107.仮説

 大神殿へ戻ったわたし達は、その足で神官長執務室へ向かっていた。

 すれ違う神官方や使用人の方々が、金髪姿のアルトさんを見てはぎょっとしたように二度見する。その様子がおかしくて、わたしは肩を揺らしていた。

 パッと見だとアルトさんだってわからないもんね。




「お帰り。無事に帰って来てくれてよかったよ」


 執務室では、相変わらず乱雑に散らかった書類の中からヴェンデルさんが顔を上げた。


「ただいま帰りました。ヴェンデルさん、エールデ様から何かお聞きしていますか?」

「うん、エルステの祖となったシャーテという青年の事だけど……神だったというのは本当みたいだね」

「神話からも名前の消えた神だと聞いたが」

「シャーテなんて神様は聞いたことがないでしょ。僕さ、前にクレアちゃんが『勇者に何か混ざっている』って言ってたのを預かってて調べてたんだけど、シャーテじゃなくてシャルテという神様って事までは分かってたんだよね」


 ヴェンデルさんは手にしていた羽ペンを軽く揺らしながら、言葉を続ける。その表情はどこか険しく、いつもの穏和なものとはかけ離れていた。


「でもシャルテなんて名前の神様、聞いたことないです……」

「神話からも名前が消えた神様だからね。でも、何をして消えてしまったのか。滅びたにしても何か理由があるはずでしょ」

「エルステの民は『シャーテは虐げられてエルステの谷に来た』と言っていた。そして虐げたのは魔族であると、な」


 アルトさんはわたしの腕を引いて、ソファーに腰を下ろす。つられるようにわたしも隣に座ると、向かいのソファーにはヴェンデルさんが腰を落ち着けた。


「魔族に虐げられる神なんてありえないだろ。魔族じゃなくて人間だとしても、エルフだとしても精霊だとしても、神を虐げる事の出来るようなものがいるわけない」


 吐き捨てるようなヴェンデルさんの声に、わたしは深く頷いた。

 そうだ、そんな冒涜を誰がするというのか。となると、神と対立できる程の力を持つものとは……。


「相手は神、だろうな」


 わたしの考えを読んだようにアルトさんが低く呟く。

 そちらに顔を向けると、魔導具に流していた魔力を切ったのか、アルトさんの色彩が群青色と東雲に戻った。それでも髪型が違うし、モノクルが印象的過ぎて雰囲気が違うままなんだけれど。


「神様同士の戦いがあったって事ですか?」

「そう考えた方が妥当だろうね。虐げられたなんてエルステでは伝わっているらしいけれど、そうじゃない。神に罰せられたんだろう」

「神に罰せられて、神話からも名前が消えた神様……」


 ヴェンデルさんの声は変わらず険しい。わたしは考えを纏めるように、呟いた。

 なにかが引っ掛かっているような気がするのだ。わたしは既にその答えを知っているような……。


 考え込むわたしの背を、優しく撫でたのはアルトさんだった。

 顔を上げた先に見える東雲の瞳が優しくて、すっかりとその輝きに慣れてしまった自分がいる。そんな自分を内心で自嘲した時、ふとわたしはエールデ様のお話を思い出した。

 あれはアルトさんと一緒にこの神殿に帰った時。山から降りて、魔王城から帰って、聖堂でエールデ様と謁見した時のこと。


「……影。主神ケイオス様は、影と共に眠っているって……」


 そうだ、わたしはそのあと、ひとつの考えに至ったじゃないか。

 主神は混沌の中で影を封印しているのではないかと。


 アルトさんが隣で息を飲んだのがわかった。アルトさんも一緒にその話を聞いている。察しのいい彼ならわたしの考えている事もわかっているだろう。


「影を封印しているんだな、主神は。影に宿る神は誰だった、ヴェンデル」

「影は夜神の統括下にあるはずだけど、夜神は影の神ではないよね」

「わたし、混沌から悪魔が生まれる事も不思議に思っていたんです。でも混沌自体から生まれているんじゃなくて、主神が封印している影から生まれているんだとしたら? 人を堕落させて、神への信仰を失わせて、そうしたら……人は神を討つことも恐れないかもしれない」


 浮かぶ考えをそのままに紡ぐ。荒唐無稽だと笑ってくれたら良かったのに、アルトさんもヴェンデルさんも苦い表情だ。モノクルを外したアルトさんが、その指先で自分のこめかみあたりを揉んでいる。


「これはひとつの仮説だが。昔、主神とシャルテという神が争った。敗れたシャルテは人へと身を移して落ち延び、エルステを作った。もしそうだとしたら、エルステに伝わるシャーテの宿願とは、主神を討つことだろうな」

「僕はそれだけじゃないと思う。主神が影を封印しているのなら、恐らくシャルテの本体はその影だ。主神を討って本体である影を解放し、復活するのが目的でもあるんじゃないか」

「その先にあるのって、この世界の滅びですよね」


 わたし達は顔を見合わせて……笑いたくても笑えなかった。

 仮説であってほしかったけれど、真実からは然程離れていないんじゃないかと思う。


 重くなるばかりの空気を変えたのは、手を強く叩いたヴェンデルさんだった。また思考の渦に落ちていきそうだったわたしは、その音にびくっと肩を跳ねさせてしまい、アルトさんに笑われてしまったのだけど。


「もう少し調べないといけないな。主神が封じている影がシャルテなのかどうかも含めて。それで……クレアちゃん、前に悪魔は神の使いだって教えてくれたけど、やっぱり悪魔は人を堕落させる存在なの?」


 雰囲気を和らげたヴェンデルさんが問うてくる。そうだ、以前はわたしもそう思っていたから、そんな説明をしていたんだっけ。ヴェンデルさんは相変わらず、天使や悪魔の存在に興味があるらしい。

 わたしは夜神に聞いた悪魔の話を、ヴェンデルさんに説明する事になったのだった。正直それは気分が変わって、有り難い事だった。 

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