130.一の月―想いに焦がれたその先は

 アルトさんがわたしの前に立つ。

 いまにも射殺いころされそうな視線から守られたわたしは、意識して深呼吸を繰り返した。

 わたしの背後にいるリュナ様は、まだ意識を取り戻す様子はない。


「二の月からの使者もお前達の為に動いたか。小賢しい真似をする」


 マティエルは構えていた弓を下ろしたかと思うと、その両手にサーベルを持った。それを受けるようにアルトさんが剣を両手に構え、わたしから離れる。


「クレア、結界を張っていろ」

「はい」


 言われるままに、リュナ様とわたしを包むような結界を張る。魔法を攻撃に転化出来ないわたしが、戦闘で出来る事はない。それならせめて、憂いではなくなるように自分で自分の身を守るだけ。


「私に敵わないのは、その身で覚えていると思ったが」

「お前こそ、あの程度では俺を殺せないと分かっているだろう」


 アルトさんもマティエルも、その殺気を隠そうとしていない。空気が張り詰めて息が出来ないほどに。


「忌み子と共に混沌へ送ってやる。蘇る事も転生する事もできぬよう、その魂までも刻んでやる」

「随分とお喋りだな。計画が乱れて苛立っているのか?」


 アルトさんがそう言った瞬間、マティエルが地を蹴った。

 両手の刃を交差させ、振り下ろすような一撃をアルトさんは難なく剣で受けている。そして金属のぶつかる高い音を響かせて、マティエルの剣を弾いた。


 剣を弾かれてもマティエルが体勢を崩す事はなく、そのまま斬りかかる。それをアルトさんは剣で受け止め、時に体術も使って攻勢に出ている。


 恐らく二人とも魔法は使わないのだろう。

 広いとはいえ室内だし、結界を張っているけれど流れ弾がこちらに来ないとも限らない。アルトさんはわたしを、マティエルはリュナ様に危害を加えないようにしているのかもしれない。


 なんて思ったのに、マティエルの剣先に炎が宿る。炎の向こうが歪んで見える程に高温のそれは、一直線にアルトさんへと突き進んだ。詠唱もなくアルトさんが結界で防ぐ。


「……人間風情が」

「生憎、ただの人間じゃないんでね」


 アルトさんが踏み込む。身体強化をしているのが、魔式を刺繍したわたしには分かる。

 先程までよりもアルトさんの剣が早くなって、マティエルが眉間に皺を寄せるのが分かった。

 剣戟が響く。薄暗い部屋の中、灯りを反射して白刃が光った。



 斬り合っても、二人の体に傷は一つもつかない。それどころか互いに息も乱れていない。

 

「お前と勇者は何をしようとしている?」

「答える義理はない」

「勇者がシャルテを復活させれば、世界が乱れるぞ」

「それに何の問題がある」

「混乱に乗じて地底にでも行くつもりか」


 剣を構えたまま、二人は距離を取る。推し測っているように、互いに剣先を向け合って。


 アルトさんの問いに、マティエルの殺気が一瞬乱れた。

 そのやり取りを耳にして、わたしは思わず口を開いていた。


「……あなたは十七年前からずっと、その為に動いていたんでしょう。リュナ様の意思を奪い、勇者や戦争までも利用して、全ては母を手にする為に」

「お前達に何が分かる。メヒティエルは私と共に生まれ、私と共に在ってきた。これからもそうでなければならない!」

「そんなのあなたの勝手な主張でしかない!」


 わたしが叫ぶと、マティエルはわたしに向かってサーベルを振り下ろす。片刃から生まれ出た真空刃は、わたしの結界にぶつかって霧散した。

 見ればわたしの結界に重なるように、アルトさんも結界を張ってくれている。


「それをお前が言うのか。メヒティエルの命を使って蘇った貴様が!」

「あなたがわたしを殺したからでしょう!」

「お前は死なねばならない。お前だけではない、あの悪魔も、メヒティエルに禁術など授けた神々も、全て! この世界にはメヒティエルだけが居ればいいのだ!」


 その言葉は氷のように冷たいのに、確かに熱を帯びていた。マティエルの瞳に揺れるのは全てを拒絶する程のくらい憎悪。あのランプに宿っていた炎の如く。


「そんなの絶対に許さない。この世界を乱す事も、誰かに死を与える事も、母さんを奪わせる事だってしない!」

「お前に何が出来る。もうこの世界は滅びるしかない。既にその道は出来ている」

「それならその道を壊すまでよ。もうあの時のわたしじゃない。恐怖に怯えてただ殺されたわたしじゃない」

「忌み子が何をほざく」


 マティエルが再度わたしに剣先を向ける。生まれた黒炎が揺らいで、まるで顔のように見えた。悪意を曝して嗤うそれは、呪炎。

 それがわたしに向かって飛びかかろうとした時に、アルトさんがマティエルの懐に一足で入り込んでいた。呪炎を帯びた剣を弾き、マティエルの首元に刃をあてる。

 弾かれた剣は床に突き刺さり、その周囲を黒い炎が舐めている。


「クレアだけじゃない。俺もお前の思う通りにさせるつもりはない」


 マティエルは首にあてられた刃に向かって、自ら頭を傾けた。薄皮が切れて傷口からは血が零れ、アルトさんの剣を濡らしている。


「……お前もそうだろう? その想いに焦がれて身を滅ぼすのなら、奪う方に回るだろう?」


 先程までの感情的な姿とは違った。

 アルトさんに語り掛けるその声は静かで、そして物悲しい。


「一緒にするな。身を滅ぼすのも御免だが、傷付けた自分を許せそうにもないんでな」

「ふん、所詮は人間風情。私を理解することなど出来ぬか」

「理解されたいとも思っていないだろう」


 アルトさんが低音で言葉を紡ぐ。それを受けたマティエルは喉奥で笑った。

 その瞳には相も変わらず、くらい炎が揺らめいていて、わたしの背筋を寒気が走った。


 マティエルが片手をわたしに向ける。

 攻撃に身構えたけれど、マティエルが見ているのはわたしではなく――リュナ様。


 糸に操られた人形のように、リュナ様の体が動く。がくりがくりと奇妙な動きで、その両手がわたしの首に掛けられる。その手を払い退け、わたしは慌てて距離を取った。

 リュナ様の瞳は変わらず閉じたまま。その意識も戻っていないのに、わたしを追い詰めようと両手を伸ばして近付いてくる。


「クレア、退くぞ」

「はい!」


 アルトさんが駆けてくる。いまだにマティエルに視線と剣を向けたまま臨戦態勢だ。

 わたしが結界を解くと同時に、マティエルから放たれた衝撃波が襲いかかってくるけれど、アルトさんがそれを剣で切り裂いた。思わずたたらを踏む程の爆風が襲いかかってきた。


 リュナ様の手がわたしの髪を掴む。意識がないとは思えないほどの力に、マティエルに髪を切られた時を思い出した。痛みに顔が歪むけれど、もうやるしかない。

 わたしはリュナ様の腕と、アルトさんの腕を掴むと痛みの中で意識を集中させた。


 目的地は二の月ツヴァイ

 モーント様はわたしが転移出来ると言っていたし、それを信じるしかない。リュナ様も一緒に転移出来るかはやってみないとわからないけれど、このままにしておくわけにもいかない。


 リュナ様が離れた一の月アインスがどうなるかは、もうわたしの範疇を越えている。わたしは今、わたしに出来ることをするだけ!

 アルトさんがわたしを抱き寄せてくれる。優しい東雲と目が合った刹那、わたしは慣れた浮遊感に身を任せていた。

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