第29話 その笑みは優し気に映る
翌日。
俺が今日やるべき事の算段を髪と共に入念に整える。明日に目崎と会う約束は取り付けたが、目崎とだけでは不十分だ。もう一人、相川も呼びたい。
理由は単純で目崎と仲良くなる人間がもう一人欲しいというだけ。
相川を選んだのは、用事でもない限り必ず誘いに乗って来ると判断したのが一点。もう一つは、目崎と俺がいる場に呼ぶのに、丁度いい理由付けの出来る人材であったからというのが一点だ。
何せ相川は文実に立候補していた。それはつまり文化祭の運営に関わりたいという意志表示をしたことになる。それは勿論目崎だって承知のはずだ。故に相川を文化祭の助っ人にしたいとして説明すれば、文実の親睦会として設けた場に呼んでも不思議なことはないだろう。
問題があるとすれば、親睦会の日は相川に部活があるという事だが……午前練習とかなら余裕だろうが、午後だとちょっと遅すぎる気もするしな。これは相川に聞いてみないと分からない。
他にも多少布石は敷いておくつもりだが、まぁ改めて考えるべき事でもないだろう。
いつもより時間をかけた髪の毛のセットも終わると、鏡にはいかにも暗そうな陰キャがいる。相変わらず表情死んでんなぁ。朝だし余計ひどい。外行き用に切り替えないと。
蛇口をひねり、今一度水を顔に叩きつける。春とは言え、まだ少し水は冷たい。おかげで幾らか目が覚めた。
おしもう一回行っとくかと水を手に溜めてると、後ろから声がかかる。
「お兄ちゃん、透華さんもう来てるけどまだかかりそ?」
「誰だ俺をそんな呼び方するのは。ここに来てまさかの隠れ妹ヒロインのご登場か? まぁ実妹と隠れ妹の三角ラブコメってのも案外需要あるかもな」
「やだなぁ。お兄ちゃんに妹は一人しかいないでしょ?」
声の方へ目を向けると、枝毛一つないサラサラの髪の毛をロープ目で編み込んだ女の子がいた。ブレザーの第一ボタンはあえて留めてないのだろうが、その他はしわ一つなくきっちりと着込まれている。あと通常よりは若干スカート丈上げてそうだな。
清楚ながらも厳格すぎずかつ、物腰軟らかな感じで馴染みやすそうな、見た目だけは紛れもない美少女JCだ。。
「じゃあお前は何者だ? 少なくとも俺の知ってる妹はそんな綺麗な身なりはしてないし、ニコニコと愛想よく俺の事を見たりしない」
俺が鋭い指摘をすると、お返しに鋭い眼光が飛んできた。
「うっさい、分かってんでしょ。刺すぞ」
「あれ、久留美いつの間に。さっきの子はどこに行ったんだ?」
「さぁ? お兄がキモすぎてどっか逃げたんじゃない? 実妹をラブコメヒロインに見立てるとか倫理観終わってるもん」
「おいおい冗談はよせよ。普通に考えて実妹が勝つなんて展開想定してるわけないだろ。それともそういう展開の方がお好みで? 妹のご身分なのに」
「なっ……」
久留美の顔がみるみる紅くなる。
どうやら今回は俺の勝ちだな。残念ながら今の俺はやること山積みで頭キレッキレだ。ちょっとやそっとじゃ切り崩されん。
「どうしたお兄ちゃんっ子。お兄様が頭なでなでしてやろうか?」
「い、いるわけないじゃん! ばっかじゃないの⁉」
「そうか、遠慮しなくてもいいのに」
「そんなんじゃないし!」
顔を真っ赤にして怒る久留美だったが、ふとじっとりとした視線をこちらによこしてくる。
「……ってか、今日やたらとだる絡みしてきてない?」
「……」
「いつもより用意遅いし何、まさか透華さんと何かあったの」
「気のせいだ」
「図星じゃん」
久留美はやれやれとため息を吐く。やけに自信満々だな。
「何があったか知らないけど、お兄みたいなネクラ受け入れてくれるの透華さんくらいなんだから大事にしなよね」
「そりゃその通りだ」
大事に思うからこそ……まぁ色々動こうとしてるんだ。
「お前こそ透華の前くらい素でいればいいんじゃないのか。あいつもお前の事よく知ってるし」
家族ぐるみの付き合いであれば、当然妹である久留美だって透華と幼馴染みたいなものだ。本性も知っている。にも拘らず、久留美は透華相手にも外向きの態度で接するため、その名残でさっきもお兄ちゃんだとかむずがゆい呼び方をしてきやがった。
「……それはそうだけど。なんとなく素だとやりづらい」
「そんなもんかね」
透華相手にその感性はよく理解できないが、まぁ久留美にも思う所はあるのだろう。多感なお年頃だしな。そんな俺と年齢差ないけど。
「まぁとりあえず行ってくるわ」
「ん、いってら」
心の籠らない妹の見送りを受けながら玄関へと向かう。
先ほどは否定したものの、正直久留美の言った事は当たっていた。昨日誘いを断った手前、どうにも透華とは顔を合わせづらい。用意を遅らせていたのもたぶんその通りだ。
でも透華自身が待ってくれている以上、俺もそれに応じなければならない。
意を決してドアを開くと、透華は門の前に立っていた。いつもは玄関先にいる所だが。
「あー、悪い。遅くなった」
「そうよ……と言えばそうね」
道路に出つつ謝るが、返ってくる透華の言葉はどうにも歯切れが悪かった。
「こちらこそ来てしまってごめんなさい。行こうかと思ったのだけれど久留美さんが入って行ってしまって」
そう言う事か。道理で自信たっぷりに指摘してきたわけだ。
「なんでお前が謝る必要があるんだよ。こっちこそ悪いな、久留美が無理に引き留めたみたいで」
「無理だなんてそんな。家の前で私がもたもたしていたせいなのだし」
「もたもた、か」
透華のまつ毛は自信無さげに俺の目線の少し下を捉えている。見る人によってはきついと感じるかもしれない凛とした瞳も、今日は幾らか弱々しかった。
「……とりあえず行くか」
「ええ、そうね」
門扉を閉めると、透華が少し遅れて俺に続く。
いつもなら菌だとかなんだとかで訳の分からない事を言って来る透華だが、今回は何を言うでもなく黙々と後ろをついてくるだけだ。
正直、あまり静かなのは気まずい。ここは俺が何かを話しかけるべきなのだろうが、うまい事言葉が思い浮かばない。普段は平然と回るくせに、肝心な時に役立たない舌だ。
しばらくお互い無言のまま歩いていると、ふと透華の足音が止んだ。
「あの、永人……」
「どうした?」
振り返ると、透華は逡巡したように視線を動かすが、やがて瞳は俺の姿を捉えたようだった。
「私たち、こうしていてもいいのかしら?」
「え?」
意図が読み切れず、つい聞き返してしまった。
「その、お互いもう高校生だし、あまり一緒にいると変な噂が立って……永人に、迷惑がかかる可能性があるでしょう?」
逐一選ぶように紡がれる言葉は、大よそ透華が言いそうにない言葉だった。
にも拘らずそんな事を言わせてしまったのは俺のせいなんだろう。となれば俺もあまり気まずいからって黙ってるわけにはいかない。
「他にも色々と迷惑を……」
「お前は」
透華の言葉を遮る。
「お前は、俺の迷惑なんて考える奴だったか?」
「それは、昔はそうだったかもしれないわね。でも今は」
「待て待て、なんで『でも』なんだ。逆説は否定するために用いるものだぞ」
俺の指摘に考えが頭を巡ったのか、幾らか向けられる視線がいつもの雰囲気に近づく。
「だったら今の使い方は適切よ」
「いや適切じゃない。何故なら俺はお前の事を迷惑と思った事は無いからだ」
言うと、透華が目をぱちぱち瞬かせる。
鳩も豆鉄砲を食らったらこんな感じの反応をするのだろうかと考えると、幾らか可笑しいようでもあった。
「だからまぁ別に、透華が俺に気を遣う必要はねぇよ」
告げると、ほんの少しの間沈黙が訪れるが、特に気にするほど長いというわけでは無かった。
「……そう」
短く返す透華の視線は、また少し弱くなる。だがその気配はすぐに失せた。何故なら透華が先へ歩き始め、顔が見えなくなったからだ。
何か腑に落ちないでいると、一歩先で透華は足を止めこちらへ振り返った。
「行きましょう? さっきは分かり切った事を聞いてしまったわね。ごめんなさい」
「ん、ああ……」
こちらを見る透華の瞳はいつもの凛とした雰囲気を取り戻していた。意志が宿った強い目だ。言ってる事も自信満々な感じが否めない。
透華が身を翻し先に行こうとするので、俺もすぐに追いつく。
「にしても、永人が笑うなんて珍しい事もあるものね」
「いや普通に普段から笑うけど。てか俺笑ってたの?」
「笑みを浮かべた、という言葉の方が適切かもしれないけれどね」
「マジかよ……」
何そいつ気持ち悪っ、一回逮捕された方がいいと思うよ。
「まぁでも安心して。不快なものではなかったわ。むしろとても……」
透華が一呼吸置くと、前を見ながら言う。
「とても、優しいものだったわ」
静かな声音で伝えられた言葉は、決して偽りを言っているようには聞こえない。
でも何故だか、虚しい響きが宿っている気がした。
それは俺が優しいという実態からかけ離れているせいなのか、あるいは透華の言い方のせいなのかまで判別はつかない。
「まぁ、それなら良かったが」
故に俺は当たり障りのない肯定を返すよりほかになかった。
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