112.大教会
わたしが見上げているのは、リュナ月教の大教会。
見上げたその頂点にはきらきらと輝く細い月が飾られている。水晶で出来ているのだろうか。そこにも魔力を感じて首を傾げていると、アルトさんがその水晶を指差した。
「あれは
「え、すごい。満月の時も見たかったですねぇ」
水晶を中央に。一見すると塔にも見えるほどの高さから、左右対称になだらかな曲線が広がっている。正面の扉上にはステンドグラスが陽の光を受けてきらきらと輝いている。
そのステンドグラス、色彩豊かに描かれているのは、目を閉じ祈りを捧げている月女神リュナ。
わたしがそれに見蕩れていると、わたし達を追い抜かすように旅人らしき人達が門へと向かっていった。門の前には兵士が立って、身分証を確認している。
アルトさんとわたしは顔を見合わせ、どちらともなく小さく頷くと門へと向かう列に並んだのだった。
大教会の中に旋律が踊る。
音に惹かれて天井を見上げると、
祭壇では司教服を纏った男性が感謝と祈りの文言を紡いでいた。わたし達はローブを脱いで最後尾のベンチに座った。周囲を伺うと同じ列で入った旅人達も同じようにしている。
祭壇近くのベンチには信者らしき人々が熱心に祈りを捧げていた。
さて。
わたしは祭壇の前に誂えられた大きなステンドグラスを眺めた。
白銀の髪を波打たせ、濃紫の瞳でまっすぐ前を見据えているのは月女神リュナだ。その手には大剣が握られていて、力強くも美しい。
リュナ様の両隣には白翼を広げるふたりの天使の姿がある。薄紫の髪に、濃紫の瞳。弓を
「……母さん」
思わず言葉が漏れた。
吐息に混じる小さな声だったにも関わらず、隣に座るアルトさんには聞こえていたようで、ローブの下でそっと手を握ってくれる。その温もりはいつもと変わらず、わたしよりも少し高い。姿が変わっても、色彩が違っても、その温度が変わらないことに何だか至極安堵して、わたしは肩の力を抜いた。
それにしても、まさかこんなところで母の姿を見ることになるとは。
リュナ様がこの国で蛇を討伐した時に、マティエルも母も一緒だったとは聞いていたけれど……兄妹天使も讃えられていたのか。
わたしがそんな事を思っている間に、司教様のお祈りは終わったらしい。
祭壇を降りた司教さまは、近くに座る信者の方々に近づいて声を掛けている。穏やかな笑みを浮かべた老年の男性で、きっちりと撫で付けられた髪は綺麗な白髪だった。
「綺麗な教会ですねぇ。大教会以外も、リュナ月教はステンドグラスが飾られているんですか?」
「そう聞く。このフェガリはステンドグラスでも有名な国だが、それは元々リュナ様への捧げ物として発展したらしい」
「ステンドグラスの小物とかあったら見たいですねぇ」
「店に並んでいるだろうから、後で見に行こう」
アルトさんと小声でそんな話をしているうちに、司教様は旅人達にも声を掛けている。この流れだとわたし達の側にも来るだろうから、少し探ってみたいな。……わたしにそんな技術があるかは別として。
「こんにちは、旅のお方。リュナ月教へようこそ」
「ありがとうございます、大司教様」
にこやかな司教様に、わたし達も笑みを返して頭を下げる。……大司教様? アルトさんが答えてくれたけれど、そうか、大司教様なのか。
「美しいステンドグラスですね。リュナ様とふたりの天使様が、蛇を討伐した場面でしょうか」
「ええ、そうです。リュナ様は天使の中でも特に信の篤い兄妹を連れて、討伐に赴かれたのです」
「あの天使様方は兄妹だったのですね。知らないことばかりです」
感心したようにアルトさんが頷くけれど、この人は本当に初めて聞いたような反応をするな。大司教様、この超人はその兄天使を倒そうとしている人ですよー……。
「あの……
「月神祝の夜はリュナ様のお好きな
わたしの問いにも大司教様は丁寧に答えてくれる。
そうか、やっぱり天満花を飾るのか。
「教会中に天満花を飾ると、きっと香気に包まれて素敵なんでしょうね」
「ええ、数日はその香りに全身が包まれているようです。次の月神祝の時には是非いらして下さい」
「ありがとうございます」
「リュナ様はどんなお言葉を掛けて下さるのですか?」
わたしと大司教様の話が一区切りついたタイミングで、アルトさんが問いかける。パイプオルガンから奏でられる音が、余韻を残して消えていった。
「リュナ様はいつもこの大地を見守っているとおっしゃっています。人々も神への感謝を忘れず、正しくあるべしと。それから勇者ミハイル様を讃え、そのお力になって魔族を討つべしと」
……え?
内心の動揺を顔に出さずにすんだのは、笑みを顔に貼り付けていたから。
「なるほど。リュナ様のお力添えがあれば、この戦争も大丈夫ですね」
「ええ、すぐに勝利をもたらして下さるでしょう」
「お話をありがとうございました」
「あなた方の旅路に月の加護を」
大司教様は目尻の皺を深くさせて祈ってくれる。わたし達もそれに応えてから大教会を後にした。
ずっと口角を上げていたから、正直顔の筋肉がひきつっている。それでも笑みを崩したら一気にしかめ面になってしまいそうで、わたしは必死でそれを堪えていた。それを横目で見ていたアルトさんが可笑しそうに肩を揺らすものだから、その背中にパンチをしてやった。ダメージは無かっただろうけれど。
振り返った大教会に飾られた細月がきらりと光って、とても綺麗だった。
冬独特の少し薄い青空に、ステンドグラスで笑う母の姿が思い浮かんで少し眩暈がした。
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