50.今日も今日とて人助けー雪山の猟師③ー
風の音が強い。
悲鳴にも似た風の声が空間を切り裂く。雪が舞い荒れ視界を白一色に染める。
「うぅん、やむ気配が無いですねぇ」
外を伺うも、天気が良くなる様子は無い。むしろ悪化しているような……? これから夜になれば、この猟師一人で山を降りるのは無理だろう。
「猟師さんって、どこの町から来たんですか?」
「この山の麓、ポラグの村だよ。男衆は狩りで生計を立てているし、女衆は織物をしている。何も無いけどいい村だから、機会があったら寄ってくれよ」
村の様子を話す猟師の声はひどく優しい。その顔はすっかり『お父さん』だ。
さて、このお父さんを無事に送り届けてあげないとね。
「アルトさん、ちょっといいですか?」
アルトさんを洞窟の奥に呼ぶ。不思議そうにしながらも、アルトさんはそれに従ってくれたし、猟師は何も問わずに焚き火を見つめている。
「このままあの人を、ここに置いておくわけにもいかないですよね。かといって、いつもみたいに自力で山から降りてもらうのも難しそうですし……」
「背負うか?」
「いや、アルトさんが遭難しますって。転移で運ぼうと思っています。その町の場所さえ分かっていれば、あの猟師さん一人を飛ばすくらいも出来るでしょう」
「彼だけ飛ばせるのか?」
「滅多にやらないんですけどね、今日は特別です。ポラグの村って知ってます?」
「ああ、ネジュネーヴェの北だな。地図がある」
そう、今までだって、助けた人を町まで飛ばす事は出来たのだ。しかし急に町に人が現れたら、皆混乱するだろうと思ってやらなかっただけ。一緒に転移して町まで送るのはもってのほか。誰かに見られたら厄介だからだ。
でもこんな吹雪の中なら仕方がない。
アルトさんがポケットから折り畳んだ地図を取り出す。北の国との国境付近にいるようだ。
これだけ分かれば大丈夫、いけるでしょう。
わたしは大きく頷いた。
「猟師さん、あなたをポラグの村まで送ります。ですが約束して欲しい事があるんです」
「送るって、この吹雪ん中じゃ……」
「大丈夫ですから、信じて下さい。ただ、お願いなんですが……村に戻っても、わたし達の事は言わないで欲しいんです。遭難する前に山を降りることが出来た。それでいいでしょう?」
「しかし……。一緒に村に戻って、出来る限りの歓待をしようと思っていたんだが。その口ぶりじゃ、あんたらは一緒に来ないんだろう?」
「そうですねぇ。ほら、今日はたまたまこの山に居ただけで、いつも居るわけじゃないんです。わたし達の話が広がって、遭難しても大丈夫ってあてにされても困っちゃうんですよぅ」
顔の前で両手を合わせて頼み込む。猟師は気まずそうに眉を下げているけれど、納得したように渋々ではあるが頷いてくれた。
「それは、そうだな……。わかった、命の恩人方の頼みだ。あんた達の事は胸の奥に秘めておくよ」
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこっちだっての。そうだ……これ、少しだけどよ」
そう言って猟師が懐から取り出してきたのは、幾つかの鉱石だった。ほんのりと魔力を帯びているのが分かる。
「この山で採れる鉱石なんだ。この洞窟の奥で昨日掘ったんだが、少しでもお礼になれば。あとこれ、あんた達のだろ? ありがとな」
そう言って懐炉も渡してくる。そういえば放り込んどいたんだっけ。わたしは懐炉を受け取ると、差し出された鉱石から蒼石を一つ手に取った。
「それではこれを下さいな」
「いや、全部持っていってくれよ」
「これで充分ですよ。それは持っていって、奥さんとお子さんの為に使ってください」
対価はもう貰っている。
猟師は浮かぶ涙を手の甲で荒く拭うと、アルトさんに向き直り、彼の手を取ってぶんぶん振り回した。
「兄ちゃん! こんな女神は他にいねぇぞ! 絶対に手放すなよ!」
「いや、だから俺達は……」
「お嬢ちゃん! いや、女神さま! 本当にありがとうな!」
相変わらず押しの強い猟師である。
「では目を閉じていてください」
笑みを押し隠し、そう告げると猟師は躊躇わずに目を閉じる。男が視界を閉ざしたのを確認すると、わたしは彼に向かって両手を翳す。
先程見た、地図の座標に猟師の体を合わせるように集中して……魔力を込めた瞬間、その姿は洞窟の中から消えていた。
「行ったか」
「はい。ぴったり村の中に入ったかは正直分からないんですけど、村のすぐ側に飛んだのは間違いないです。荒れ模様なのはこの山だけなので、あとは自力でも大丈夫でしょう」
「そうか、お疲れ様」
そう言うとアルトさんはわたしの頭をぽんと撫でる。そういうところが、猟師に勘違いされる要因だと思うんだけどな。無意識タラシか。
「っと……え?」
不意に、頭に声が響いた。
『生きたい』と願う、声。
「……この山に、まだ助けを求める人がいるようです」
わたしの言葉に、焚き火の始末をしようとしていたアルトさんは目を瞬いた。
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