52.今日も今日とて人助けー雪山の狼②ー

 狼はその白い毛皮を血で濡らし、大樹の麓に伏せている。紅で縁取られた金色の瞳が鋭くこちらを睨んでいるけれど、訝しんでいるだけで敵意はないようだ。

 アルトさんもそれを分かっているのか、警戒した様子は無い。


「狼ですねぇ」

「こちらを襲う気は無いようだな。気というか、気力がないというべきか」


 そう、目前の狼の命は消えかかっている。

 『生きたい』と願ったのはこの狼だ。それならわたしは、それを叶えるだけ。


「こんにちは、わたしはクレア。彼はアルトです。わたし達は、あなたを助けに来ました。あなたの『生きたい』という願いを叶えるために」


 わたしはにこやかに笑ってみせる。害する存在ではないとアピールする為だ。

 見定めるように金の瞳が、歩み寄るわたしに向けられている。


「クレア」

「大丈夫ですよ」


 隣のアルトさんが声を掛けてくるが、問題ない。警戒と観察をされてはいるが、それだけだ。もちろん、こちらが悪意ある気配を向ければ、すぐさまその牙はわたしに立てられるだろうけれど。アルトさんもそれを分かっていて、いつでもわたしと狼の間に入り込めるよう身構えている。



 狼の脇腹には穴が開いている。銃創だ。それにしても出血が多い。

 わたしは空間を開くと、特製回復薬を取り出した。


「これは回復薬です。よく効きますので、飲んでください」


 蓋を開けた瓶を口元に寄せると、狼は確かめるように鼻を寄せて匂いを嗅いだ。回復薬とわたしに交互に視線を向けてから、意外にも素直に口を開いたので、そこに薬を注ぎ込むと躊躇う事無く嚥下してくれた。

 やっぱりこの狼、人語を理解しているなぁ。


「失礼します。ちょーっと見せて下さいね」


 雪の上に膝をついて、傷を覗き込む。銀色の弾丸がまだ見えている。太い血管を傷付けての大出血だが、弾は骨に当たって止まったのだろう。

 開いた空間から鉗子を取り出す。手術道具もばっちり完備しているのだ。

 傷口を再度確認すると、幸いにも傷を拡げなくとも弾を掴む事は出来そうだ。


「この弾丸を取り除きます。少し痛むかもしれませんが……」


 声を掛けると、構わないとばかりに頷かれる。狼にだ。……この狼はやっぱり、山の守神様だろう。


「俺がやろう」


 アルトさんも傍らに膝を付いて、傷を確認していた。あまりにもさらりと言われるものだから、目を瞬いてしまう。アルトさんはそんなわたしの様子に低く笑うと、鉗子をわたしから取り上げてしまった。


「引き抜くんだろう。任せろ」

「ではお願いします。わたしは治癒魔法を掛けていきますね」


 まぁアルトさんに出来ない事の方が少ないだろうから、きっとこれも上手くやってくれる。傷口を綺麗に縫合する事さえやってのけそうだ。


 意識を集中させて傷口に両手を翳すと、緑の光が降り注いでいく。痛みが少しでも和らぐように願いを込めて。


 アルトさんは鉗子で弾を掴むと、ゆっくりと引き抜いていく。他の箇所を損傷しないようにその手付きは慎重だ。治癒魔法を掛けても痛みが全く無くなるわけではないようで、狼が低く呻いている。

 時間を掛ければそれだけ辛い。アルトさんは半ばまで引き抜くと、一気に取り除いた。刹那、血が噴き出る。わたしが治癒魔法を強めると、飲んでいた回復薬の効果も手伝って、見る間に傷口が塞がっていった。

 うん、もう大丈夫。安静にしていれば血も戻るだろう。あの薬にはそれだけの力がある。


 気付けば、吹雪はすっかり止んでいた。



『礼を言う、人の子らよ』


 頭に声が響く。低く滑らかな声だった。狼に視線をやると、伏せていた体を起こし座っていた。両前足を揃えて胸を張るその姿は、神々しくさえある。


「あなたはこの山の守神様ですか?」

『いかにも』


 山の守神がいなくなれば、山は荒れる。穢れや澱みが溜まって魔物が溢れ、木々や草花は腐るばかりだ。恵みはなくなり、人の立ち入れない場所になるというのに。

 あの銀の弾丸は、確実にこの狼を仕留める為のものだった。


「あなたを撃ったのは、向こうで死んでいる猟師だろうか」

『あやつは死んだか』


 アルトさんの問いに、守神は低く笑う。

 わたしは空を見上げた。あれだけの猛吹雪がぴたりと治まり、厚く空を覆っていた雲さえない。夕日影が雪に伸びる程に、天気は回復していた。

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