8話 滝野内琴音のド正論

 戀と紺を部屋に残し、玄関まで降りてきたところで、とあることに気がついた。

「さすがにこのまま出て行くわけにはいかないよな」

 そう。おそらくこの耳と尻尾をどうにかければ警察に職質されるか、道行く人に指を指されることになってしまう。ネットに写真が拡散されたり、最悪どこかに監禁され、研究材料にされてしまうだろう。

 だがこのまま部屋に戻るわけにもいかない。

 どんな顔をして戻ればいいんだ。

 丈の長いコートを羽織る。

 フードを深く被ってから、尻尾を服の中に隠して家を出た。



 彼女たちと話しているうちに時間が進み、太陽が既に傾き始めていた。

 刺さるような寒さが身体の芯まで凍えさせようと襲いかってくる。

 日中でもさすがに真冬だと冷え込んでいる。


 俺は特に行くあてもなく家の前の道を歩きだした。



 戀と紺に言われたことが脳裏を過ぎる。

 世界が滅ぶ厄災?

 唐突で壮大なそれは、俺にとってあまりにも現実味がなく受け止めることができなかった。

 いっそこのままどこかに逃げてしまいたい。

 いや、現に俺は逃げて、ここにいる。二人に向けられる眼差しに耐えられず逃げてきたんだ。

 何も決断することのできない自分が情けなくて、虚しかった。


 どうしてこんなことになってしまったのか。


 あの時、二人を助けず一目散に逃げ出していればこんなことにはならなかったのではないだろうか。

 それに俺が二人を助けたのは完全に成り行きだ。

 どちらかと言えば助けられたと言っても過言じゃない。

 俺は俯きながら、深い溜息を吐く。


「あれ?また会ったね」

 突然、道路脇の小さな公園から聞いたことのある声がした。

「浮かない顔をしているけど、どうしたの?」

 顔を向けると昨日、学校の前で出会った松葉杖の少女──滝野内琴音が滑り台の頂上──その柵に腰掛けながら、こちらを見下ろしていた。

「ちょっと色々あって……って、滝野内はそんなところで何してるんだ?」

「私は考え事。何かに悩んだ時って高いところにいたくならない?高いところから見たら、私たちの悩みなんて案外ちっぽけなものに感じるよ」

 そう言って彼女は冬の澄んだ青空を見つめる。

「そうか。ならそこに行けば俺の悩みも晴れるかな」

 彼女は「かもね」と笑って答えた。

 何を考えているのか全く読めない。

 まるで、自分はなんでも知っていると言わんばかりの彼女に対して密かに希望を見出していた。

 彼女なら俺の悩みなんて、大したことのないような顔をして答えを見つけ出せるのではないか。


 そして進むべき道を示してくれるのではないかと。


 考えるよりも先に言葉が出ていた。

「なぁ、滝野内。もし突然自分ではどうにもできそうにない問題……敵が現れたとしたらどうする?」

「ん?……私ならまずは手を尽くしてみるかな。自分に何ができるのか。だって何もしないでその問題から目を逸らすってことは、ただ逃げ出しているのと同じことだから」

 滝野内の言う通りだ。

 俺は怖いから、自分にできるわけないからと決めつけて都合のいいように現実から目を逸らし、逃げているだけ。

「自分にどうにかできるかできないか、重要なのはそこじゃない。何かをするか、何もしないのかだよ。ありきたりな例えだと……宝くじは買わないと当たらない……だっけ」

 そして彼女は微笑みながら続ける。

「まずはちゃんと向き合ってごらん?逃げてばかりだと何も変わらないし、何も起きないよ。一人で、できないことなら誰かに手伝ってもらえばいい。世の中そうやって回っているんだから。私も相談くらいなら乗るよ」

 どこか確信を突いてくる彼女の言葉が、俺の心に刺さる。


 何やら楽しそうな様子で、滑り台の頂上から見下ろしたまま続けた。

「さてと、君の前に勝手にレールができる訳じゃない。いつまでも突っ立ってるだけじゃ進むわけがないんだよ。自信なんてなくていい。けど、逃げてるだけなのは良くないかな。まぁ、誰から、とは言わないでおいてあげる」

 お見通しだとでも言わんばかりの笑みで見つめられ、俺は僅かにゾッとした。

「一体……何を知っているんだ?」

「さぁね」

 あからさまにとぼけ、滑り台からゆっくり降りる。

「それじゃ、そろそろ行くね。ちなみにさっきのは、私の考え方だから」

 そう言って彼女は公園の出口へと向かう。

 歩道に差し掛かったところで振り返り、

「あ、そうそう。それ、今度詳しく聞かせてね」

 彼女は俺の頭を指差しながら微笑んだ。

 俺はフードを握りしめ、さらに深く被り直す。

 そのまま彼女は何も言わず、公園を後にした。


「やっぱり変なやつ」

 耳が見られないようにフードは深く被っていた。

 なら、何故……。

 おそらく滝野内は何かに気付いている。

 後を追おうかと思ったが、やめた。

「あいつの言う通りだ。帰ろう」

 彼女の言う通り、逃げていては何も始まらない。

 ようやく気が付いた。気付かされた。


 ──やってやろう。

 滝野内琴音は──良い奴なのかもしれない。


「よし、世界を救おうか。…………三人で」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る