2.今日も今日とて人助けーある山の冒険者②ー

「ふぅ……生き返った……」

「それはようございました」


 たっぷり作った食事は、あっという間に男の胃袋に消えていった。クロケットもグラタンも、チキンソテーもポタージュスープも、デザートのスフレパンケーキなんて三皿だ。それでも綺麗に食べて貰えるのは気持ちがいい。


「怪我を治してくれたのも君だろう。一体どうして……」

「今日はこの辺でお店を開こうかなって、ただの勘ですよ。きっとわたしを必要とするお客様がいらっしゃるって、ねぇ」

「勘にしてはピンポイント過ぎないか」

「勘が鋭いんですよねぇ、わたし」


 食後の紅茶を楽しんだ男は、腰のポーチから素材を取り出した。虹色に輝く蛇の鱗が数枚。蛇の鱗といっても、わたしの掌ほどもある大きいものだ。それと大きな牙が二本。


「俺に支払えるものといったら、これくらいしかないのだが……これで足りるだろうか。それと有り金全部で三万ルーセントくらいか……町に戻ればもう少しあるが」

「これは虹食蛇の鱗と牙ですねぇ。あなたはこれを討伐していたんですか?」

「そうだ、ギルドで聞いた情報よりもデカくてな……討伐に手間取ってこのザマだ」

「命があって良かったですねぇ。わたしが勝手にやったことなんで、代金なんていらないんですが」

「それでは俺の気がすまない。どうか貰ってくれないだろうか。君は命の恩人なんだから」

「可愛い悪魔の気まぐれなんですけどねぇ」

「妖精なのか天使なのか悪魔なのか、統一してくれないか」

「女には幾つも顔があるものですよ。では、この鱗を一枚頂けますか? とっても綺麗なので」


 わたしは虹色の鱗を一枚手にして、陽に透かした。うん、綺麗。


「一枚でいいのか? 全て渡すぞ」

「それだと討伐報告が出来ないでしょうに。これ一枚で充分ですよ。ありがとうございます」

「礼を言うのは俺の方だ。自分でも、死んでもおかしくないほどの傷だと思うしな」

「骨は見えてるし、脇腹は抉られてるし、右腕は取れかけてましたからねぇ」

「……思っていたより酷かったようだな」


 男の顔色がまた悪くなる。それを見て思わず笑ってしまうが、まあわたしに会わなければこの男は死んでいたのだ。笑うくらい構わないだろう。



 すっかり太陽も角度を変えて、もう山を降りなければ陽が暮れてしまう。

 わたしは屋台の中から出ると、エプロンのポケットから一つの石を取り出した。


「これは魔石です。光が出ているでしょう?」


 魔石からは導くように細い光が出ていて、それが足元を照らしている。それは何かを示すよう、細い道となって大地に伸びていた。


「ああ、これは……」

「この光が導く通りに進めば、町に降りられますよ」

「そんな道具、聞いた事がない」

「ふふん、不思議なことばかりですねぇ。町についたらこの石は崩れますので」

「そう、か……」


 男は身支度を整えるとわたしに右手を出してきた。握手だろうと、わたしも右手を差し出すと男に固く手を握られる。


「君のお陰で助かった、ありがとう。また会えるだろうか。……この恩を返したい」

「もう対価は貰っていますので充分ですよ」

「しかし……せめて名前を」

「内緒です。でもそうですね、この山でわたしに会った事はどうぞ内密に。まぁ言ったからって信じて貰えるとは思いませんがねぇ。この山を拠点にしているわけではなく、今日はたまたまだったのです。この山で遭難しても、わたしが助けてくれるなんて話が回ったらちょーっと困ってしまうもので」

「分かった、誰にも言わないよ」

「助かります」


 男はゆっくり手を離すと、何度か振り返りながら、石の導きのままに山を降りていった。にっこり笑って手を振って、その背を見送る。



「……対価は本当に貰ってるんですよ」


 ワンピースの襟元を引っ張って中を覗きこむ。胸元に埋め込まれた水晶。

 それは淡い虹色の光を帯びていた。


 この光は『生命の願い』。生きたいと強く思った彼の願いが叶えられ、それがこの水晶に宿っている。

 わたしが彼を助けたのはこの光を集めるため。この光を集めるために、わたしは人助けをしているのだ。


「さてさて、もっと集めないと。明日はどこに行こうか」



 一人ごちると両手を天に、大きく伸びをする。腰を捻るように体を解すと、ばきばきっと音が鳴った。

 屋台に入って中を片付ける。水魔法と風魔法で片付けだって楽チンだ。エプロンも外してスツールをしまい、幌も下ろす。


 来た時と同じように、何もない空間に両手を翳す。大きく口を開いた空間に屋台を軽く押すと簡単に吸い込まれていった。後に残るのはわたしだけ。ここで屋台を開いていた形跡なんて何処にもない。



 満足そうに頷くと、わたしは目を閉じてこの場所から転移で消えた。



 誰も近付けない、空に一番近い山。その山にわたしの家はある。

 丸太を組んだ素朴な家は父のお手製。またお手入れをしないといけない。屋根のペンキが色褪せてきている。


 ただいま、と口にするけれど出迎えてくれる人はいない。

 指先を回して炎を灯すと、静寂に満ちた室内が浮かび上がる。誰もいない。


 リビングのソファーに寝転び、母が作ったちょっと歪なクッションを抱き締める。自分の息遣いしか聞こえない。にじり寄る寂しさから逃れるようにわたしは目を閉じた。


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