━━ 二節 ━━

━━今、見えている太陽は、何回目の光景なのだろうか。


それとも、私は・・、まだ誰かの記憶の中をさまよい続けているのだろうか…。


照りつける日射しが眩しく、鎧が熱を発していて暑苦しい。


体が気だるく力も入らない、軽い脱水症状を引き起こしているのかも。


耳元でハエがたかっている音がして、少し嫌悪感を抱きながら鎧の紐を何ヵ所もほどき、ゆっくり脱いでいく。


身軽になり、若干頭がクラついたが、なんとか上体を起こすと、鼻が曲がってしまうほどの強烈な死臭が漂っていた。


見渡すかぎり辺り一面に無数の死体が転がっており、その全てから僅かに灰色の魔力を帯びていた。


恐らく心臓が停止し、大半の魔力は体外に放出されるが、残った微量の魔力は、時間をかけてゆっくり空気中に飛び立つのだろう。


すると、向こうで死体を食い漁っている狼の群れが目に入った。


胸部の白い骨があらわになり、内臓を貪っている。


そのとき、灰色の魔力も体内へと吸収され、狼に宿る魔力が真っ黒になっていることに気付いた。


あれは、きっと死人の肉を食し過ぎたのだろう。


しばらくその光景を目に焼き付け、当分、肉は口にしたくないと思った。


今回、死にかけたし、酷い目にあったが、その分大きな収穫があった。


魔力を操ることが可能になったこと。


周りの魔力を感知、吸収できるようになったこと。


ただし魔力を吸収する際、記憶を媒体となっているものも含まれているため、自分の記憶と混濁してしまうリスクがある。


そして、生き物の体内にある魔力の流れも透視できるようになったこと。


この短期間?で急成長できたのは、我ながらよくやったと思う。


だからこそ、痛切に感じたことがある。


もう戦は御免であると…。




━━しばらく国には帰れそうにないので、船で大陸を渡ることにした。


脱走兵だと疑われぬよう変装し、素早く船内に潜りこむことができた。


貨物室で身を隠している間、荒波で船内は揺れ、軽く酔ってしまったが、なんとか堪えてみせる。


やがて、甲板の方が賑やかだと思い、恐る恐る外に出て見ると、日射しが眩しく、ちょっと怯んでしまったが、だんだん目が慣れてきた。


そこは、多くの船が停泊する港で、荷物の積み降ろしが行われていた。


ジメジメとした熱風が吹き付け、黒い切り立った険しい岩山が町の背後にそびえ立っている。


汗だくになりながら入り組んだ路地を観光気分で歩いていると、ある光景が目に入る。


広場の中心に大きな檻があり、それを多くの人々が興味津々で集まっている。


檻の中には、一人の幼女。


一瞬、奴隷市かと思ったが、よく見たら幼女が普通ではなく、金髪で耳が尖っており・・・・・・・エメラルドグリーン・・・・・・・・・の瞳をしていた・・・・・・・


あの子は、一体何なのだ…?


サイズが合っていない大きめの白いワンピースから小さい手足を出し、大勢の大人に囲まれて泣きじゃくっている。


初めて見る幼女の姿に言葉を失う。


周りの者達の口から“亜人”という単語が聞こえ、なんでも人の形をした怪物なのだという。


鉄格子を掴んで泣きわめいているあの幼女が、私にはどうしても怪物には見えないのだが…。


売人が面白おかしく値段を表示すると、何人もの客が、好奇の目で倍の金額を払うと挙手する。


こういう見せ物・・・・・・・は、どこの国に行ってもあるようだ。


世界共通の文化に呆れてしまい、人外の言葉で叫ぶ幼女を哀れに思った。


まぁ、気持ちは分からなくもない。


私だって出来ることなら体の仕組みとか調べてみたかったのだが、生憎、色々と都合が悪いし、幼女を虐める趣味は持ち合わせていないものでね。


反吐が出そうな光景から目を反らすように、その場から去ろうとしたそのときである。


建物の屋根から仮面を着けた何者かが勢いよく飛び出し、檻の上に着地した。


囲んでいた者達が騒ぎはじめ、注目を集めているうちに、仮面の者が両手を足元につけて熱を発する。


奴は、一体何をしているんだ?


すると、鉄格子が変形し、人間一人分入れるくらいの穴が出来た。


亜人の子を逃がす気なのだ。


奴が魔術を使った様子もなく、どうやって穴を開けたのか不思議で仕方なかった。


売人が怒鳴り散らし、見張りの者が慌てて剣や槍を取り出しはじめ、仮面の者の意図が判明した私も、すぐ様空気中の魔力をかき集める。


私は、どうしてしまったのだ。


こんなことをしている暇はないというのに、こんなことをしても得などしないというのに、無意識というか、あの子を助けようと体が勝手に動く。


仮面の者が手を差し伸べ、早く掴むよう急かすが、幼女は戸惑いながら隅で怖がっている。


その隙に、見張りが檻の上にいる仮面の者を排除しようと、下から槍で突き刺そうとする。


そして、売人も檻の鍵を開けて横から幼女を強制的に連れ出そうと試みるが、奥へと逃げられてしまい、苛立ちを覚える。


両者とも絶対絶命の危機━━。


伏せろッ!!


私が掛け声と同時に両手を空へとかざすと、魔力弾が暴発し、その場にいた者達が四方八方に吹き飛んでいった。


私は、体勢を低くしていてなんとか衝撃に耐えることができたが、中には壁に叩きつけられた者や、突然の出来事に失神してしまった者もいる。


檻を囲んでいた邪魔者も、皆、地面にのびている今がチャンス。


仮面の者も檻の上から落ちて頭を打ったのか、体をよろつかせながらゆっくり立ち上がり、中で気を失っている幼女に声をかける。


返事がないので、仕方なく背中におぶり、檻から出てきては私と目が合ってしまった。


お前も来いと首を振って誘われ、後をついていくと、後ろから追手がすごい剣幕で追いかけて来た。


この国に来て早々、何をやっているのだろうとつい自問してしまう。


亜人という人種に興味を持ってしまったのが運の尽きだと、致し方ない労力なのだと、心の中で無理矢理納得させては、狭い路地をひたすら走り、やがて人混みの多い場所に出た。


賑やかな市場が開かれており、色んな果物や名産品を売り子が元気よくアピールしている。


人の波に上手く溶け込みながら前へ進み、後ろから来た追手は、周りを見渡して私達の姿を必死で探すが見当たらず、声を荒げている。


手分けして捜索しはじめ、私達も少しでも離れようと急ぐのだが、すれ違う人々から、前方の2人を物珍しそうに注目している。


さすがにまずいと思っていると、仮面の者が脇道にそれて船の停泊場へと向かう。


オットー!!


何隻もの中から名を叫ぶ。


すると、帆をロープで整えている一人の青年が反応し、切羽詰まってこっちに向かってくる私達を見て、眉間にシワを寄せはじめる。


そして、素早く船をつなぎ止めていたロープをほどき、帆を張り直して、陸から離れる準備に取り掛かる。


長い浮桟橋を渡っている最中、背後から追手の声が聞こえてきた。


見つかってしまったのだ。


浮桟橋から船が離れはじめ、早くしろと青年が声を張り上げる。


2人を先に行かせ、私は少しでも足止めをしようと、再度、魔力を集中させる。


しかし、突如めまいが私を襲い、体も怠く重くなって思わず膝をついてしまった。


なんだ!? 何が起きたと…。


思うように手足が動かせなくなり、今起きている状況を把握する前に、男達に追いつかれて顔を蹴られてしまう。


軽く脳が震え、そのまま意識が遠のいていった。




━━目が覚めたときには、全身濡れていた。


痛みも感じ、気を失った後も私を痛めつけたのだろう。


私は、椅子に座らされて、両手を後ろに縛られている。


そして、鼻にツンとくるほど空間が馬臭い、どうやら、ここは馬小屋のようだ。


そんな中、強面の男達に囲まれて、商品を何処にやっただの、何処の回し者だの唾と共に言い放つ。


いっぺんに問い詰められても答えられるわけがないというのに、この者達ときたら…。


まァ、お望みの答えを私は持ち合わせていないことに変わりはないのだが…。


ただの興味本位でつい、と言っても理解をしていただけないだろうし、どう乗りきったら良いものやら。


そんなことを呑気に考えている間、バケツの水を勢いよくかけられ、さらに尋問は続いた。


何時間か経ち、男達は疲れて私を残し、小屋を出て行った。


小さな窓からは、星が覗いている。


とりあえず、体を癒すために魔力を吸収しはじめ、その間に先程の状況を思い返してみることにした。


恐らく、戦のときの疲労が抜けていなかったのではないだろうか?


その上、ろくな食事も摂っておらず、初めての船旅もあり、ストレスがピークに達していたのかも。


つまり、魔力の吸収は、傷は治せても体力までは回復することは出来ない、または、しづらいのだろう。


よし、一つは問題解決。


そして、亜人を拐った者、あの者達は何者だったのだろうか。


幼女のあの反応からして、仮面の者とは初対面であることに間違いない。


ノリで助けたは良いものの、結局、謎のままである。


珍しく深いため息をしてしまう。


本当に、私は何をしているのだ?


本来なら、ゆっくり魔術の研究が出来る場所を求めて、大陸を越えてまでこの地に来たというのに…。


亜人の誘拐に加担し、こんな藁と馬糞まみれの小屋で一夜を過ごすことになろうとは…。


思い返す度に悔やむ私。


自分の無謀さに呆れていると、何やら外が騒がしいことに気が付く。


鈍い音と短い悲鳴が聞こえ、少しの間、静かになったと思ったら、ドアを開けて誰かが入ってきた。


昼間の仮面の者である。


私の様子を見て両手の拘束を解き、ついて来いと告げられる。


声からして若い少年のようだ。


私は、言われるがまま小屋を出ると、見張りの男2人が地べたでのびていた。


早くしろと急かされ、その場から離れて素直に彼の後をついて行った。


停泊場とはまた別の海沿いの道に出ると、一隻の船が停まっていた。


彼は、勢いよく飛び乗り、私も同じように飛び込むが、着地に失敗して甲板にしりもちをついてしまう。


船を出すよう指示し、ゆっくり陸から離れていくと、私の元にペタペタと裸足で亜人の幼女が駆け寄って来た。


幼女は、心配そうに私の顔を伺い、彼も仮面を取って大丈夫かと尋ねてくる。


軽く返事しているうちに、青年も不機嫌そうにこちらに来て、少年に眼鏡を手渡す。


歳は15~6だろうか、少年は前髪をかきあげて眼鏡をかけると、自分の名はクリス、青年は従兄弟でオットーだと正体を明かす。


オットーは、ギルドを経営しており、漁業以外にも他の組合と提携し、この辺りの国々で商売をしているとのこと。


頭は良いのだが、学校に行かず、働きもしないクリスの面倒を見てくれないかと頼まれて、仕方なく船に乗せているのだが、隙あらばサボって錬金術の本ばかり読んでいるらしい。


“錬金術”━━。


過去に読んだ本に、それに関するものがあったなと思い出す。


確か、卑金属を貴金属に変える術、鉄を金や銀等にしてしまうというものだったか。


興味がそそられなかったので、あまり詳しくは覚えていないのだが、なるほど、あのとき檻に穴を開けることができたのは、そういう事だったのか。


今回も船の仕事を放ったらかしにして、町の中を散歩していたら、偶然この子が檻に入っている姿を目撃し、売店の仮面を盗んで助けに行ったらしい。


事の顛末を聞かされ、幼女は恥ずかしそうにモジモジしている。


たとえ亜人だろうと、人に値段をつけて良いハズがない。

見た目が違うだけであんな扱いをするのは間違っているのだから、僕は何も悪くない!!


クリスの主張にオットーが困り果てていると、そういえば、あのときに行ったアレは何だと目を輝かせながら、私に顔をグイグイ寄せてきた。


戸惑いながら、魔術を使ったのだと答えると、夜空に向かって大声で叫び、魔導師を初めて見た!存在した!と興奮し出す。


気持ちを抑えきれず、私に質問攻めするクリスに、オットーは、落ち着くよう拳骨をいれて制止させる。


彼等の話と状況を整理してみると、どうやら大陸によって知名度が違うらしい。


私がいた大陸は、錬金術の認知があまりなく、むしろ、魔術の文化が深く根付いているのだが、ここ数十年の間に魔女根絶運動が過激さを増している。


しかし、こっち側は逆に魔導師の存在を知られておらず、錬金術が主に普及しているようだ。


ということは、亜人が住む国、もしくは大陸もどこかにあるということであり、目の前にいるこの子が何よりの証拠である。


今まで亜人については、半分獣で半分人間であるだとか、不思議な力を使う悪魔だとか、おとぎ話の空想の存在だとばかり思っていた。


もしかすると、神も存在するのではないかと、ふと頭によぎり、つい鼻で笑ってしまう。


よく考えたら、これってすごいことじゃないか?


興奮の余韻が残っているのか、クリスが、何かに気付いて私達の前ではしゃぎ出す。


この場に錬金術師、魔導師、亜人、人間が一同に会しているこの瞬間って、非常に貴重なことなんじゃないか!?


確かに、言われてみればあり得ない面子であり、絶対に交わることのない文化の者達が揃っている。


皆、顔を合わせながら思うが、それがどうしたんだとオットーが代弁する。


これは、ただの偶然なんかじゃない。

僕達は、巡り会う運命だったんだ!!


再度、クリスは興奮気味で話をつづける。


実を言うと僕は、ずっと前から怪我、病気、差別、貧困で人が苦しむ様を見るのがすごく苦痛で仕方がなかった。


何故、傷付かなくてはならない?

何故、虐げられなくてはならない?

そんなことは間違っている。

だから僕は、そんな人々を救いたい一心で錬金術を身につけた。

錬金術は、ただの黄金製造秘術なんかじゃない。

もっと広い視野で見れば色んな可能性が眠っている。

僕の目標とする手掛かりに繋がるハズなんだ。


クリスの力説に、私達はポカンとしてしまった。


突然、この少年は何を熱く語っているんだ?


特に、亜人の幼女なんか人間の言葉など理解出来ないから、最初から最後まで置いてけぼりになって戸惑っているぞ。


何が言いたいのか尋ねると、要は、これを機にこの場にいる者達で組織をつくり、人々を救う活動をしないかと話を持ち掛けてきたのである。


本当に何を言っているのだ?


会ったばかりの私達が、何故、そんな慈善事業みたいなことをしなくてはならない?


クリスから、何のために魔導師になったのだと質問される。


別に、魔導師になったつもりはないが、魔力には、まだ未知なる要素が多く、好奇心が尽きないので追求していきたいのだと、ただ、自己満足のためにやっているだけだと、私は答えた。


なら、研究が出来る場所をオットーが用意するから、それで人の役に立ちそうな魔術とかあったら僕にも教えてくらないか!?


オイッ!?


他力本願かよとオットーは突っ込むが、クリスは目を合わせようとしない。


何でもいい、とにかく今は数人でも多く助けられる方法が欲しいんだ。


彼の本気が嫌というほど伝わり、よく考えてみると悪い話ではないと思った。


当分、国に帰ることは出来ないわけだし、研究に没頭できる環境が手に入るのだ。


願ったり叶ったりではないか。


それに、少年の高鳴る気持ちは、少し分からんでもない。


いいだろう、しばらく付き合ってやる。


私の返事にクリスは喜び、意外な展開にオットーが動揺してしまう。


オットーもちょっとの間悩んだ末、深いため息をついた。


クリスのお守りを任されている身だから仕方ねェな。


諦めたような口調の彼に対して、クリスは思わずガッツポーズをしてしまう。


正直、クリスがそんなことを真剣に考えていたとは思ってもみなかった。


仕事は投げ出すし、体力もないモヤシだし、このまま駄目な大人になっていくのかと不安で仕方がなかったが、初めてこいつの夢を聞かされて、心の底から応援してやりてェと思ったんだよ。


オットーは、照れくさそうに本音を語るので、気持ちが伝わったのか、亜人の幼女もニマニマと口角を上げている。


ところで、ずっと放置していたのだが、この子の名は?


彼等は呆気にとられ、その場で固まってしまった。


お前達のどちらかは、亜人の言葉を理解しているものだと思っていたのだが…。


一斉に幼女に視線を集めたせいで、恥ずかしくなったのか、クリスの後ろに隠れてしまう。


どうやら彼等は、魔導師なら亜人の言葉が理解出来るだろうという妙な勘違いをしていたようだ。


おとぎ話に出てくる魔法みたいに、魔術は万能ではないんだぞ。


何か出来ないのかと頼まれ、ふと魔力のリンクを思いついたのだが、戦のときみたいに自分の記憶と混ざってしまうのではないかと不安になった。


それに、生きている者とリンクする試みは、まだしたことがない。


私だけじゃない、この子の身にも何が起こるか分からないため、リスクが高すぎる。


そんな都合の良いものはないとあえて告げると、クリスは、彼女と向き合って発音の練習をしはじめだした。


最初は、顔芸に近い表情を不思議そうに見ていたが、大袈裟に口を動かし続け、一文字ずつ自分の名前を何回も教えているうちに、次第に彼女も真似て口を大きく動かしはじめた。


しばらくして2人は、私とオットーの前で一人ずつ指を指していく。


く、り、す。

お、と、お。


幼女は、確実に一言ずつ発音していき、最後に自分を指して━━。


り、い、べ。


亜人の幼女は、そう名乗った。


クリスは、よくできましたと頭を撫で、私は拍手を送った。


オットーは、感極まって背中を向けたので、どうしたと訊くと鼻声で何でもないと強がってみせる。


さっきまで人の言語を喋ることが出来なかったあの子が、この短時間で覚えるとは…。


きっと学習能力が高いのだろう。


つい微笑ましくなる。


しかし、“リーベ”とは?


クリスが、とりあえず今は、この子に呼び名が必要だろう?と勝手に名付けたらしい。


そういうのは、もう少し考えてやるものだろと口を出す前に、幼女は嬉しそうに自分の名前を連呼しながら私達の周りをくるくる走りまわる。


…どうやら、気に入ったらしい。


無邪気なその笑顔に、誰もが癒された。


すると、いつの間にか東の空が明るくなりだし、もうすぐ夜が明けようとしていた。


僕の夢は、この子のような笑顔の絶えない世界を見たい、見続けたいんだ。


そのときは、ここにいる皆で同じ景色を見よう。


クリスは、私達に向かって決意表明し、それに私達も応え賛同した。


太陽が顔を出し、眩しい閃光が船を照らす。


私達の新しい一日が始まったのである。



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