113.フェガリの夜
「で、どうだった?」
アルトさんがそう問いかけてきたのは、夜になってからのこと。宿屋の一階にある食事処で、注文した料理が全てテーブルに並べられてからだった。
またもや今回もちょっといいお宿を取ってもらったので、他のテーブルとの間には距離がある。満席に近く、賑やかではあるけれど会話の内容までは聞こえてこない。
それでも念には念を押して薄く結界を張った。探知しようとしなければ分からないほど薄いものだけど、声を遮断するには充分。
「リュナ様の神気なんて一切しませんでしたよぅ。感じたのはマティエルの気配ばかりですね」
「そうか……神を祀り、神が降り立つ聖域で、神気を一切感じられないのはおかしいな」
わたしはミートローフを切り分けながら頷いた。半熟の茹で玉子から、とろりと黄身が零れ出す。ソースを垂らして口に運ぶと熱々の肉汁が口の中に広がった。美味しーい!
アルトさんは綺麗な所作でステーキを切り分けている。品のいい仕草やその美貌に惹かれた人の視線をちらちらと感じるけれど、アルトさんは知らん顔だ。
「大神殿なんてエールデ様の神気で満ちていますもんね。あの西方の神殿もそうでした」
「まぁエールデ様とでは元の地力が違うのもあるだろうが。それにしても気になることばかりだな」
「魔族を討てなんて、神様が随分と肩入れしすぎですよねぇ」
やっぱりマティエルが原因だろうか。
そういえばエールデ様は、リュナ様と会話も出来なくなったと言っていた。それが二年前、人魔戦争が始まった頃。
リュナ様は勇者を支持し、マティエルを遣わせている。でもそれって本当に、リュナ様のお心に添った事なのだろうか。
「リュナ月教はリュナ様のお言葉通り、勇者を支援しているんですね」
「まぁ普通は神の声を疑うことなどしないだろうからな」
アルトさんはワイングラスを口許に寄せて傾ける。薄桃の水面がキャンドルの灯りできらりと光った。
わたしも同じロゼワインを頂いている。甘い香りとフルーティーな味わいが飲みやすくてとても美味しい。
「うぅん……気になることとか、調べたいことがいっぱいですねぇ」
「しかし言葉の真偽なんてどうやって確かめる? エールデ様でさえ話が出来ないと言っていたんだぞ」
「……
「無理だ」
断られるとは思っていたけれど、まさかそんな一刀両断されるとは。へらりと笑って見せるけれど、モノクルの向こうから睨まれるとそれ以上駄々を捏ねることも出来ない。
「じゃあ出来る事からやりますか」
「たとえば?」
「シャルテの正体、シャルテの宿願、主神が眠りにつく事になった理由、マティエルの目的、リュナ様の安否……こんなところでしょうか」
指折り数えると、自分でも少しげんなりしてしまった。溜息を漏らすとテーブル向こうのアルトさんが肩を揺らす。
「そのどれもがひとつの事実から繋がっているんだろう。まずは主神が眠る理由が調べやすいかもしれない」
「でもエールデ様は教えてくれないですよぅ」
「お前には主神を信仰している友人がいるだろう」
わたしのパンを千切る手が止まった。そうだ、ヒルダに聞けば何か分かるかもしれない。
「少し仮説を纏めるか。……主神がシャルテと争って、何らかの理由で眠りについた。傷を癒すためなのか、影を封印するためなのか。一方シャルテは人の姿になって里を拓いた。そして子孫へ宿願を果たせと伝え継がせる」
「宿願とは主神を討ち、影を解放し復活すること……。そしてその先にあるのは世界の滅び」
「創造主である主神が討たれれば、この世界だって消えるだろうからな」
うぅん……この世界を滅ぼす意味があるんだろうか。
シャルテが封印されている影だとして、主神を倒して復活しても、すぐに消えてしまうのなら意味がないというか……。
「でもそれって意味があるんでしょうか」
「マティエルにしてもそうだな。この世界を滅ぼす為に勇者に与する理由がわからん」
「あの人の行動理由はほとんどが母に関する事だと思いますが、滅んでしまったら母とは一緒にいれないですしねぇ」
ああもう、わからない。
わたしは自棄になってワインを一気に呷った。アルトさんが苦笑しているが、これくらいじゃ酔わないのもわかっているだろう。
「とりあえず帰ったらヒルダに連絡します。鳥も飛ばしてみたいですし」
通信手段である、魔力を練った鳥。いままでそれを使った事がないけれど、友人に連絡するだなんて何だかわくわくするじゃないか。
「そうだな。一つずつ答えを見つけていくしかないだろう。明日はまっすぐ帰るという事でいいな?」
「はい。あ、でもお土産を買いたいので、少しお店を見ていいですか? ステンドグラスの小物も見たいですし、このワインもフェガリの名産なんでしょう? ヴェンデルさんとライナーさんにはお酒がいいかなと思って」
「そうだな、少し買い物してから帰ろうか」
同意を得られてほっとしたわたしは、気分を一新して食事を楽しむことに決めた。
胸の奥に何かが引っ掛かるような、それには気づかない振りをして。
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