第24話 そして俺は毒づく
色々と思う事はあったものの、俺の感想など聞くだけ無駄だろう。透華についての出来事だけを淡々と語れば、吹き込んでいた風も幾らか静まり返っていた。
奥でゆらゆらと漂うカーテンを認めつつ、先生の反応を待つ。
「そういう事があったんですね……」
先生が呟くと、黙りこくる。一秒、二秒とゆっくりと時間は過ぎていく。先生も色々と考えてくれているという事だろうか。
「……まぁ、要するに、透華は自分勝手な理由であんな風に振舞っているわけじゃないので、理解を持って接してもらいたいといったところです」
静かすぎのもなんとなく落ち着かないので、とりあえず口を動かす。
「そうですね。私の方でもそこはしっかり気を付けましょう」
先生が言うと、さらに付け加える。
「でも気を付けるにしても、現状についてはもう少し把握しておいた方がいいかもしれませんね」
「現状、ですか」
俺が繰り返すと、先生は頷く。
「清水さんは今も自らの手をよく洗ったりしますか?」
言い方は気を遣ってくれてるようだが、恐らく先生は潔癖症の重症度について聞きたいのだろう。どれくらい気を遣えばいいかの指標にするといったところか。
「そうですね。当時に比べたらマシになりましたよ。多少入念に手を洗ったりはするみたいですが、そこに強迫性は無いかなと」
一度崩れはした透華だが、カウンセリングやらリハビリやらを経て今はそれなりに回復した。昔は手袋をつけたとしても物に触れるのを躊躇していたが、今は手袋があれば大抵の事はこなせる。
とは言え完全では無いのも事実だ。カウンセリングの数は減ったものの、人に触れられることについてはまだまだ敏感だし、リハビリもまだ一部続けている。
例えば料理をこちらに作ってきてくれるのはリハビリの一貫だ。自らが作った料理を食べてもらう事によって、自分が汚いという認識を改めてもらう。色々な人と協議して考えた方法だ。
まぁ最初の内はゴム手袋込みでも食材などはほとんど触れる事が出来ず、触れたとしても今度はまな板に汚さを感じて料理に至るには時間を要したのだが。
「……なるほど、とりあえずは回復しつつはあるんですね。それは良かった」
先生が表情穏やかに言う。でも油断はしてほしくないな。
「ええ。でもだからと言って軽くは見ないでもらえると助かります。風邪は治りかけだからと言って養生を怠ればぶり返しますからね」
言うと、先生は「勿論ですよ」と返してきた。二つ返事に本当にそう思ってくれてるのか疑いたくなるが、透華の中にはまだあの時の出来事が巣喰っているのは明白だ。軽く見てほしくはない。
例えばやたらと俺に触れようとするのも恐らく、自らが拒まれやしないかという不安の表れだ。やたらと接触が増えたのもあの時以来なのでそれは間違いないだろう。
俺も透華が傷つかないよう、小学生の時なんかはされるがままに応じていたが、人間は成長するからな……。思春期というものは厄介で、そういう事には敏感になってしまうというか、まぁ端的に言ってしまえば恥ずかしい。
が、それでもできる限り透華が不安を抱かないようには務めているつもりではある。人目が少なければ客観性を捨て無の境地になってされるがままにしたり、要求を拒んでも肯定感を高める言葉によってフォローを入れたり。それでも安心はできないけど。
「えっと、あとはそうですね。清水さん、自己紹介はなんというか個性的といいますか」
先生が愛想のこもったような笑みを浮かべる。まぁあの自己紹介ならその反応になるのは妥当だろう。
「まぁ、それは同意します」
別段、愛想笑いも返さなかったが、先生は笑みを崩すことなく続ける。
それにはなんとなく胃を撫でられた感覚もしたが、先生の発言自体は客観的に見た事実であり、不快ということはなかったのでとりあえず気にしない。
「その時、守屋君以外は触れないでーみたいな事を言ってましたけど、あれはやっぱり本当?」
「それは残念ながら事実です。もし不用意に触れば厳しく拒絶されるでしょう」
「なるほどそうなんですね。とすればそれはつまり……」
つまり、透華は未だに過去に囚われたままという事だ。
しかし先生は軟らかな笑みを浮かべ、別の事を言った。
「清水さんにとって守屋君は特別な存在、という事ですね」
出し抜けに風が吹き込む。生暖かいのを春の匂いでごまかした風だった。カーテンがゆらりと揺れ始める。
「あんまりそういう茶化しは好きじゃありません」
「茶化したつもりはないですよ。先生は真面目です」
「そういうの喜ぶの万治たちくらいですよ」
「そうですか?」
からかうように聞き返してくる先生。大人の余裕みたいなのを誇示されたような気がして気分は良くない。
まぁでも、この先生もそうやって生徒との距離を近づけてきたのだろう。そしてたぶんその方法は間違っていない。間違っているのは俺の方だ。こんなだから小学校の時友達少なかったんだよな俺。小手先のまやかしを使わなければろくに対人関係も築けやしない。
「少なくとも俺が喜んだように見えましたか?」
「それはー……見えなかったかもしれませんね。反省です」
先生が頬を掻き少し困ったような笑みを浮かべる。その所作はなんとなく子供じみていて、ほんの少しだが身近に先生を感じた。
個人的にこの先生はそんなに好きじゃないがまぁ……悪い人では無さそうか。透華の事も気を付けてくれるだろう。仮に気遣いが足りなくても、その都度言っていけば聞く耳は持ってくれそうだ。
となればこれ以上話す事は無いな。そろそろ通常運転に戻らせてもらう。
「ま、ここだけの話、実はワンチャンとか思ったりしてるんスけどね?」
いつも通り笑みを形づくり心にも無い事を嘯けば、話を切り上げるべく席を立つ。
「おや? やっぱり守屋君は隅に置けませんね」
先生もそんな事を言いつつ立ち上がった。
流石に俺が本気で言ってないのを知ってて合わせてきただけだろうが、もし鵜呑みにしてこれまでの話を軽いものにされては困る。通常運転でも念押しはしておこう。
「それじゃ先生、透華の事、くれぐれもよろしくお願いしまっす」
「はい、お願いされましたよ」
「あざっす。失礼します」
身を翻し出口へと向かうと、後ろから先生が声をかけてくる。
「守屋君は優しいですね」
既にドアに手をかけていたのでそのまま廊下に出るか、今一度教室の方へと向き直る。
視界の先では、制止したカーテンを背に先生が優し気な笑みをこちら側に向けていた。
「よく言われます」
お辞儀だけしてドアを閉めれば、教室は俺のいる廊下からは隔離される。
優しい。よくかけられる言葉だ。特にあの時からは色々な人からそう言われて来た。
だがその度に思う。
お前の目は節穴かよ。
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