えば、誰かを覚めぬ眠りに突き落としたり、船団を難破させるなど、割と生々しいものばかりが並ぶ。
「いや、別に100年単位の休息を求めてはおらん。歌を習いたいのだ」
「ンー、お安い御用でございますぅ。今すぐ始めますかぁー?」
「そうだな。手短に頼む」
「承知いたしましたぁー」
彼女は枝から舞い降りると、遠慮する素振りすらみせず、エイデンの肩や顔に触れた。
「背筋伸ばしてぇ、肩の力は抜いてぇー、アゴは引いてくださぃー」
「こうだろうか?」
「よろしゅうございますぅ。では手始めにロングブレスからぁ。なるべく長ぁく息を吐いてくださいぃー」
「待て待て。本格的な指導は不要だ。私はニコラの為に……」
「ンッンー、不用意な習得は危険ですぅー。1度でも妙な癖が着くと、成長を阻害しますからぁー」
「聞け。私は童謡の類いを……」
「では参りましょう、ロングブレスぅー」
「聞けと言っているだろう!」
恐ろしいまでのマイペースである。エイデンも独立独歩というタイプだが、そんなものを遥かに上回る。こちらの事情など一切耳を貸そうとはしない。よって、細やかなる歌唱トレーニングが、依頼主の意図に反して開始されるのだった。
まずは、息を吸って吐くを繰り返して、呼吸の勘をつかむ。次はリズム感。レーネの手拍子に合わせて、正確なタイミングでの発声を強いられた。これが思うように体得できず、相当に難航してしまう。
虚しく過ぎる時間。窓越しに投げつけられるシエンナの眼光。今もニコラを預けているために、彼女の仕事を中断させているのだ。エイデンに残された時間は、もはや無いに等しかった。
「レーネ。音楽の世界が奥深い事は十分に理解した。そろそろ歌の1つも教えてくれ」
「ンッンー、まだまだその域には程遠いのですがぁー」
「頼む。私にはノンビリと芸事を学ぶ猶予は無いのだ」
「では、簡単なもので宜しければぁー」
「構わん。どんなものでも良いぞ」
こうしてようやく習得が許された。それは言葉の通りに易しいもので、覚えるのは極めて簡単であった。フレーズを2度耳にしただけで、会得するに至る。
「感謝する。経緯はさておき助かったぞ」
「陛下ぁ、トレーニングは欠かさずにぃ。1日サボると3日分は下手になりますのでぇー」
「心配は無用。嫌でも毎日歌う事になるだろう」
「ではぁ、何かありましたら、またいらして下さいぃー」
エイデンは足早に庭を後にした。そしてようやく、娘の部屋で待つシエンナの元へと戻ってきた。
「済まない、待たせたな」
その言葉に対しての返事はなかった。ただ、小さな会釈が為されるだけだ。
ニコラの様子はというと、大泣きまではしていないものの、機嫌の方はいまひとつだ。小さなグズリ泣きを繰り返している。
「では早速だが、歌ってみよう」
エイデンは姿勢を正すなり、習得したての歌を披露した。訓練の甲斐あってか、先程よりも伸びやかな声が室内に響き渡る。
◆
ンッンー、ンッンンンーンー
ンッンンンー、ンンーンンーンー
◆
「なんだその歌!?」
お披露目後にシエンナの発した第一声がそれである。まさかハミングだけで終わるとは思いもしなかったからだ。
「いや、レーネがこの様に申したのだ。まともな歌詞を乗せるのは、相応の力量が備わってからだと……」
「なに本格的な弟子入りしてんですか! いくつか歌を習ったら、それで十分でしょう!」
「まったくもって同意見だ」
習得は失敗したかに思われたが、その時、小さな笑い声があがる。そちらを見ると、ニコラが満面の笑みを浮かべていた。歌の是非はさておき、目標は達成したのである。
「おおニコラ、気に入ったか! 今のが気に入ったのか!」
エイデンの喜び様は大きく、しばらくの間繰返し繰返しに歌い続けた。その都度、機嫌の良さげな笑みが溢れるので、エイデンの心は達成感で溢れかえった。
それと時を同じくして。実は人族たちは、奪われた土地を奪還しようと、大軍を組織していた。目標はエイデン城。陸路ではなく、海側から回り込む方針であった。
水面を埋め尽くす程の大船団だ。彼らは意気揚々と海路を進み、魔族の城を一飲みにせんと目論んだ。陸から離れた沖合を行く。途中までは順調な船出であったのだが、とある船員が異変を察知した。
ーーなんだか、歌が聞こえないか?
ーー変な事言うなよ。ただでさえ海が荒れて気味が悪いってのに……。
ーーおい、誰か来てくれ! 急に舵がきかなくなった!
ーー何だって!?
原因は先程の歌だ。レーネの手解きを受けた魔王による魔唱術は、遠く離れた海にすら効果を及ぼし、船団から自由を奪った。それらは吸い寄せられるように流されて行き、遂には大時化(おおしけ)の海原へと誘われてしまう。兵員や物資を満載した船は、その悉くが難破したのである。
こうして意図せず大戦は回避された。常識外れの結果をもたらしたのも、魔王の力がそれだけ傑出していた為である。しかしエイデン城に住まう人々は、そのような事実を知る由も無く、明日も今日と大差ない日々を過ごすのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます