裁判

 さて次に僕が降り立ったその場所では、真っ黒い服に白いちぢれ毛のかつらを被ったネネムが大きな革張りの椅子にどっかりと座って、なにやら裁判めいたものをしている最中でありました。なんでもアフリカのばけものが現地の人間に、舞いや踊りを披露して人々を怖がらせてしまったようで、それを裁いているところらしいのです。その奇妙な裁判を前にして、僕はたまらず近くにいた、同じく黒い服を着ている判事をひとり捕まえました。


「あのう、すみません。」

「なんだ、なんだ。今は裁判で忙しいんだ。見ればわかるだろう。このウウウウエイとかいう、なんとも不埒ふらちなばけものを、裁かねばならんのだ。」

「そう、それです。その話を聞きたくて。」

「ほう、おまえ、なんとも勉強熱心なやつだな。まるでは人間のようだが、その辺を歩いているのんきなばけものよりも、ずっと立派なようだ。よろしい、よろしい。では何でも聞いてくれたまえ。」


 判事は筆記の手をとめ、僕に向き直りました。


「どれほどに、彼の犯した罪は重いのですか。」

「そうだな、ううん。すでに出現罪を犯していることは、本人も認めているところであるから、それはまず事実だな。とすると前任の世界裁判長ならば、おそらくは三十日間の毎朝ばけもの新聞配達を手伝うか、もしくは運が悪ければ、十日程度のといった裁きを下すであろう。」

「なるほど、それは確かに重い罪ですね。」


 僕は少し前の昆布取りを思い起こしながら、そう返事をしました。僕は仕事ではなかったですし、怒られるのが嫌で逃げ出してきたわけですから、そう嫌な思いはしていませんでした。しかしあれが仕事となると考えればなるほど、ずいぶんと大変なものであることは明らかでした。


「ああそれほどに、我々ばけものはみだりに、人間たちの世界へ立ち入ってはいけないのである。お前も裁かれたくなければ、気を付けておくんだぞ。おっ、少し待ってくれ。どうやら判決が出たようだ。なに、街道の見回りを二十二日間だと。これは素晴らしい。おい、聞いたかみんな。実に名断だな、ええ、おい。」


 ネネムの判決に、判事たちはみな口々にそう頷きあいました。僕には先ほどまで話していた判事の言う、前任の世界裁判長の判決とはいったいどう違い、それがどう優れているのかはわかりませんでしたが、ここはばけものの世界なのですから、われわれ人間と道理が違うのも当然です。わからないことがばれてはいけないと、判事たちと同じように頷き、わかっているふりをしました。


「なあ素晴らしいな、おまえ。ええ。この判決の良さがわかるとは、おまえも大したやつだな、まったく。実に偉いやつだ。そのうち判事の席が空くことがあったら、わたしが推薦してやろう。それまでもう少し、ばけもの法律を学校で勉強してくるといい。おっ噂をすれば、今度はフウフィーボー博士がお越しなすったぞ。ブラボオ。ブラボオ。博士、ブラボオ。」


 見れば窓から博士がその大きな顔をのぞかせ、にっこりと笑っていましたが、歓声が湧き始めるころにはすっかり姿を消してしまっていました。するとみんなはそれを合図としてか、ぞろぞろと続いて裁判室から出ていきました。時間は夜も遅いようで、空にはお「キレ」様が今日も浮かんでいますから、みんなはきっともう寝るころなのでしょう。


 しかし僕は、先ほど判事から言われた言葉に浮かれてしまっていたので、似合わずばけもの法律の勉強をしてみようか、などと似合わぬことを考えていました。今は旅の途中でありますし、目も冴えてしまってまだ眠気もありません。せっかくですしもう少し、別のネネムの判決を見てみることにしてみましょう。僕はまた、頁をいくつか飛び越えました。


 さてここは、前とは大して離れていない頁ありまして、つまりあまり時間の経っていない場所です。ヘンムンムンムンムン・ムムネ市の賑やかな街並みは、それはそれは見事なものでありました。右から左までいっぱいに、どこを見ても、色姿がさまざまなばけものがひしめいております。それらはいっせいに同じ方向に進んでいるかと思えば、はたまた次の瞬間には逆らうように歩くものも多くいて、まるで大きな潮がぶつかり、掻き消え、流れているさまを見ているかのようです。時折いきなり通りへ現れては、混ざり合っては消えて、ばけものはそう、泡のようでもありました。


 そんな市の通りではたった今、不届き者のばけものをひとり、ネネム達の巡視団が捕まえたのでした。道々を行くばけもの達が足を止めては、そんな様子を物珍しそうに見ていましたので、かき分けていくのも一苦労でありました。背の高い木々の林を縫うように、ばけものどもを避けて騒ぎの内側へやってきますと、僕にとっては先ほど別れたばかりの判事を上手く見つけることができましたので、僕は息を整えてから話しかけました。


「もし、もし。今度は何の騒ぎですか。」

「おお、おまえか。昨日の今日で、熱心に勉強に来たのか。まったく偉いやつだな。いや、ネネム裁判長には敵わんが、それでも偉い。若いのに見どころがある。見てくれさえ、もう少しばけもののようであればなあ。うん、まあ今はいい。それよりも、今か。ようし、教えてやろう。あれを見てみろ。」


 判事の指を差す先を見てみますと、旗を立てた真っ赤な車の横に、ただでさえ怪しい身なりのものが多いばけもの界の中でも、ひときわ奇妙なものがそこにおりました。と言いますのもそれは、背は人間の子供のように低いのですが、顔はまるでお爺さんのようにしわくちゃで、その上一尺ほどもある鼻がそこから伸びています。このように彼は、どうにも気味の悪く怖い容姿なのでありました。


「はあ、なんとも不気味なばけものがいますね。」

「そう、そう。不気味なのだ。あやつめ、その顔をうまく利用しよって、ひと箱いくらにも満たないマッチ箱をかなりの値段で、道々の店に押し売っていたのだ。」

「顔を利用、ですか。」

「そうだ。不味い顔で店に入るだろう、そしたら店主がそれを見て怖がる。そのうちに、あくどい商売をやっているようなんだよ。」

「それはそれは、ひどい極悪ばけものですね。」

「そうだとも、こいつは許しがたい。けれども、おや、なんだろうか。どうも様子がおかしい。」


 目を話しているすきに、フクジロの後ろにはぞろぞろとばけもの達が並び、その数は実に三十といくつか。全員に向かって、ネネムは何やら怒鳴っております。


「ははあ。なるほど、なるほど。裁判長もよく気付かれた。やはり立派だな。」

「どういうことですか。」

「なんだ、見てわからんのか。ではこれも、だ。あの三十人ばかりいる後ろのやつらは、どうにも互いに金を貸しているらしく、その行く末があのフクジロだったようだ。フクジロが金を稼いで、その雇い主が稼いで、更に雇い主に貸したものが回収して……それが何重にも続いているもんだから、非常にややこしくなっておるのだよ。」

「ほほう、なるほど。するとこの問題の最重罪人は、一番最初に貸したものでしょうか。」

「いや、それは違う。これはどうも後のものが続々と勝手にはじめた商売らしく、最初の金貸しはフクジロのことすら知らないらしいのだ。」

「であれば、フクジロのマッチを知るものが悪いのですか。」

「それもまた違うだろう。聞こえてくるところによるとどうも、マッチを売っていることは知っているけれども、肝心な値段を知らぬもの、言い使われているだけのもの、それぞれがいるのだ。もしマッチの一件を知っていたとて、原因は金を借りていることであるのだから、直接の解決にはならないだろうと、ネネム裁判長はお考えである。」


 僕は腕を組み、低くうなりました。ばけものの物事はどうにもややこしいものが多いのですが、今回は特別に絡み合い、難しくなっているようです。勉強の材料としては、どうにも不適当な気がしていますが、果たしてネネムはどのような判決を下すのか、大いに興味のあるところであります。周りのものたちはひそひそと話し合いながら、手に汗を握って待っています。僕も含めみな、興奮が止まらぬようです。

 そしていよいよ、ネネムは大きな声で何やら宣言しました。ひそひそ声に遮られて、僕はよく聞こえませんでしたが、人間よりもずいぶんと耳が良いようで、辺りはすごい騒ぎであります。


「ちょっと、ちょっと。すみません、良く聞こえなかったのですが、裁判長は何と。」

「えらい、えらい。本当にえらい裁判長だ。うん、なんだ、おまえは本当に人間にそっくりだな。別に似るのは勝手にすると良いが、しかし何も耳の悪さまで似ることはないだろう。まあそれはいい、なんだ、判決の中身が知りたいのか。しょうがないやつだな、これは少しばかり長いから、かいつまんで教えてやろう。」


 判事は大きく息を吸い込んで、そしてそれが切れぬのうちにこう言いました。


「まずあの三十ほどの金貸しどもだが、みんなその仕事を辞めさせたんだ。全員の悪いことがたまってきているせいで、互いが互いを見張り続けて、昼飯もおちおち食べられないだろうからと。どうだい、実に立派な判断だろう。そんで次はフクジロについてだが、これは張り子虎の工場へ斡旋してやり、ひとりで仕事できるようにしてやるそうだ。こいつも立派だ。もうあのひどい顔を、悪いことに使わなくていいんだからな。見ろよ、泣きながら喜んでいるぜ。」

「なるほど、なるほど。フクジロのことは道理もわかりますが、しかし金貸しどもの判決はなぜ、そうなったのです。」

「だから悪いものがたまって、飯もゆっくり食えないからさ。そう言ったろう。」

「それは本当に解決なのですか。金は貸したままではありませんか。」

「それがどうした。金なんて、また稼げるじゃあないか。それよりも不毛な稼ぎ方を今すぐやめさせたんだから、ネネム裁判長は立派なんだよ。」

「そういうものでしょうか。」

「そういうものなんだ。」


 判事はひとつ、深いため息をつきました。


「ううん、こんな初歩的なことを疑問に思うとは、おまえはどうもばけもの判事には向いていないようだな。夢を見ているときくらい、向いていないものはやめておきなさい。得意でないものは、夢に見るべきではないのだ。他にいくらでもある好きなことを、おまえの自由にするべきだろう。」

「けれども、勉強することもいいものだと、僕は教室で教えてもらったのです。」

「ああ、その通り。勉強することはいいことである。しかしおまえはなぜか、得意であろうとしていない。おまえの根っこには、勉強嫌いというものが染みついているようなのだ。だからいいんだ、夢くらいは好きに見たまえ。この世界は、思っているよりずっと、自由なのだから。」


 判事は僕の頭をひと撫ですると、ネネムについて行列を作っていきました。僕は少し悩みましたが、もうこの旅では勉強はやめてしまって、楽しそうな場所へ行って、旅の息抜きでもしようと思いました。

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旅想 ばん @blard76

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