第3話 あなたの真意は

 メイド用控え室は静けさに包まれており、のんびりとした咀嚼音がパリポリと響く。シエンナが独り、遅すぎる昼食を摂っている為だ。


 口元へオオヤモリの串肉を機械的に運ぶと、そちらには一瞥もせずにかぶり付く。視線は天井の端に向けられたままだが、瞳が映すものなど無く、ただ虚空を見つめるばかりだ。


「クッソ疲れた……」


 心から素直な気持ちが漏れた。彼女の人間らしい動きと言えばそれくらいで、後はカラクリ人形のように、手と口だけが動く。濃い味付けの塩気や、コンガリ焼けた皮の香ばしさも、心をミリ単位ですら動かす事は叶わなかった。


 そんな疲労困憊(ひろうこんぱい)の極地に居るシエンナを呼び戻したのは、彼女の同僚だった。部屋の扉が開き、蒼髪をひとつ縛りにした女が顔を覗かせるなり、驚きに満ちた声が飛ぶ。


「あら、今ごろお昼? もうお茶の時間なのに」


 鈴の鳴るような甲高い声は、シエンナにとって聞き慣れたものだ。顔を見ずとも誰であるかは分かる。


「ユーミル。見ての通りだよ」


「ねぇねぇ、もしかして、またエイデン様に呼ばれてたとか?」


「うん、まぁね」


「やっぱりぃ! お昼の時に見かけなかったから、そうなのかなって思ったのよぉ!」


 ユーミルは無遠慮に隣の椅子に座った。瞳を爛々と輝かせ、頬を赤く染めるあたり、おとぎ話に熱中する子供の様だ。小柄な体つきであるため、幼い仕草も様になっていた。


 その一方でシエンナは、そんな同僚を余所に虚空を見据えたままでいる。眼を暗く濁らせ、感情の端すら見せようとはしなかった。


 そんな2人が並ぶと、同世代とは思えない人生の摩耗具合が浮き彫りになってしまう。


「そんでそんで、何してきたの?」


 期待の眼差しだ。しかし、それに対する返答は、色気の欠片すら無いものだ。


「今日は寝返りがどうの、夜泣きがどうのとか。そういうの」


「えっ? それ以外は?」


「他に何するってのよ」


「オレ様の槍をお前にブッ刺してやるぜー、とか」


「伽(とぎ)までやれってのか。死んじまうわ」


 シエンナは主君の信頼を勝ち取った、いや、勝ち取ってしまったと言うべきか。その信任は極めて厚く、第一声に彼女の名が叫ばれるようになって久しい。


 グズり泣きにシエンナ、度重なる夜泣きにもシエンナ。そして、何か良く分かんないけどシエンナを呼ぶ、という状態なのである。今や専任(ワンオペ)と称しても遜色無い立ち位置にあった。


(あぁ、思い出したら腹立ってきた……)


 これが彼女を襲う疲弊の正体である。飯時でも構わず呼びつけられ、夜中であっても叩き起こされる。休息を許されぬ日々が、彼女の心身を蝕んでいるのだ。


 幸いにも、通常業務はユーミルを始めとした同僚が巻き取ってくれている。そのため総作業量はトントンなのだが、辛いものは辛い。


「でもさぁ、今はそんなんでも、いつか進展があるかもしれないじゃない!」


「進展って何の?」


「決まってるでしょ! 男と女の関係よ!」


「はぁ?」


「たまらないわよね、身分違いの恋って。想いを胸に秘しつつも歩み寄る互いの心。視線は重ならないくせに、いつでも相手を探し求めてしまうの。そして迎える一夜限りの交わり。誰にも明かせぬ、眩くも蕩けるような過ちの夜。でも何て事、お腹には新たな命が! これでは秘密の情事が明るみになってしまう!」


「あのさぁ」


「こうなってしまってはお城には居られないわ。誰にも告げずに立ち去るの。もちろん愛しきあの人と顔も合わせずにね。それから貴女は、お腹に宿る小さな命だけを支えに生きていくの。生易しい人生じゃないわ。でも貧しくたって平気なの」


「ちょっと」


「だって、真実の愛を知っているからッ!」


 妄想逞しい独演は、人によっては聞き応えのあるものだった。最後の台詞など、拳を高々と突き上げ、気持ちが最高潮にまで昇った事を存分にアピールするかのようだ。もしかすると、ユーミルは役者や劇作家に向いているのかもしれない。


 しかし、唯一無二の聴衆からは満足を得ることが出来なかった。


「盛り上がってる所悪いけどさぁ、そのつもりは無いからね」


「どうしてぇ!? エイデン様、すっごい美男子じゃない!」


「まぁ、綺麗だとは思うよ。女のアタシなんかよりもずっと」


「とか言うけど、シエンナだって可愛らしい顔してるじゃん」


「生まれて20年の間、花のひとつも貰った事ないよ」


「そうなんだ。魔界の男って、従順というか大人しい娘の方が好きだもんね」


「だから諦めてんの、恋だの愛だのって話は」


「でもねでもね、もし仮にエイデン様に迫られたら……どうするの?」


 問いかけを面倒に思うが、話を合わせない事には解放してもらえないだろう。仕方なしに誘導に従い、想像してみた。渦中の人と相対した時の状況を。


 すると、ここ最近は頻繁に接しているだけあって、すんなりとイメージを浮かべる事ができた。


ーーシエンナ、ニコラの寝巻きはどっちが良いだろうか?

ーーなぁシエンナ。靴下も履かせるべきか?

ーーシエンナァァ! ニコラが寝付いてくれなぃぃ!


 やはり考えるまでもなかった。自分は家政婦の域を出ないことを、改めて確信しただけである。


「ないない。あり得ない」


「えぇ……そういうもんかなぁ」


「たまたまアタシが変なポジションに転がりこんだだけ。進展なんかしないよ」


 シエンナはそう言うと、串に残る肉を一気に口へと放り込み、ガリガリと噛みしめた。舌が痺れる程の塩気から微かな頭痛が起こり、気怠さが多少なりとも紛れる想いがした。口の渇きを覚えてコップに手を伸ばす。よく冷えた水が、体の隅々にまで染み込むようだ。もう一杯継ぎ足し、再び呷り始める。


 しかし、ひとときの心地よさを楽しめたのも、残念ながらここまでだった。


「シエンナァァ! ニコラがぁぁ!」


 むせた水が鼻腔を逆流し、鼻水にも似たものとなった。震える手で顔を拭い、手元の串をへし折ってから捨てると、控え室を後にした。背中越しに送られる『種をバッチリ仕込んでもらうのよ』という、見当違いのエールも腹立たしく思いながら。


 危険水域にまで達した怒りを隠さぬまま、呼び出しに応じた。しかし、御子の部屋にまで赴く必要は無かった。青ざめたエイデンが、ニコラを抱えたままで廊下をさ迷っていたからだ。


「良かったシエンナ、助けてくれ!」


 代わり映えの無い台詞には、お馴染みの溜め息で応じた。そして深呼吸ひとつ挟み、どうにか気持ちを切り替えて、主に問いかける。


「それで、何があったんです?」


「誤飲だ。ニコラが石を誤って飲み込んでしまったのだ!」


「石ぃ?」


 エイデンは指で差し示した。確かに言葉の通り、御子の服を飾る宝石がひとつだけ消失している。何かしら付いてたらしい小さな跡が、胸元に一点だけ見えた。


「あぁ、このサイズですか。小指の先よりも小さいヤツ」


「その通りだ。宝石など飲み込んで大丈夫なのか? これは、魔界から外科医を呼び寄せた方が……」


「要りませんよ、たぶん」


「なぜそう言い切れる?」


「ウンチと一緒に出てくるからですよ。誤飲したものが大きいと面倒らしいですけど、これくらい小さなものなら、勝手に出てきますよ」


「そういうもの、なのか……」


「一応、数日は便を気にしてみてください。出てこないようなら、その時はお医者さんを呼びましょう」


「分かった。索敵魔法(サーチ)を使ってでも見つけ出してみせる」


「まぁ、気張りすぎないよう……」


 シエンナはここで、ニコラの衣服が気になった。胸の所に大小様々な宝石が散りばめられているのだが、赤子が着るには不適だと思えた。特に、中心に飾られた赤い石は看過できなかった。


「陛下。随分と高価なもの着せてますね」


「なにせ女の子だからな。光り物が好きと言うだろう」


「それは良いんですけど、赤い石は危ないと思います」


「なぜだ。一番立派な飾りじゃないか」


「大きすぎるんです。何かの拍子で外れて、ウッカリ飲み込みでもしたら、大変ですよ。喉につまったりして」


「ま、まことか!?」


「誤飲が心配なら、どこかに片付けておくべきですね」


「わかった。全て外してしまおう!」


 青ざめたエイデンは、慌てつつも丁寧に、娘の服から飾りを取り払った。大小問わず、その全てをだ。


 すると、彼の掌は宝石だらけとなる。シエンナはそれを眺めつつ『そんだけあったら、いくらでも酒が飲めそうだな』と思った。


 その視線に気づいたエイデンは、少し考える仕草をして、手の物を差し出した。


「えっ?」


 シエンナは状況が理解できない。眼前には差し出されたように、片手一杯の宝石があるのだ。およそ、人生を賭けても得られないであろう程の物で、煌めきを溢れさせている。


「お前には世話になっている。褒美だと思って受け取ってほしい」


「ええ!? でも、こんなに……」


「労に報いると常々言いはしたが、どうにも手が回せていなかった。許せ」


「はぁ……どうも」


 思いきり意表を突かれた為に、拍子の抜けた返事をしてしまった。


 しかし特別報酬だとしても、独り占めするには多すぎる。とりあえず、世話になってるメイド達に配ろうと思い、不確かな足取りで控え室まで戻った。


「ど、どうしたのそれぇ!?」


 この頃の控え室には、ユーミル以外にも何人かが戻っていた。彼女たち下働きにとって無縁である光り物の数々に、広々とした室内は歓声に揺れる。


「陛下がくれるって、全部……」


 シエンナは半ば呆然としながらも、同僚たちに配り始めた。順々に手渡していくと、今度は一変して静かになり、皆がウットリと輝きに酔いしれた。


 そんな中で、目ざとくもユーミルは赤い宝石に目を付けた。


「わっ、わっ! それ! その大きいヤツ!」


「何よ。これがどうかした?」


「レッドダイヤじゃないの! 凄いじゃない!」


 シエンナは宝石などには疎く、反応に困らされた。


「凄いって、値段が?」


「確かにめちゃくちゃ高価だけど、ポイントはそこじゃない!」


「だったら何よ」


「レッドダイヤって、『永遠に変わらぬ愛』って意味があるの! そんなものを貰っちゃうだなんて、やっぱり普通の関係じゃないわよ!」


「えぇ……?」


 順当に考えれば、エイデンの愛とやらは実の娘に向けたものである。そもそもはニコラの衣服に着いていたのだから。


 では、それを譲り受けたシエンナはどうか。エイデンがダイヤに秘められた意味を知らない可能性はある。だが、そう思いはしても、心は激しくザワついた。


(まさか。あのエイデン様に限って……)


 生まれて初めて異性から貰ったものが、極めて高価な宝飾品。しかも、誠実さに溢れる言葉が込められたもの。


 これには流石のシエンナも、胸を熱くしてしまう。高鳴る鼓動は耳に響くほどだ。顔が耳まで赤くなっているのが、鏡を見ずとも分かる。込み上げてくる期待を重ねて否定しようとするのだが、それでも胸は静まる気配を見せない。


「ほら言ったでしょ。進展があるって……」


 得意気にユーミルが独演を繰り広げようとした、まさにその時だ。廊下越しに、例の台詞が飛び込んできた。


「シエンナァァ! ニコラがくしゃみを! 宝石取った穴から冷えてるみたいだぁぁ!」


 それからも叫びは続いた。さっきの石を返せと、赤いヤツだけでも返せと宣った。この展開には、シエンナも怒りで身体を震わせてしまう。


「別にさぁ、間に受けなかったけどさぁ……」


 配った宝石は問答無用で回収した。誰も反発しなかったのは、シエンナの形相を見てしまったが為だ。真っ向から向き合おうとする猛者は、この場には一人として居ない。


 授けられた石の全てを手にすると、固く固く拳を握りしめた。龍の末裔たる手の甲の鱗が、篝火の放つ光を紅く反射する。


「せめて、勘違い出来るだけの時間くらい寄越しやがれーーッ!」


 絶叫とともに猛然と駆け出した。主の顔を見るなり、まずは宝石の数々を投げつけ、そして熱い熱い拳を顔面へと叩きつけた。


 乙女の純情を踏みにじった罪は、決して軽くは無いのだ。

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