44.女性に年齢を訊ねてはいけない
神殿の自室に戻る。
指を振ってランプに明かりを灯すと、光を受けて影が伸びる。まだ勇者が干渉してくる気配はない。しかし間違いなく道は繋がっているのだ。
「この影が道になっていると思うと、腹が立ちます。アルトさん、ちょっとわたしの影を踏みつけてやってください。自分じゃ出来ないので」
「落ち着け」
苛立ちを隠せないわたしに、アルトさんの苦笑は深まるばかり。勇者と対峙している時には、アルトさんだって怒っていたくせに。
手にしたままのアルトさんのコートと、自分のコートを掛けると火魔法と風魔法を組み合わせて乾かしていった。何かに集中していたほうが落ち着けそうだから、この作業は丁度いい。
「それで、どうやって道を断つ?」
「今回はわたしにも考えがありまして。手伝ってくれますか?」
「もちろん」
前回の夢は勇者の支配下にあった。けれど今回はわたしが主導権を握れている。いくら影と道を繋いでも、干渉する術式を組んでも、この影はわたしのものだからだ。
繋いでいる道だって空間なのだから、主導権を持っているわたしが閉ざせないわけがない。
「銀のナイフを七本程欲しいんですが」
「分かった。ナイフがあればすぐに対応できるのか?」
「はい、もうすぐにやっちゃいます。庭に出ましょうか」
「では俺の部屋でナイフをすぐに作ろう。そのまま庭に出ればいい。……いつ勇者が出てくるか分からんからな、側にいた方がいい」
「お手数かけます……」
うぅん、やっぱり気遣いの鬼だよねぇ。よし、乾いた。庭に出るから持っていこう。
わたし達は揃ってアルトさんの部屋へ向かう。神殿の中では既にお勤めが始まっているから、どこか賑やかで明るい雰囲気に満ちていた。
わたしは現在アルトさんの部屋で、勧められた椅子に座って、彼がナイフを作るのを眺めているのだが。
そういえばアルトさんの部屋に入るのは初めてだ。部屋に呼びにくる事はあっても、入室した事はなかったから。……アルトさんには申し訳ないが室内をついつい見回してしまう。
客間ではなく私室だからか、わたしの部屋よりも少し大きい。全体的に濃緑のファブリックで纏められているのに暗くはない。二つ並んだ本棚には沢山の本が綺麗に並べられている。几帳面なのかな。
いまアルトさんが作業をしている机は濃茶の大きいもので、手元を照らすランプの他にも、筆記具だったり作りかけの細工や鉱石が転がっている。
仄かにコロンの香りがした。甘く深いムスクの香り。
「珍しいものでもあったか?」
部屋を見回していたのがバレている。気まずそうにアルトさんを伺うも、彼は気を悪くした様子もなく、口元に笑みを乗せていた。
「すみません、男の人の部屋って初めて入ったもので……」
「初めて?」
「ええ、ここに来ても自分の部屋以外では、レオナさんの部屋にしかお邪魔してないですし」
「友人の家など訪ねる事もあっただろう?」
「ぼっちの傷を抉らないでくださいよぉ。友人なんていないんですぅ」
アルトさんは作業の手を止めてわたしを見てくる。気遣われるのも地味にきつい。
作業に戻って欲しくてナイフを指差すと、何も言わずにまた細工作業に戻ってくれた。いち、に、さん、し……あと三本かな。
「ほら、生まれが生まれでしょう? ずっとあの山で両親と暮らしていて、山から下りるのも買い物に行く時くらいだったんで……遊びに行く友人なんて出来なかったんですよね。ご近所さんもいないし」
あの山に住んでいるのは、わたし達家族だけだった。
空に一番近い山だ、動物達でさえ暮らせない場所。
「学校には行っていないのか?」
「行ってないです。勉強は両親や遊びに来た皆さんが教えてくれていたので」
「……今からでも通うか? いまいくつだ?」
「女性に年を聞くだなんて失礼ですよ。もう学校に通うだけの年じゃないって事だけ、教えてあげます」
冗談めかしてくすくす笑うと、アルトさんの表情が和らいだ。これは自分の発言が気まずかったんだな。まぁ友人が一人もいないってのは、可哀想かもしれないよねぇ。
「そんな顔しなくても大丈夫ですよ。わたしはここに来て、レオナさんとアルトさんとは友人の間柄だと思ってますもん」
「ヴェンデルとライナーも入れてやってくれ」
「ふふ、そうですね」
レオナさん達を友人だと思っているのは本当なのだ。わたしの、はじめての友人。
「……お前達に何があったんだ? どうして両親は、地底の牢獄に?」
「うぅん……禁忌を犯したから、としか言えないですねぇ」
「存在が消えてしまう程の罪になる禁忌とは、一体何なんだ?」
「言ったでしょ? それはまだ内緒です」
まだ言えないのだ。それを口にするだけの強さがわたしにはない。
胸の奥が苦しい。目の奥が熱くなりそうで、わたしはへらりと笑って見せた。
「……両親は罪を犯したけれど、神々は罪を償う機会をわたしにくれました。それが『生命の願い』を集めること。自分の為に人助けをしているだなんて、幻滅しましたか?」
「自分の為でも何でも、お前に救われた人々は感謝しかないだろうよ。胸を張っていればいい」
「……ありがとうございます」
ずるい言い方をしたのは分かっているけれど、醜いわたしの胸の内を否定して欲しかった。わたしはこれからも、使命を果たさなければならないのだから。
「出来たぞ」
アルトさんは光を受けて煌く、七本の抜き身のナイフを持っている。柄の部分には細やかな模様が刻まれていて、相変わらず美しい細工をする人だ。
「じゃあ行きましょうか」
わたしは立ち上がって、コートを手にする。足を踏み出そうとした瞬間、側まで来ていたアルトさんに抱き締められていた。
片手はわたしの頭に、逆手は腰に回されている。ムスクが間近で香った。
「アルトさん?」
「泣きそうな顔で笑うくらいなら、泣けばいいだろうに。友人には零していいんだぞ」
「……そう、ですね……。ふふ、ありがとうございます」
触れる温もりが心地よい。伝わるのはゆったりとした鼓動。
顔を上げて笑うと、先程よりはましな顔をしていたようで、アルトさんはわたしを離してくれた。ニーナちゃんにしていたような、優しい抱擁。……こども扱いされているな。
それぞれ上着を羽織ったわたし達は、扉から廊下に出る。わたしに続いて出てくるアルトさんを振り返ると、どうかしたかと首に角度を持たせている。
「わたし、アルトさんが思っているよりも大人ですよ」
「……年齢の話か?」
「ええ、でもまだ教えてあげません」
呆れたようにアルトさんが笑うけれど、その東雲の瞳は優しい。わたしは足取りも軽く、庭へと向かった。少し、気持ちが楽になった事は内緒にして。
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