第3話 これが俺の知る幼馴染である


 小走りで昇降口に行けば、そこには背筋を伸ばして佇む透華の姿があった。スクールバックに持つ右手には未だ白い生地が映えている。


「待っててくれたのか?」


 声をかけるとこちらに気付いた透華は真っすぐな視線をよこし、黒髪を払いのける。


「当然よ」

「そ、そうか」


 存外きっぱり言われたので声を詰まらせてしまった。これは喜ぶべきなのだろうか……いやでも昔から一緒にいるし、そんなものか。

 勝手にひとり合点していると、不意に透華のまつ毛がふいと明後日の方向を向く。


「……でも、少し待たせ過ぎね」


 どこか不貞腐れたような物言いは、凛とした外見にそぐわずいじらしい。ちょっと申し訳なかったかな。


「悪かったよ」

「ええまったくね。私は今すぐにでも永人成分を摂取しなくてはいけないというのに」


 刹那、透華が二歩三歩と迫って来るので俺は反射的に同じ歩数後ずさる。


「何故距離をあけるの? このままだと私、永人菌が足りなくて倒れてしまうわ!」

「倒れるかよ……」


 ハンカチでも噛み始めそうなくらい演技がかった透華の言いぐさに、ついため息が零れそうになる。


 少しでも憐憫の情を抱いた俺が馬鹿だった。こいつは潔癖症で自ら人に触れる事はまずしないが、いつ頃からだったか、俺にだけはむしろ積極的に触れようとしてくるようになった。やれ菌がどうの汚れがどうのとか嬉しそうにな……。ハハッ。


 とは言っても幼馴染だし、最初は別段俺も特に気に留めてなかった。でもだいたい今年で四、五年目くらいになるか、流石にもうお互いお年頃になってしまったので、少なくとも人が多い時だけは遠慮してもらいたい。逆に言えば人がいないところなら別にいいんだけどね! 美少女と触れ合う事を嫌がる男子高校生なんていないんだよなぁ!


「はぁ、まぁいいか。でもあれだぞ、別に先に帰っててくれても良かったんだぞ」


 気を落ち着かせるためと、今後こちらの都合で待たせる事があっても申し訳ないので言うと、透華は再度こちらに向き直り、何故か非難がましい眼差しを向けてくる。


「……なんだよ」

「別に。それにしてもさっきは随分と楽しそうだったけれど?」


 さっき、とは万治たちと話していた時だろう。透華もこちらの様子は見ていたか。


「楽しそうに見えたか?」

「ええとっても」

「そうか、楽しそうだったか」


 それなら良かった。もし少しでも面倒だとかそういう感情が表に出てたらどうしようかとヒヤヒヤしていた。まぁ透華も一から十まで見てたわけじゃなかっただろうから安心はしきれないけども。

 炭酸でもひと煽りしたい気分になっていると、透華が不服そうに眉をひそめる。


「嬉しそうね」

「まぁそりゃなんだって一仕事終えれば嬉しいだろ」

「仕事、ね」

「なんだお前、バイトでも始めるのか?」


 高一の春から意識の高い事で。


「何故その発想に至ったのか分からないけれど、私が働くなんてありえないわ」

「清々しいまでのニート宣言だな」

「いいえ、私は将来的に永人のお嫁さんになる身だからニートではなく専業主婦よ」

「なんで俺がお前の夫になる前提なんだよ」

「だって今から十年と一か月五日前三月三日、大人になったら結婚しようねって言ってくれたでしょう?」

「……」


 うん、確かに言ったな。よく覚えてる、というかこれまで何度もこいつから今みたいに細かい日程込みで聞かされてきたからより鮮明に記憶に残ってるね。


「まさか忘れたの?」

「いや忘れるわけない。というか忘れても忘れさせてもらえてないわけだが、あんなのは幼心から出たたわごとだろ」


 言うと、透華の背景にピシャーンと白い稲妻が見えた気がした。


「そんな酷いわ! 永人はそんな歳から乙女を弄ぶ趣味があったというの⁉」

「ねぇよ……ていうかその言い方だと昔はおろか、今もなおそんな趣味があるみたいだからやめてくれ」

「でもさっき女と会話してたでしょう」

「という事は今この場で普通に俺と会話してるお前は女じゃないって事か?」

「いいえ、永人の女よ」


 いや答えになってねぇよ……。

 皮肉が理解できなかったのか、あるいは分かっててそう言ってるのか分からないが、これ以上この話題を続けていると頭痛がしそうなので別の話題にシフトすることにする。


「それりよりお前、あの自己紹介はなんだ。ここに来る前ちゃんと釘刺しといたよな」


 聞くと、透華はさもありなんと平然とした目を向けてくる。


「何か問題でもあったかしら? 中学の頃のような自己紹介は誤解を生むから変えろと言うから、永人まで私に触れてはいけないというような誤解を招かないよう永人の名前を入れたわ」


 なるほどそういう事だったのね……。でもそうじゃないんだよなぁ。俺は透華に変な印象がつかないようにというう意図で誤解の言葉を使ったんだけどなー。日本語難しー。


「そうじゃなくてだな、俺の言った誤解っていうのはクラスメイトがお前に対して誤解するという意味であって、俺が誤解するという意味じゃない」

「あら、そうだったの? でもそれなら少し理解できないわね。だってあれこそが本当の私だもの。何の誤解を呼ぶというのかしら?」


 本当の私、か。

 その抽象的な言葉はどのように定義づけられるべきかは分からないが、もし何かのきっかけがあって人の性格が変わった場合は、その変わる前の姿が本当の自分なのか、変わった後こそが本当の自分なのか。


「まぁ、そう言われれば返す言葉は無いな」


 ふと昇降口に敷かれている板の隙間にほこりが入り込んでいる事に気づく。視線は自然と透華から逸れていた。


「……ただ、あれじゃあ友達ができないんじゃないか?」


 ただ一般的視点から忠告したに過ぎないが、自分の耳へ戻って来る声はどうにも白々しく聞こえた。そんな言葉が透華の耳に届くはずが無い。


「何故、ここでそんな言葉が出てきたのか分からないのだけれど、友達なんて不必要よ」

「でも友達がいた方が高校生活は楽しいんじゃないか? 他にも損得で考えればノートとかも見せてもらえるし、いて損は無いと思うけど」

「まったく楽しくないわね。一人の時間を好きに過ごした方がよっぽど有意義よ。ノートに関してはそもそも見せてもらう必要が無いわね。私必ず書くもの」


 それに、と透華は吐き捨てるように言い放つ。


「群れなければ何もできない姿は、見ていて実に滑稽だと思わない?」


 いつの間にか俺の顔はまた透華の方へと向いていた。口元には嗜虐的な笑みが浮かべられ、その瞳は黒真珠のように深く澄んでいる。


「……ま、人なんてそんなもんじゃないのか?」


 言うが、透華は毅然と自身の黒髪を払いのけた。


「そうよ。だからこそ私は人が嫌いなの」


 まっすぐに向けられた視線には、そこに確固たる自分の信念があるのだと物語っていた。

 が、果たしてそれは本心と言えるのだろうか。

 疑問が脳裏をよぎるが、ふと楽し気に弾んだ声と幾分か暖かくなった右腕の感覚に思考を遮られる。


「でも、永人の事は好きよ」


 しまった反応が遅れた。

 見れば、嬉しそうに目を細める透華が俺の腕に抱き着いて来ていた。いつの間にとったのか、その手に手袋は無く、清廉な素肌があらわになっている。


 じわりと伝わる暖かみに心臓の鼓動が少し早まるのを感じるが、悟られたら負けな気がするので適当な軽口をひねり出す。


「それはなんだ、俺が人じゃないって言いたいのか?」

「そうね、永人は人じゃなくて私の夫だもの」

「意味わからねぇよ……」


 ていうか人じゃない夫って何者なんだよ。少なくとも俺の知ってる夫とは違うから何か別の意味があるに違いない。というかそれよりちょっと離れてくれませんかね。さっきよりは減ったものの、まだちらほらと生徒の姿見えるし。


 などと気にしつつも離れろと言えないのは、やっぱり普段はあまり見せないこの無邪気な笑顔の……。


「ふふっ、この袖にはどれほどの永人エキスがこびりついているのかしら」

「……」


 せいじゃないな。誰だよ無邪気とか言ったやつ。滅茶苦茶邪気に溢れてたわ。

ほんと先が思いやられる……。

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