第2話 蝉丸之章②
気が付けば僕は丸井の脇を抜け井の頭通りに出ていた。恐る恐る後ろを振り返る。アレが追いかけてくる様子はない。よかった、どうやら助かった。
一先ず落ち着きを取り戻した僕は辺りを見回す。濃霧のせいか大通りに車は走っていない。もしかしたら交通規制がかけられているのかもしれない。そんな事を考えながら裂かれたシャツを引き千切って傷口に巻く。何もしないよりはましだろう。
「とんだ災難だ。殺人事件というのもアレのせいか? 警察どうなってんだよ、まったく。裏通りで訳の分からん怪物に襲われるな……ん……あ!」
待て待て! これは……朝の夢、井の頭公園、殺人事件、女子学生、そして怪物……繋がった、思い出した、引っ掛かっていたのはこれだ、僕が子供の頃に大好きだったあのRPGゲームの内容にそっくりじゃないか!
「思い出せ!……霧? いや霧は出てこない。確か街に悪魔が溢れてそれで、あ、そうだ、召喚システム! 今朝のメールか!」
幸い街に悪魔が溢れている様子は今のところない。ここまでの出来事はただの偶然? 僕の思い過ごしか?アレも只の酔っ払いとか?
「とにかくあのメール!」
僕はスマートフォンに送られてきたメールを急いで確認する。
差出人:テイカー
題名:ヨミビト召喚システム
現在我々人間に深刻な危機が迫っている。千年の時を越えて深い眠りから覚めたヨミビトどもが直ぐにでも我々を襲ってくるだろう。私が開発したこのシステムを使い、人類を未曾有の危機から救って欲しい。幸運を祈る。
……ヨミビト。黄泉人? ゾンビみたいなものだろうか。先ほど僕を襲ったアレがヨミビトなのだろうか。
怪しいメール、只の悪戯という線も拭えない。しかしこのタイミングでこのメール、偶然にしては出来すぎている。
「まあアプリをインストールするのは止めておこう。ウィルスの可能性も十分ある。いざとなったら、だ。それよりも、あのゲーム、今後の展開はどうだったかな?」
確か……あ! 家に戻ったら母親が……って、僕は一人暮らしだった。マンション暮らしで生憎犬も飼ってはいない。そうだな、これ以上は考えても仕方ないか。問題はどうやって会社に行くか。
吉祥寺駅の前には長い列が出来ている。どうやら電車もこの濃霧のせいか動いていないらしい。困ったな、会社に連絡しても繋がらないし。仕方ない、今日の出社は諦めるか。
幸い腕の怪我も思ったより酷くはなく血は既に止まっている。病院に行く程でもないようだ。ここは一旦マンションの部屋に戻るか、いやその前にまたアレに襲われないとも限らない。何か武器になる物を調達したい。
直ぐそこのドンキホーテか、目ぼしい物がなければミリタリーショップでも探すか。
そう思って立ち上がろうとした瞬間だった。
「ガグッ……ガぎガガ……ロス!」
背筋に冷たいものが走る。よく見ると先程のアレではない。今度のはどう見ても女だ。いや、女だったと言うべきか。
「待って! マテ! ドントムーブ!」
当然言葉は通じない。しかし冷静に対処すれば何とかなるということもわかった。あの化物、特に身体能力が高いというわけでもないようなのだ。
「追ってはくるものの足は遅いか。それにしても黄泉人? いったいどうなってるんだ、あ!」
女ヨミビトを振り切って裏路地に入ったはいいものの、そこに待っていたのはこれまたたむろする三人のヨミビトだった。
「これは本格的にまずい」
既にこれだけ大勢の怪物が街に溢れているとなると部屋に戻るのは疎か、武器を調達するための店に入れるかどうかも怪しい。
こなったら仕方ない、最後の手段だ。ウィルスの心配をしている場合じゃない。もうここが既にいざという場面なのだ。
僕はスマホのメールを開き送られてきたヨミビト召喚システムをインストールする。5%……10%……完了が待ち遠しい。その間にも路地の怪物達がこちらに気付き襲ってくるかもしれない。
「よし完了、アプリ起動」
『ツー、ツー、ツー、詠人召喚システム作動しました。誰を召喚しますか?』
電子音声と共に画面にメッセージが表示される。ああ、黄泉人じゃなくて詠人だったようだ。でも詠人って何?
いや、そんな余計な事を考えてる場合じゃない! とにかく今は召喚だ。ええと、あれ? 誰をっていっても選択肢が一つしかないけど。
見るとそこに表示されていたのはたった一人の名前だった。
……蝉丸。
「蝉丸って、確か百人一首の? ああそれで詠人か、なるほど」
っと、またまた妙なところに感心している場合じゃなかった。僕は直ぐ様召喚ボタンを押す。
『詠人召喚開始……サモン、
アナウンスと共にスマホから溢れる光が人の姿を形作る。やがて淡い光が溶け、目の前に現れたのは赤いちゃんちゃんこを羽織ったような老人であった。
「ほぅ、
良かった、無事召喚でき、しかも言葉もちゃんと通じる。
「あ……はい。お爺ちゃんは、その、蝉丸さんで間違いないですか?」
「いかにも。儂が蝉丸じゃ」
なんか召喚の際に『じゃぐら?』とか何とか聞こえたので一応の確認だ。ジャグラーというと道化師、或いはペテン師といった意味合いだが、蝉丸さんは歌人だよね。
それにしてもやっとの思いで召喚したのがこんなお爺ちゃんで大丈夫かしら。蝉丸といえば正月に親戚が集まった席でやる坊主めくりで、引いたら直ちに負けというロイヤルカードだけど、実物は思いの外頼り無げだ。そんな僕の思案を知ってか知らずか、蝉丸さんが口を開く。
「ほれ、何をぼうっとしておる。主も名を名乗らんか」
「これは失礼。僕は
珍しい苗字だが夢島と書いてユメノシマと読む。間違っても僕の家にゴミは捨てないでもらいたい。
「で、貫之よ。主は儂に何をして欲しいんじゃ?」
ふぅむ、一応召喚主である僕の言う事を聞いてくれるらしい。でもこれじゃ僕が戦った方がましなような。
「早く言わんか、
あんたに言われたかない。それよりも何? ポエトマスター? さっきからいちいちイラっとくるなぁ、もう。
「わかりましたよ、言いますよ。実はあそこにたむろってる三人組を追い払って欲しいんですけど、出来ますか? あ、無理ならいいんですよ、無理はしないで下さいね」
「なんじゃ、ありゃヨミビトか。ふむ、容易い」
そう言うと蝉丸さんはツカツカと三人組の方へ向かった。
「おお、そこの。悪いがの、我がマスターの望みじゃ、消えてくれ」
「がガガ、こ……の……グぅ」
蝉丸さんに気付いた怪物どもが一斉に襲い掛かる。
「危ない!」
そう思った瞬間だった。蝉丸さんの前に巨大な鉄の門が現れたのだ。
「歌術、『
蝉丸さんの声と共に派手に装飾された重々しい扉が開く。すると開いた門に吸い込まれるように、怪物たちはその中へと消えていった。重厚なその扉が嫌な軋みをたてながら再び閉まる。
「マスター、これでよかろう。さあて、次はどうするのかのぅ?」
……色々と聞きたいことはある。しかしこの老人がとんでもなく強力な力を持っているということは解った。さっきの門、歌術とか言っていたか、魔法のようなものなのだろうか。いや、魔法がどんなものかは実際知らないけどさ。
それに逢坂の関といえば百人一首での蝉丸の歌、『これやこの行くも帰るも別れては、知るも知らぬも逢坂の関』の中にある一文だ。
うん、なんとなく見えてきたぞ、詠人は自分の歌で戦うんだな。さっきの門に吸い込まれるやつが蝉丸さん特有の術だとするとこれはとても強力な詠人なのではなかろうか。さすがは坊主めくりの主役、ロイヤルカード、もしかしたら超レアだったりして。
「ああ蝉丸さん、さっきの凄かったですね。あんな狂暴な怪物達を一瞬で」
「これこれ、年寄りを煽てるでない。あんなものはお茶の子さいさいじゃて」
「あれ蝉丸さんの有名な歌ですよね、でもなんかナニワって聞こえましたけど、逢坂って大阪と関係ないですよね」
なんかそういうちょっとしたネーミングセンスがさっきから無性にイラっとくるのだ。ここは質しておかねばなるまい。
「そんな細かいことは気にするでない。それより次、どうするのじゃ」
しかして僕の問いはあっさりとスルーされた。
「これから一度僕の部屋に戻ろうと思うんですが、一緒についてきてもらえますか? またさっきみたいな連中がいたら追い払って欲しいんです。お願いできますか?」
「うむ、まあ頼まれんでもついていくがの」
よかった。召喚して一回こっきりということでもなさそうだ。
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