第5話 束の間の休日であろうと怠ってはならない
軟らかな日差しがカーテンから差し込む午前。
うちの学校を何をとち狂ったのか入学式を土曜に当てていた。故に次の日である今日は当然休みだが、すぐ明日から学校なので気は抜けない。今日中に今後どう立ち回るかは考えておく必要がある。
壁に席の位置と連動したクラス名簿のわら半紙を貼り付け、じっと見つめる。
昨日話した男どもは万治と三星。これは幸運にも当日覚えてられていた。問題は女子二名だだ。沙奈ちゃんは一番前の席だったから
えっと、たぶんこのどっちかだったと思うんだけどなぁ。
ていうか学校も意地が悪いんだよ。教室左側に女子! 右側に男子! って綺麗に分け過ぎなんだよ。丁度境目に位置する奴らは男女の交流持てるけど他はむさくるしいだの百合百合しいだの極端なんだよ。天国と地獄でも描いたつもりなのか?
そのせいでどこに座ってたか分かり辛いのなんのって言ったら……。たぶん宮内だったと思うんだけどなぁ。自己紹介でこっち言ってたよなぁ。
うんうん唸っていると、丁度インターホンが鳴った。家には久留美もいるはずだが、たぶん居留守する気満々だろう。となれば俺が出るしかないな。ただ宗教の勧誘だと嫌なのでまずはインターホンの子機ごしで応答させてもらう事にする。
「はいどちら様で……ってうおっ」
子機のモニターに映し出されていたのは大きな目だった。その目はぱちりと一つ瞬きすると、聞き覚えるのある声を発する。
「私よ」
インターホンごしで少しくぐもっているが、この澄み渡りつつもどこか芯を感じさせられるこの声、どうやら訪問者は透華だったらしい。まぁ家すぐ側だしな。
「おい透華、なんでお前そんな近づいてるんだ」
「ここを覗き込んだら中の様子が見えそうな気がして」
「んなわけあるかよ……」
逆になんでそう思ったのか。まぁこの子普段真面目で割となんでもできるけど、時々こういうところあるからな。あるいは高度なボケか? いやもう気にしないでおこう。
「そんな事より早く開けてくれないかしら」
「なんでうちが暇な前提なんですかね」
「それはもちろん永人のありとあらゆる情報はふみ子さんを通じてきっちり聞かせてもらってるからよ。忙しそうな時には来ないわ」
ふみ子……っていうのはうちの母さんじゃないか。ありとあらゆる情報って言い方がなんか不安をあおって来るがまぁ昔からの事だしもういいか。とりあえずせっかく来たんなら締め出すわけにはいかないだろう。
「今開ける」
それだけ言って切ると、さっさと下に降りて鍵を開ける。
扉を開くと、そこには学校とは違い制服ではなくスウェット姿の透華がいた。相変わらずなのは白い手袋だが、もう一つ異彩なのはその手には鍋が持たれている事だろう。
「お、今日はなんだ」
「筑前煮を作ってみたの」
「おお、すげぇ。どれどれ」
鍋を受け取り、透明の蓋から中の様子を窺ってみる。
ふむ、材料はしいたけ、にんじん、さといも、ごぼう、こんにゃく。どれもいい感じに飴色がかりよく味がしみ込んでいるのが伝わって来る。今すぐにもつまみ食いしたい気分だ。何せ透華の料理はすさまじく美味しい。どれくらい美味いって比較できる対象が少ないが、身近で言うなら母親なんて到底及ばないレベル。なんなら金持ちじゃないから食べた事ないけど一流シェフですら度肝を抜く美味さだと思う。
家に俺だけしかいなかったり、俺と久留美しかいなかったりする時とかたまに持ってきてくれるが本当に助かる。何せ俺も久留美も料理できないからな。いつだったかの長期休暇の間の話だ。
母さんが十二連勤という記録を打ち立て晩飯は日々簡素化していく中、朝抜き昼はカップ麺漬けで兄妹ともども目が腐り切っていた時、鍋を両手に透華が現れてきてくれたあの瞬間その場で土下座しそうになった。何度も言うが透華の料理はめちゃ美味い。
「ねぇ、いつまでここに外で立たせているつもりかしら?」
今まさにこの手の中にある料理に感激し立ち尽くしていると、不機嫌そうな声が耳に届く。
「ああ、やっぱり入る?」
「当然よ。妻は夫の家に入る権利があるはずだもの」
「一体誰のお嫁さんかは存じ上げませんが……まぁとりあえず。どうぞ」
料理を貰うだけ貰っておいて門前払いというのもひどい話なのでとりあえず招き入れることにした。
「それじゃあ、ただいま」
「ただいまってお前」
完全に自分の家感覚かよ。その割にはインターホンちゃんと押す辺り適当な事言いながら真面目なんだけどさ。まぁいちいち突っ込んでいたらキリが無いか。今に始まった事じゃないし。
「とりあえず鍋おいてくるから、適当なところでくつろいでいてくれ。久留美もいるけど挨拶させとくか?」
「それには及ばないわ。押しかけたのはこちらだし」
ちゃんと押しかけた自覚あったのね。いやまぁ押しかけというにはこちらに得がありすぎるが。
持っている美味そうな鍋の中身を眺めていると、透華は迷うことなく階段を上がっていく。目的地は俺の部屋かな。
鍋を置きに台所へ入ると、ふと放置されていたまな板と包丁が目に入る。
今でこそ美味い料理を作ってきてくれるが、実はかつて透華は料理ができなかった。それが今やこうして美味い料理を時々持ってきてくれるようになったんだから劇的な進歩だと思う。
幼馴染の成長をしみじみと感じつつ鍋をコンロに置くと、自分の部屋へと足を向ける。
さて、よくラノベとかでは主人公の男がヒロインの女にやましいものを発見されるが、俺の部屋には見られて困るようなものは確か無かったな。
ひと昔前の事はいざ知らず、今やすべての情報はスマホへと集約することが可能だ。やましいものは全部電脳空間の中。
まぁそうでなくとも、そもそも透華はそんなものを見つけ出そうとはしないだろう。あいつは幼馴染とは言え人の部屋を無遠慮に嗅ぎまわるようなことはしない。真面目だからな。そこらへんはきっちりしている。
念のため予め起こりうる事態の可能性を潰し、安心して部屋の扉を開けるが、そこに透華の姿は無かった。
代わりにあるのは打ち捨てられた白い手袋。これは透華のだろう。あとは勉強机やら本棚やら少し膨らんだベッドの布団……あれ? おかしいな。俺抱き枕とか買ったおぼえないけど。
謎に膨らみを持った布団を載せたベッドを眺めていると、布団がもぞもぞと動き出す。
「ふふっ、永人の匂い」
中から聞こえたのはどこか楽しげに弾んだ声だった。
そっちの意味では嗅ぎまわっちゃったかー。
「おい何してる?」
布団を引きはがすと、俺のベッドで背を丸めた透華が寝転んでいた。
目が合うが、透華は別段動じた様子もなく口を開く。
「永人成分の補給だけれど?」
透華はしれっと答えると、俺の持つ布団へと目を向ける。
「それより早くそれ返してくれないかしら?」
いや俺のなんだけど。
「そんな汚いものを摂ると身体に毒だぞ」
言うと、透華がじとっとした視線をよこしてくる。
「自虐して楽しい?」
「……うるせ」
誰のせいでこんな思考回路を埋め込まれたと思ってるんですかね。
「まぁでもそうね……」
若干顔を赤らめた透華が身体をもじもじとさせる。
「どうしてもその布団を返してくれないというのなら……永人自身が私を優しく包み込んでくれてもいいのだけれど……」
言われると、視野が少し広がる。
スウェット姿は特に肌が露出しているわけでは無いが、華奢な肢体の曲線は確かにそこで横たわり、普段は一糸乱れぬ黒髪も布団にくるまっていたせいか、ベッドを無造作に流れていた。
なんていうか、無防備。
「それなら一瞬で永人成分もたまるに違いないわ!」
寝転びながらの迫真の一声。
「勝手に使ってろ」
すぐさま布団で肢体を覆い隠す。
透華に覆いかぶさった布団はもぞもぞしだすと、盛り上がり、中から透華が顔を覗かせた。
「一回ぎゅってしてくれるだけでいいのに」
「そんなこっぱずかしい事やってられるか」
俺もお前もいくつだと思ってるんだ。幼稚園児ならまだしも大の高校生がそんな事やってたら色々とやばい。やばすぎる。
「でもこの部屋には私と永人しかいないわよ? 何を恥ずかしがることがあるのかしら」
「何でもだ」
「非論理的ね」
透華がチクリと言って来るが、もしかしたら俺が考えすぎているだけかもしれない。その場合十中八九恥をかくのは俺なのでこの話題は適当にはぐらかさせてもらう事にする。
「それより布団にくるまるのは勝手だが、俺は今から色々戦略練るから邪魔はしないでくれよ」
「戦略?」
「まぁ別に大したことじゃない」
友達を作るためにどう立ち回るかなんて些末な話、聞いたところで退屈だろう。
話はこれまでだと透華から背を向ける。
とりあえず誰から切り崩していくべきか……。
「大した事ないのなら、大いに邪魔してもいいというわけね?」
考えを巡らそうとクラス名簿のわら半紙に目を向けると、後ろから冷ややかな声が聞こえてくる。
「いや待て、なんでそうなる」
再度透華の方へと身体を向ける。
「大したことないのなら私がそれを妨害したところで取るに足らないでしょう? 大した事ないのだから」
「いやそれは俺が決める事……」
「知らない」
透華は俺の言葉を遮ると、そのままふいと視線を逸らされてしまった。
あれ、もしかしてこの子もしかして拗ねてる? 別に邪険にしたつもりは無かったんだけど……あまりへそを曲げられると後々大変そうなので素直に謝って方が良さそうだ。さっきので色々と頭をもたげていたせいでそう言っちゃった気もするしな。
「悪かったって。まぁなんだ、俺コミュ障だから友達作るのには事前に色々考える必要があるんだよ。そのための戦略だ」
別に大したことないだろ? と目で訴えるが、透華が特に何か返答する素振りは無い。
こりゃちょっとへそ曲げられたかな……。
黙って戦略を練り始めようかと諦めかけると、ふと透華が口を開く。
「コミュ障……昨日ああいう人たちと騒いでいたあなたから出る言葉とは思えないわね」
「そうか? 案外そうでも無いぞ」
小学生の頃くらいまで、俺はあまり人と話すの得意じゃなかったし、好きじゃ無かった。今でこそある程度人とコミュニケーションをとるようにはしているが、未だ人と話すのは好きになれない。何せ会話というものは存外体力を必要とする。例えばこちらの意見を一つ述べるにも押しつけがましくならないような言葉選びも必要になるし、相手の自尊心を傷つけないような綿密な言葉選びも必要となって来る。人一人と話すには終始頭をフル回転させないといけないわけだ。
勿論生まれ持って人と会話を苦も無くできる人間はいる。だがそれは才能を持った一部の奴らだけだ。一体そういう奴らがどれだけいるかは分からないが、少なくとも俺はそれに当てはまらないらしい。友達作るには今みたいに戦略を練り上げて、会話一つしようものなら頭を働かさせ続けなければならない。
まぁ、透華相手ならそんなに考える事も無いんだけどな。
「お互い昔に比べて変わったのかしらね」
「どうだろうな。俺自身はそこまで変わってるつもりはないけど」
ただ、自分には分からないところで案外人は変わっていたりするのかもしれない。どう感じるかなんてのは恐らく人によって千差万別なのだろう。
そうであるのならば、もしかして透華から見た俺は昔に比べてだいぶ様変わりしていたりするのだろうか。
分からないが、まぁ、変わっていればそれは恐らく不正解であり正解だ。
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