第43話 俺の見据える未来
いつもと変わらない朝。昨日は寝坊したものの今日はばっちり目が覚めた。
身支度を整えつつ、ここまでやってきた事を思い出す。
結果として、俺は透華の為の教室を仕立て上げる事に成功した。だがそれは透華にとって必ずしも良い事とは限らず、俺は昨日それに気づかされた。
現状、透華に友達、あるいはそれ以上の存在は俺以外にいない。そんな相手が離れれば寂しさを感じるのは当然だ。それに気づけなかった事は、俺がこれまでやってきたことの最大の間違いと言えるだろう。
だから俺はその間違いを正すことにした。朝は透華と共に登校し、昼は弁当を共にし、夕方は透華と時間通りに下校する。そうなれば必然的に宮内グループとの連中とのつながりは薄くなるだろうが、そもそも俺は人付き合いが嫌いだ。むしろそうなる事を望んでいた。
透華についてもしばらくは大丈夫だろう。一度創り上げた流れはすぐに変わりはしない。
後はせいぜい隠居生活を謳歌しますかねぇ、と行きたいところだが、そう易々とはいかない。
一通り用意を終え、俺は再度自分の顔を鏡に映す。相変わらずネクラ野郎の顔が映っていて辟易しつつも、入念に髪を整える。
忘れ物の最終確認を終え、玄関の扉を開ければ透華がすぐそこにいた。
「なんというかあれね、あまり心地の良い匂いとは言えないわね」
開口一番ディスられた。
「いやうちちゃんとファブリーズしてるんだけど? そんなに臭う?」
「それはあなたの髪の毛にもしたのかしら?」
「あー」
言われて気付く。まぁ確かにワックスは独特な匂いを発するよな……。言葉は柔らかいが実質臭いと言われているようなものなので割と傷ついた。
「えっと、そんな臭いますかね? あれなら落としてくるが……」
言うと、透華は呆れたようにため息をつく。
「別にそこまでする必要はないわ。ただその代わり……」
そう言ってすっと差し出されるのは白い手袋の取られた清廉な指先。
幾らか恥ずかしがってくれれば可愛げもあったが、別段そんな感じも無く、ただ当然の如くしれっとそこには手があった。まぁ、今更拒む理由はないわな。
「これでいいか」
透華の手を取ると、軟らかな感触が伝わりじんわりと暖くなっていく。
透華はそのつなぎ目を見ながら嬉しそうにほほ笑んだ。
「フフ、今この瞬間私と永人の間には無数の常在菌が交錯しているのね」
「もう言わなくていいよそれ……」
別にいいんだけどさ、他人が聞いたら絶対引くからねこれ。
特に返答を要求した言葉では無かったが、ふと透華がもう片方の手を線の細い顎のあたりにやる。
「確かに、それは一理あるわね」
どういう所に一理を感じたのか分からないが、悪い意味ではなさそうなので気にしないでおく。
「それじゃ行くか」
「ええ」
歩き始めると、ふと思い到った事がある。結局俺達の関係って今まで通り幼馴染の親友なのだろうか。
あるいはと横顔を見てみると、透華は表情柔らかく口を開く。
「こうして歩いていると、昔の事を思い出すわ」
「昔かー」
確かに昔はこうして手を繋いで帰った事もあったか。言っても小学校低学年とかそれくらいの時だったと思うが、あの時はそれが普通だったんだよな。
「でもいつの間にかそういう事も無くなってしまって、正直少し寂しかったの」
「まぁ色々あったしな」
特に意味なく吐いた言葉だったが、透華には意味のある言葉に聞こえたらしい。視線を落とすと、静かに答える。
「……そう、色々ね」
その横顔は少し悲しそうに笑みを浮かべている。いくら透華相手で気を抜く事が出来るとは言え、ちょっと今の返しは考え無しすぎたか。
「悪い、嫌な事思い出させちまったな。忘れてくれ」
「それは無理ね」
「透華……」
ああ本当に。どうしてこうなったんだろうな。透華は何も悪くないのにどうしてこんな思いをし続けないといけない? 透華が何か悪い事を一つでもしたのだろうか。もし仮にそうだったとして、そのせいであんな事が起きたなら今頃全人類が同じ目に遭っているはずだ。
俺が失意に苛まれそうになっていると、ふと透華が口を開く。
「勘違いしないでもらいたいのだけれど、別に私は辛かったから忘れられないわけじゃないのよ? むしろ少しだけ嬉しい事があったから忘れる事ができないの」
「そりゃどういう事だ?」
辛いからじゃない、だけなら気を遣ってくれているのだと考えられるが、嬉しいは気を遣うにしても言い過ぎだ。
「勿論、辛くなかったなんて言えば嘘になるわ。でも結局あの遊びは収束したでしょう?」
「ああそうだな」
あの時はやってる事が担任に露見して放課後に学級会議が執り行われ、関わった全員が透華に謝るという形で幕を閉じた。生徒もこっぴどく叱られた手前か、以後多少忌々し気にされる事はあっても同じような遊びは起きなかった。
まさかそれだけで嬉しいと感じたのだろうか。確かに地獄のような日々を抜け出す事ができれば多少嬉しくはあるかもしれないが……。
「その時、私が認識していた人よりも多くの人たちが謝りにきたのよ。しかもどの言葉も上っ面で中身なんて無かった。本当、その時は怒りを覚えたと言うよりも呆れ返ったわね」
今でも心底呆れているのか、透華はため息を一つ吐く。だがすぐにその口元は引き結ばれる。
「そして同時に誰も信用できなくなった。謝ってきた人の中には比較的優しく接してくれていた人もいたわ。でも結局その人も他の人と同じだった。皆心もにもない謝罪をして自己完結して、こんなので他人を信用しろと言う方が無理な話よ。でもね」
透華は言葉を区切ると、前を見据える。
「一番信用していた人だけは謝りに来なかったわ。そしてその後何事も無かったかのように他の人たちが帰っていく中、昔みたいに一緒に帰ってくれた。今みたいに手を繋いでね。私がそれだけでどれほど救われたか、永人は自覚しているのかしら?」
「っ……」
透華の顔がこちらに向く。その表情はどこかからかうようで、それでいてとても柔らかく、頬は嬉しそうに染まっていた。
そうか……あの時はただどうすればいいか分からなくてそうしただけだった。特別な恣意は無い。謝りに行かなかったのも俺は一切あんなお遊戯に加担しなかったから当然だ。
それでも、透華がそのように感じてくれていたのなら、あの時の俺は少なくとも間違ってはいなかったのだろう。
透華は救われたと言ってくれたが、正直今救われているのは俺の方だ。ここまで間違いばかりおかしてきたからな。成功体験一つで人間はいくらでも前を向くことができる。
だから、俺がこれからやろうとしている事もきっと間違いではないはずだ。
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