歪みない歪な世界は(まこさん/リグル)
「んぐっ!?」
突然の強い首の締め付け感と、耳をつんざくような轟音。
一瞬何が起こったか理解できなかった。
だが、目の前に転がる肉片と鉄の匂い、それから大破した車の中で狼狽する老人を見て状況を理解した。
──下校中の子供を老人が轢き潰したらしい。不慮の事故だ。
「いやー、危なかったねリグル。これで貸し一つね」
目の前に広がる凄惨な光景をものともせず、私の首根っこを掴んで『貸し一つ』なんて悪魔の契約よりタチの悪い言葉を吐く我が飼い主は楽しそうで。
「はぁ。最近多いですね、こういうの」
暴走車による不慮の事故は今月に入ってもう9件目だ。
「嘆かわしいね、将来うちの顧客になってくれたかもしれないのに」
「嘆かわしいのはそこですか……」
もっとも、他人の生死などに興味はないのは私も同じだが。
「不慮の事故だって思ってる?」
「そうではないのですか?」
「当然でしょ、おかしいと思わない?
暴走車はうちの事務所や本家には突っ込んでこないもの」
──言われてみれば確かにそうだ。
事故が起きるのはいつも学校や住宅街。
「『誰でもよかった』なんて通り魔も、うちの強面は襲わない。つまり選んでいるんだ、殺す人間を。歪んでいるよね」
「…………」
確かに歪んでいる。『殺す』行為自体は。
だがやり返される可能性を考えれば『選ぶ』という行為自体については至極当然に思える。
「違う。歪んでいるのは『殺す』ことでも『選ぶ』ことでもない」
「勝手にひとの心を読まないでください」
「つまりさ──、」
私の言葉を気にすることなく若は言葉を繋げる。
相変わらずこの人のことはよくわからない。
「殺したがっているんだ」
「殺したがっている?」
「そう、人間は人間を殺したがっている。より安全に、より無責任に」
「何故?」
「何故……ってそんなの、」
「わざとじゃない」「踏み間違えた」と誰に向けたものかもわからない言い訳を積み重ねる加害者に、若は野次馬の視線など気にすることなく銃口を向け、あっさりと引き金を引く。
発砲音の後には、また鉄の匂いを垂れ流して転がる肉塊が一つぶん増えた。
「楽しいからに決まってるだろう? さっきまで存在した生命が、考えられうる将来が、こんなに簡単になかったことにできるなんて、神様にでもなった気分だ」
興奮しちゃうね、と若は陶酔した表情で呟く。
目の前に広がるのは血の海と死体の山。
そして明らかな故意の殺人があったにも関わらず、誰一人として悲鳴をあげない異様な光景。
本物の神を目の当たりにしているような心境だった。
「だからこそ歪なんだ、弱者が嬲られるだけのこの世界が。『人を殺してはいけません』なんて常識や法律のせいで、弱者はいつも殺されるだけ。
──娯楽は平等であるべきだろう?
誰でも殺したい時に殺したいやつを殺せる。そんな歪みのない世界なら、きっとすっごく面白い……」
そうは思わないか?という若の問いに言葉を詰まらせる。
そこにタイミングよくサイレンを響かせながら、パトカーと救急車が到着したようだ。
若は警官にウインクひとつ投げかけ、「行こう」とその場を後にした。
行政も、司法も、既に咲良組に飼い慣らされている。
そしてその咲良組もいずれ──、
「若ならこの世界すら『玩具』扱いで壊してしまいそうですね」
という私の皮肉に、若は少しも悪びれることなく「何か問題ある?」
いずれ訪れる混沌にも、それを平然と語る若にも恐怖や不安、そして「歪んでいる」なんて考えは少しも起こらなくて。
「真虎様らしい」なんて月並みな感想を思い浮かべてしまうあたり、私も歪んでいるのかもしれない。
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