Ⅲ レヌーズの黄金

 その日の夜半、蒼白い上弦の月だけが静かに見つめる中、俺は儀式用の衣装を身に着け、うら淋しいレヌーズの川岸に立つ……。


 いつも羽織ってる枯れ草色のマントの下には、白いリネン生地の胸に赤い絹糸で魔術的記号を刺繍したローブを纏い、胸に仔牛革の五芒星ペンタグラムとローブの左裾に六芒星ヘキサグラム円盤ペンタクル、つば広帽には本式の羊皮紙製の冠の代わりに神聖な四つの神の名を記したリボンを巻いている。


 そのローブと円盤ペンタクルも修道院から失敬してきたものだ。


 また、この儀式の特別な装備として、脚には脂肪をとった男の血で魔術記号を書いた山羊革製のガードルを穿いている。


 そのガードルの足元は、こいつは普段使いのものだが、やはり赤字の魔術的装飾を施したブーツを履き、その足の下の地面には砂地に魔法の剣を使って魔法円が描いてある。


 砂に深く刻まれた線で表される大きな同心円とそれを囲む正方形……その四隅に小さな四つの円と、線と線の間に記された神聖文字に魔術記号、そして、神々の聖なる名前……『ソロモン王の鍵』という魔導書にあるものをベースにしたスタンダードな魔法円だ。


 香を焚き、その厳かな薫りのする煙で周囲を満たし、この儀式専用のランプを灯す……そのランプの油は七月に死んだ男の脂肪で作ったもので、灯芯はそいつの遺体が着てた服を材料にしたものだ……どうやって手に入れたのかは気にするな。


「アドナイ、エロヒム、エル! 君主の中の君主よ! 我を憐れみたまえ! 我に恵みを与えたまえ! 汝の天使と水の霊ウンディーヌに命じ、我が仕事を成就させたまえ!」


 儀式の準備が整うと、右手に魔術用のナイフ、左手に〝カレマリスの護符〟を持って祈りの言葉を唱え始める。


 〝カレマリスの護符〟っつうのは魔導書『キプリアヌスの書』に載っているもので、「KALEMARIS」という呪文を最後の一文字づづ取りながら「K」になるまで下に並べて紙に書いてゆき、その文字で逆三角形を描いた護符である。


 病気や不幸、悪霊を退けるとされる強力な護符だが、遠く海を隔てたアスラーマ教徒の地にも「ABRACADABRA」という似たようなのがあると聞く……。


「…アドナイ、エロヒム、エル! 君主の中の君主よ! 我を憐れみたまえ! 我に恵みを与えたまえ! 汝の天使と水の霊ウンディーヌに命じ、我が仕事を成就させたまえ!」


 その摩訶不思議な護符を手に、月光にキラキラと輝くレヌーズの流れを見つめながら、俺は祈りの言葉を幾度となく繰り返す。


 この隠された財宝を得るための儀式では、「地・水・火・風」の四大精霊の内、地を司るノームに働きかけるのが普通だが、今回は川の中なんで水の精霊であるウンディーネを相手にしている。


 時は七月末の日曜の未明……この手の儀式を行うには最適の頃合いだ。


 条件は揃っている……このまま呪文を唱え続ければ、そのうち効果が現れるはずだ。


「…アドナイ、エロヒム、エル! 君主の中の君…おおっ!」


 すると案の定、眼前のレヌーズ川に目に見えて変化が起き始めた。


 それまで穏やかだった川面が大きく波打ち、まるで河ではなく海ででもあるかの如く沖と川岸の間で満ち引きが起り始める。


 ザァバン…と押し寄せてはザザァ…と引いてゆく銀色に輝く波……次第にそれは大きく、高くなってゆき、一際大きい身の丈余りもある津波のような大波が押し寄せて再び引いたその直後、あの広かった川幅が半分以上も狭くなり、それまで水中深くに没していた川底が俺の目の前に姿を現した。


「どうやらウンディーヌを手懐けられたようだな……」


 淡い月の光に照らし出される、湿って黒々としたその幻の大地に俺は視線を走らせる。


 モーセの奇跡にも似たこの現象は、神の威光と〝カレマリスの護符〟で味方につけたウンディーヌが、隠していた財宝の在処を教えてくれる気になったってことだろう……ならば、この目の前に広がる嘘みてえなあり得ねえ景色のどこかに〝レヌーズの黄金〟がきっとあるはずだ。


「…………そこか!」


 と、薄闇の中、眼を凝らしていた俺の視界に、どうにも自然界のものにしてはおかしい角ばった物体が飛び込んできた。


 俺はすぐさま傍らに置いてあったトレジャーハンターの必須アイテム〝つるはし〟を手に取ると、ぬかるんだ地面も気にすることなく、狭まった川へ向けて下る急斜面を転がるようにして駆け寄る。


 すると、それはすっかり錆びて黒く変色した鉄製の宝箱だった。大きさはゆうに大人の棺桶ぐれえはある。


「さあ、待ちに待ったご対面といこうじゃねえか!」


 もちろん鍵は持ってねえが、仮にあったとしても錆びついて開きはしねえだろう……悠長にごちょごちょやるのも面倒だ。俺は手にしたつるはしを頭上高く振り上げると、蓋の蝶番に向けて思いっきり振り下ろした。


 ガチィィィーン…! という大きな金属音が夜の静寂に響き渡り、腐食した金具は苦も無く外れて箱から取れかかる。


 このカラスの嘴のような形をした赤黒い愛用のつるはしには、ソロモン王の72柱の悪魔序列40番・窃盗と破壊の伯爵ラウムの印章を刻み、その「財宝を盗み出す」魔力を宿した専用の特注品なので、たとえ魔法のかけられた宝箱であろうとも壊すのには造作もねえ。


「ういしょっ……おおお~っ! さすが伝説のお宝、こいつは想像以上だぜ!」


 そんな大事なつるはしも放り出し、間髪入れずに箱へ飛びついて乱暴に蓋をズラすと、中にはひんやりとした湿り気のある空気とともに、月影を浴びて眩く光る金の延べ棒がぎっしりと詰まっていた。

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