42.勇者、再び

 夜神の神殿から転移をしてきた先は、夜も明けた月の泉のほとりだった。

 空の端は未だ夜の気配を漂わせた曙色。一面の雪景色が、金色を混ぜた夜明けの色に染まっている。


「大丈夫ですか? 朝になっちゃいましたねぇ」

「俺は平気だが、お前は大丈夫か?」

「はい。久し振りに両親の顔を見られて良かったです。付き合わせちゃいましたね」

「俺は護衛だからな、お前の行くところにはついていくさ。もう用事がないなら帰るか」

「そうですね、温かいものが飲みたいですねぇ。……んん?」


 サクサクと雪を踏みしめながら、何となく泉から歩き始める。雪も楽しんだし、そろそろ転移で戻ろうか……なんて思ったんだけど。

 何か変な気配がする。それからねっとりと、まとわりつくような視線。


「何かいるな」

「はい。……でも、何でしょう。探っても、何もいないようなんですが……」

「俺から離れるなよ」

「それはもちろん」


 アルトさんが剣を抜いている。わたしは彼の背に隠れるようにして周囲を探った。遠くで鳥の声がする。穏やかで美しい朝の風景だった。

 だけれど、何か異質なものが存在しているのだ。その気配は見つからなくても、間違いなく在るのだと肌がちりついている。


 不意に眩暈がした。体の力が抜けていくような、何かを取られているような。……ああ、魔力を吸い取られている。


 わたしは立っていられずに、目の前の広い背中に縋りついた。凭れるように体を預けると、異変に気付いたアルトさんは身を反転させてわたしを受け止めてくれる。

 そして剣を向けたのは、わたしの影。


「きもち、わるい……」


 急激に力が失われていく感覚。無理矢理に魔力を吸い取られるのは、こんなにも怖気のするものなのか。嘔吐感が酷い。呼吸が乱れて、視界が暗くなっていく。

 そういえば夜神は『影に不穏な気配がある』と警告してくれていたのに。



 影はわたしが動いていないにも関わらず、ゆらりゆらりと伸びていく。

 そこから黒い靄が立ち上がり、人の形を成していった。影を依代にしているからかその色彩は全体的に黒みがかっているけれど、それは間違いなく人の形。

 そしてそれは勇者の姿をしていた。


「……夢で、既にわたしの影に干渉していたんですね……」

「正解。まぁこれは保険だったからさ、具現化させるまでにこれだけの時間を掛けちゃったけどね。さて、僕と行こうか」

「行きません。わたしは……あなたとはどこにも行かない」

「相変わらずつれないね。僕と君の仲なのに」

「……そう言われるだけの関係なんてないっての」


 吐き捨ててしまったけれど、本当に吐きそうなんだからそれも致し方ないと思う。気持ち悪くてもうどうしようもないのに、勇者クズの顔を見て吐き気が増すばかりだ。


「触れ合った仲だろう」

「……あなたが勝手に触ってたんでしょ。痴漢。変態」


 余りにも吐き気がして、頭まで痛くなってくる。アルトさんのコートの布地を握り締めると、応えるように私を支える腕に力を込める。


「そんな事を言って、僕に惹かれているのを誤魔化してる? ……おい、彼女を離せよ」


 人好きのするだろう笑顔も束の間、今までに聞いたこともない低音で、勇者はアルトさんに向けて言葉を投げる。わたしを抱き留めている事が気に食わないようだけど、この勇者クズがわたしの魔力を奪わなければ、一人でちゃんと立てていたんですが。原因が怒ってるって理不尽すぎないか。


「断る」

「じゃあ死ねよ」


 断っちゃったよ、なんてつっこむ暇もなく、殺気に塗れた勇者の声が響く。遠くで鳥達が飛び去っていった。

 いつの間にか抜刀していた勇者は、地を蹴ると一気に距離を詰めてくる。上段から下ろされる剣を、アルトさんは片手に持った剣で軽々受け止めると勇者の腹を蹴り飛ばした。

 後ろに飛んだ勇者は攻撃を読んでいたようで、大したダメージはないようだ。どう見てもわたしが足手まといです。



 アルトさんは勇者から目を離さないまま、少し離れた位置までわたしを誘導する。着ていたコートを片手で脱ぐと、それを雪の上に落としてしまう。そしてわたしをそこに座らせる……いやいやいや。抵抗したいけれど、まだ体に力が入らない。少し休めば魔力も戻るだろうか。


「結界は張れるか」

「それくらいなら。……ていうかコート!」

「そのまま座ると寒いだろう。気にするな」

「気にしますって!」

「いい子にしてろ」


 アルトさんは甘さを帯びた優しい声で囁くと、身を屈めてわたしの髪に口付ける。

 刹那、風を切る音がして、勇者が切りかかってきていた。アルトさんは難なくそれを剣で受けると、そのまま勇者を押し返す。そして剣を振りかぶった。



 二人がわたしから離れて切り結ぶと、言われた通りに結界を張る。

 アルトさんのアレは間違いなくわざとだ。甘い声もあの唇も、急にあんな雰囲気を作るものだからびっくりする。先に言っといてくれたらいいのに、ってそんな時間もなかっただろうけど。

 勇者を激昂させて隙を作らせるつもりだろう。意外とあくどいな、あの人。

 アルトさんには自動結界の魔導具を渡しているし、なんだか本人も余裕そうだし大丈夫でしょう。


 わたしは大人しく二人の戦いを見守ることにしたのだった。じっとしていれば、魔力も少しずつ戻ってくるしね。

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