旅へ
賢治さんの小説には、たびたびおかしな名前が登場するのですが、今回のそれはその中でも、特に変だと言えるでしょう。なにしろペンネンネンネンネン・ネネムなんていう、なんとも呼びにくく覚えにくい名前なんですから。僕は学者ではありませんから、この名前にどのような意味があるのだとか、リズムが音楽的な意図を含んでいるだとか、そういったことは何一つわかりません。なのでいち読者として、やはり、これは奇妙な名前であると声を大にして言いたいのです。この件に関して質問、疑問のあるかたは、どうぞ僕の家の郵便受けにでも、手紙を書いて入れておいてください。旅が終わって朝日が昇るころになれば、きっと僕は読む気になるか、あるいは旅の疲れにひっくり返って寝ていることでしょう。どうかそれくらいにいい加減に、この話は読んでいただきたいのです。
さて、そんなことはどうでもよろしい。問題は主人公の名前が奇妙なことと、そして舞台もが奇妙なことであります。ここはいわゆるばけものの住む世界でしょう、恐らく。恐らくというのは、僕自身にもよくわからないからです。ただここには僕の生きている限り見たことのないばけものが住んでいて、そして人間の住む世界とは全く別のところになっていることだけ、僕はわかっています。
しかしそれにしても、ばけものというのは奇妙なものです。生きている世界も違うなら、世界の道理もなんだか違っているようで、いまネネムは森で網を投げては、昆布を取る仕事をしています。たまに風の中を泳いでいるふかやさめに網を引っ張られていってしまいますが、それをぐぐっと堪えて、そいで力いっぱい引き寄せますと、中に昆布が何枚か入っているらしいのでした。
僕も彼のまねをして木に登ります。細い、絹の糸のようなものでできたはしごを、素早く器用に登ろうとしますが、手に絡まって上手く登れません。やっとの思いで登りきり、同じようにまるで蜘蛛の糸でできた網を、更に上へ放ります。すると話の通り、月明かりでは見えない何かがぐんぐんと、僕の持った網を引っ張っていくのでした。あまりの力強さに太い木の枝から足を滑らせそうになりますが、実は僕は釣りも好きなもので、そして得意とも言えるようなものだったのですから、ここは釣りの要領で堪えました。ちなみにどれだけの腕なのかと言いますと、そうですねぇ、白い鯨を小舟から一本釣りするくらいには、得意であると言えましょう。
まあそれはさておき、僕はとにかく、その引っ張るものをどうにか捕らえようと、懸命に網を引きました。何故ってそれは、昆布を取るのは、僕の仕事ではありませんでしたから。それになんて言ったって、相手は『風の中を泳ぐさめやふか』ですよ。そんなの一遍だって聞いたりしたら、あなたも気になるでしょうし、それに一度くらいは見てみたいもんでしょう。ええ。隣の木に登っていたネネム君はというと、僕のその様子を息を飲んで見守っています。どうやら彼も気になっているようでしたね。ですから僕は負けじと、懸命に網を引っ張ったんです。途中あの紳士から怒鳴られたりもしたけれど、構いもしませんでしたよ。
僕は無我夢中になって、悪戦苦闘しながら、どうにかこうにか、手元まで持ってきたんです。さあいよいよ引き揚げだ、やった大量だ、両手を上げて喜ぼうとするそのときです。あのさめのやつめ、勢いをつけて何度も同じところへぶつかろうとするもんだから、糸が弱ってしまって、あろうことかそのまま網を食いちぎってしまいやがったんですよ。
一度開いた大穴は、簡単にはふさがりません。ですからそこから勢いよく、捕まっていたものたちはみんな逃げていきました。あんなにまぬけな昆布でさえ、僕に手を振りながら、笑って逃げていきましたよ。ただまあお「キレ」様の明かりに照らされた、それはそれは大きなさめの虹色にひかるうろこと、その姿を拝むことができたことは、こうして旅の土産話にもなるのですから、良いものが見られたということにしましょうか。しかしながら僕はいくら愉快でも、のんきに笑っているわけにはいきません。そろそろ紳士があの細いはしごに手をかけ足をかけ、よじ登ろうとしてくる頃であるでしょうから。いくら子供用のはしごとて、ばけもの達のからだならば、あっという間に横へとやってきて、僕の頭をかじろうとするかもしれません。下手にけがをしてしまっては、今後の旅行にも障ってしまいますから、僕は次の頁へ飛ぶことにしました。
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