132.信頼と静寂
目を開いた先、一番に視界に飛び込んできたのは、群青色の髪を持ったわたしの護衛の姿だった。
黄赤の瞳が心配そうに翳っている。
「気が付いたか」
「……アルトさん。わたし、何を……」
ぼんやりとしていた意識が覚醒する。
飛び起きたわたしは、自分がベッドに寝かされていた事をようやく知ったのだった。
「リュナ様は? モーント様に説明を――」
「心配いらないから、もう少し休め。消耗がひどい」
アルトさんがわたしの肩に両手を添えて、押してくる。抗おうとしても体に力が入らなくて、わたしは簡単にベッドに押し戻されてしまった。
周囲を見回すけれど、天井も壁も見覚えがない。わたしの部屋ではないようだけれど……あのあと、いったいどうなったのか。
アルトさんに目を向ける。ベッド横の椅子に座っているようで、わたしの視線に気付いた彼はそっと手を握ってくれた。
「……リュナ様は?」
「まだ意識が戻っていない。お前の消耗が激しいのは、
「神域同士の転移はさすがに疲れましたねぇ」
「リュナ様も転移させたから、余計に魔力を失ったんじゃないかとも。無茶をしたな」
「でもあの場にリュナ様を残しておくわけにもいかなかったですし。ね?」
「それはそうだが……俺は、お前に無理をさせたくない」
触れる手に力が籠った。大丈夫だとわたしも手を握るけれど、アルトさんはその表情を曇らせたままだ。
「無理だけど無理じゃないというか……アルトさんが一緒なら、大丈夫だと思えちゃうんですよねぇ」
「俺が?」
「そう、大丈夫だって、出来るって思えちゃうんです。超人オーラにあてられてるんですかねぇ」
笑って見せるも、アルトさんは盛大な溜息をつくばかり。それでも纏う雰囲気は和らいでくれた。
「お前は結構無茶をするからな。出来れば危険から遠ざけてやりたいんだが」
「危険なことはないですよ。今回だってアルトさんが守ってくれたじゃないですか」
「守れても、危険だった事に変わりはないだろう」
この男は、わたしの事を無力な赤子と勘違いしているんじゃないだろうか。
わたしは繋いでいた手を離して体を起こすと、アルトさんに手招きをする。それに応えて顔を寄せてくれたアルトさんの額を、思いっきり指で弾いてやった。
この超人にダメージを与えられるとは思っていないけれど、わたしの苛立ちが少しでも伝わればいいと思った。
「危険だと思うなら守って下さい。わたしが無茶を出来るように、わたしを支えていて下さい」
アルトさんはうっすら赤くなった額をおさえている。
「アルトさんならわたしを守ってくれるって、信頼しているんです。だから無茶も無理もするし、危ないところにも突っ込んでいくけれど……アルトさんがいるから大丈夫って思えてるんです。そりゃわたしは攻撃魔法も剣も使えないし弱いけど」
「……お前は強いよ」
なんだそれは。超人からの嫌味か。
わたしが更に文句を口にしようとした瞬間、わたしはアルトさんに抱き締められていた。わたしの肩に顔を埋めるようにするものだから、顔に髪があたって擽ったい。
両手を背に回してわたしからも抱きつくと、彼の腕にぐっと力が籠った。
「必ず守るから、お前は好きな事をしていい。お前の行く道は俺が作ってやる」
抱き締める腕の力強さとは裏腹に、聞こえる声はひどく穏やかで。
間近で香るムスクを胸一杯に吸い込んでから、わたしはひとつ頷いた。
「クレアちゃん、目が――」
ノックと同時に部屋に入ってきたのはサンダリオさんだった。
アルトさんに抱き締められたままのわたしは扉に顔を向けていて、サンダリオさんとばっちり目が合ってしまったわけで。
「ごめん、邪魔をするつもりはなかったんだけど……」
どこか気まずそうに口ごもるサンダリオさんの顔がだんだんと赤くなっていく。そしてそれは、きっとわたしも。
平然としている超人はわたしから離れると、サンダリオさんへと振り向いた。この人には羞恥という感情が欠落しているのかもしれない。
「リュナ様の意識が戻ったのか?」
「いや、まだだけど、クレアは目を覚ましたかなって思って……」
「わたしならもう大丈夫です」
気恥ずかしさに居たたまれなくて、わたしは少し大きな声を上げる。空咳を繰り返したサンダリオさんが、ようやくわたしに目を向けてくれた。
「モーント様がお話をしたいと。いいかい?」
「もちろんです」
わたしはベッドから降りると、ワンピースの皺を手で直した。歪んでしまっていたリボンカチューシャも結び直す。
アルトさんも腰に剣を携えて支度は完璧のようだ。
ぐっと両手を天に、背筋を伸ばすとぼきぼきっと音が鳴った。
案内されたのは、以前にもお邪魔した応接室だった。
既に室内にはモーント様がソファーに座っていて、お茶を楽しんでいる。
促されるままにわたしとアルトさんは向かいのソファーに腰を下ろした。
「大丈夫かい、クレア」
「はい、もう大丈夫です。ご心配をお掛けしてしまってすみません」
「だいぶ無理をしたようだけど……姉上を助けてくれてありがとう」
モーント様は、優しい響きで言葉を紡いだ。その濃紫の瞳が少し揺れているように見えた。
「姉上は薬を盛られていたようだ。体の自由が利かなくなって、恐らく言葉を発する事も難しくなっていただろう。そこに呪術――アルフレート君に聞いたものから想像するに、自我を失い傀儡状態にする黒炎の呪い。呪術は……勇者のものだろうね」
サンダリオさんがティートレイを持って入室してくる。
わたしとアルトさんの前に紅茶を用意してくれて、湯気が立ち上る琥珀色が僅かに波打った。わたしはお砂糖を落としてから、温かな紅茶を有り難く頂くことにした。
「リュナ様のお体は……」
わたしが感じた薬物中毒のようなものは、間違いではなかったのか。でもそれだけ長い間薬を盛られていて、リュナ様のお体は元に戻るのだろうか。
わたしが思わず口にすると、心配要らないとばかりにモーント様が微笑んだ。
「もう呪いからは解放されている。薬もここに居れば次第に抜けていくから大丈夫。ここは浄化を司る
「安心しました。でも
「それも問題ないよ。余りにも長く離れていたら色々あるけれど、事情が事情だからね。それに
それを聞いて、わたしは安堵の息をついた。
いくらリュナ様を助ける為だとは言っても、この世界の理を捻じ曲げてしまう事にあるのではと恐ろしかったからだ。
「それにしても、自由を奪う薬――しかも神に対してのものだなんて、マティエルはどこでそんな薬を入手したんでしょうか」
モーント様の後ろに控えているサンダリオさんが小さく零した。
それを受けてモーント様は一度サンダリオさんに視線を向け、それからわたしに向き直った。
繊細な手付きでティーカップを持ち、それを口元に寄せる。
「マティエルは元は優秀な薬師だったんだよ。メヒティルデもそうだったね、クレア」
「はい、母は人の世で暮らしてからも薬師として、神々や魔族、精霊族などに薬を提供していました」
「
仲睦まじかったろう二人の天使を思って、わたしは小さく息をついた。
さっきの夢でマティエルの感情にあてられているのかもしれない。
「
アルトさんがティーカップを音もなくソーサーに戻す。その声は硬い。
「そうだね。手段を選ばなくなるかもしれないし、もう今にも世界を滅ぼそうとするかもしれない」
肯首するモーント様に、サンダリオさんが息を飲んだのが分かった。
静寂が室内に満ちる圧迫感。それでも誰も口を開かなかった。
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