131.救ってくれるのは、いつも

 わたしが転移したのはモーント様の玉座の前だった。

 モーント様は驚きに目を瞠っていて、それもそのはず。座り込むわたしの隣にはリュナ様が倒れ込んでいるのだから。


「クレア、無事かい? まさか姉上まで……何があった?」


 モーント様が玉座から降りて近付いてくる。その一歩後ろにはサンダリオさんの姿も見える。


「クレア、大丈夫か」


 わたしの隣に膝をついているアルトさんが、肩を支えてくれている。わたしはずきずきと痛む頭に顔をしかめ、アルトさんに凭れ掛かった。

 神域間の転移だからか、リュナ様を連れての転移だからか、魔力の消費がひどい。ただ魔力を失っただけではないようで、倦怠感で体を動かそうにも動かせない。


「ちょっと、だめみたいです。すこし、やすませて……」


 アルトさんがしっかり肩を抱いてくれた。その温もりに体を預けた瞬間、わたしの視界は暗転した。何かを話すモーント様とサンダリオさんの声が、遠くで聞こえた。

 ゆっくりと意識が遠退いていく。体が泥のように重かった。




「忌み子」

「貴様に何が出来る」

「貴様は死なねばならない」

「この世界は滅びるしかない」


 マティエルの声が聞こえる。

 その声に潜むのは、怒りと哀しみ。そして絶望。


 マティエルにとって、メヒティエルが全てだった。

 ずっと永遠に共にある筈だった未来。でもそれを想い描いていたのは、マティエルだけで。


 メヒティエルは悪魔と恋に堕ちた。

 仕える月女神はそれを咎めるでもなく、堕天させた。


 マティエルが感じた絶望。

 想いを寄せていたのは自分だけだったと、未来を望んでいたのは自分だけだったと。

それは彼を歪ませるには充分で。



 全てが憎かった。

 悪魔も、その間に生まれた子も。


 だから殺した。それが何に繋がるか分かる筈もなく。


 忌み子を殺したのに、実際に喪ったのは愛しいメヒティエル。

 

 彼は更に憎んだ。

 神々も、未来のないこの世界も。


 だから壊す。だから滅ぼす。

 そして新しい世界の中で、今度こそ二人の未来を。



 わたしは暗闇の中にいた。

 自分の姿さえ分からない程の闇の中、マティエルの感情が流れ込んでくる。


 この感情が、想いが、憎悪が、マティエルのものなのか。

 それとも本当はわたしのものなのか。


 憎まなかったといえば嘘になる。

 わたしを殺したマティエルを憎むのも、恨めしいのも当然で。


 わたしの為に命を捧げた両親も、その選択肢を与えた神様にだって――負の感情を抱かなかったわけじゃない。

 死にたくはないけれど、あのままわたしが死んでいたら。

 両親は悲しむだろうけれど、わたしが苦しむ事はなかった。



 でもその感情に蓋をして。

 両親に会いたくて、使命を果たして、命を救って。いつ終わるかも分からない贖罪の中でわたしはひとりぼっち。


 身の上を知る人も、心を許せる友人もいない。

 命を繋ぎ、願いを叶えるための日々。それがどんなに心細くて、辛い日々だったか。


 あのまま命を落とせていたら、こんな寂しさに焼かれる事もなかったのに。



 くらい感情に吐き気がする。

 どうしてわたしは生きているのか。二人の命を使ってまで生き永らえる価値なんてあるのか。


 マティエルの言う通り、わたしは忌み子だ。

 わたしのせいで両親は囚われている。


 わたしがいなければ――。



 癒えた筈の胸に痛みが走る。

 マティエルに射抜かれた、あの時の痛み。流れる血の熱さ。指先から命が失われていく感覚。


 わたしがわたしで無くなっていく。あとは闇に融けるばかり。




 ――光が見えた。


 穏やかだけれど力強い輝きに、わたしが戻ってくる。わたしを認識して、鼓動が響いて、失いかけた命さえ戻ってくるようで。

 もう痛みは感じない。



「クレア」


 わたしを呼ぶ、優しい低音。

 東雲色が穏やかな光を湛えている。


 伸ばした手に、温もりが触れた。わたしはこの温度を知っている。

 そうだ、わたしはもうひとりじゃない。


 ひとりにしないと、彼は言ってくれたじゃないか。

 一緒に居てくれると、贖罪さえ共に担ってくれると。


 ああ、もう大丈夫。なにも恨まないでいられる。笑っていられる。



「クレアさん」

「クレアちゃん」

「クレア」

「主」


 光の中に、大切な友人達の姿も見えた。

 

 わたしは何を怖れていたのか。

 こんなにも支えられていたというのに。


 

 マティエルの絶望は深い。それに飲み込まれそうだったわたしを救ってくれた、あの光。


 わたしを救ってくれるのは、いつも――。



「クレア」


 優しい響き。わたしの名前はこんなにも美しかった。

 胸に暖かな灯りが宿る。そうだ、わたしは――恋をしている。


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