自由の翼(シェンメイ/時計草)

◇愛されたい少女が『家族』になるお話◇

※残酷描写






 生まれつき足の不自由な少女、神美シェンメイは、ある朝、父親に連れられて街に出た。

 街に着いてすぐ、父親は「飲み物を買ってくる」とシェンメイを一人ベンチに座らせ、その場を去った。


 一人残され不安に思っていると、隣に褐色金目の男が座ってきた。

 褐色金目という珍しい容姿に興味を持ったシェンメイは彼に話しかけるも、彼は言葉を返すどころか一瞥も向けてくれない。


 結局その日は一言も言葉を交わすことなく、夕方に迎えに来た父親に連れられてシェンメイは帰っていった。





 次の日も、次の日も、同じような日が続いた。シェンメイは毎日話しかけ続けた。



 出会ってから五日目、ようやく彼が発した言葉は、


「うるさい」


 の一言だった。



 冷たい一言だったが、初めて彼が向けてくれた金色の双眸そうぼうに魅入ったシェンメイは、さらに話しかけるようになった。


「ねぇ、アンタ名前は? ねぇねぇ、ねぇってばー!」

「うるさい。……時計草だ」

「トケーソー?変な名前!」

「は? 神から授かったこの崇高な名の良さがわからないのか?」

「あたしはシェンメイ! よろしくね! トケーソーって綺麗な目してるよね、どこから来たの?」

「教えない」

「えー!」


 いつもはシェンメイからばかり話しかけていたが、話すようになって数日後のある日、はじめて時計草のほうから話しかけてきた。


「なぁ、アンタは今のままでいいのか?」

「今のままで、って?」

「アンタの父親のこと。毎朝町に連れられ、飲み物を買ってくると言って夕方まで放置……何も不審に思わないのか?」


 彼は何が言いたいのだろうか。

 考えを巡らせていると、時計草はシェンメイと向き合った。


「シェンメイ、私を見ろ」

「ぅえ!?」


 不意にシェンメイの頬に手を添える時計草。

 彼女は顔が火照っていくのを感じた。

 だが、彼は至って真剣な面持ちで口を開く。


「……いいか。このまま顔を動かさず、私の指の隙間から、目だけであの赤い建物横の路地を見ろ」


 そっと路地を見ると、こちらの様子を伺う見知らぬ男が数名。


「……誰?」

「ここ数日、アンタを狙ってるみたいだ」

「え、なんで」

「どう考えても、アンタの親の差し金だろ。放置の説明も付く。──アイツらを使って、アンタの親はアンタを消そうとしてる」

「──!? パパもママもそんな事しない、理由がないし!」


 取り乱すシェンメイに、時計草は冷たく言い放った。


「足だろ」

「え……」

「『足の不自由な娘なんて、事件に巻き込まれたことにして消してしまえばいい』」

「違う、パパとママはあたしを愛してくれてる!」

「じゃあどうして歩けない愛娘を毎日こんなところにおいていくんだ?」

「それは……、でもパパとママはそんなことしない!!」


 暫くの静寂のあと、時計草は呆れたようにため息をついた。


「あっそ、じゃあ勝手にすれば」


 そう一言残し、彼は去っていった。


 言い過ぎた、と思ったが時はすでに遅く。

 シェンメイは町のベンチの上に一人残された。


 空は真っ黒で、今にも雨が降り出しそうな曇天だった。



 §



 おかしい。

 いつもなら夕刻には父が迎えに来てくれていたのに、今日は夜になってもまだ来ない。


 不安。

 一人じゃ帰ることが出来ないのに。


 ついには雨が降り出す。

 でもシェンメイはどうすることもできない。


 雨足が強くなってきた頃、彼女の前に人影が現れた。


「パパ! もう、遅──っ!?」


 それは父親などではなく、昼間自分を狙っていた怪しい男たちだった。


「へへ、ようやく邪魔者がいなくなったぜ」


 男たちは無理やりシェンメイを担ぎあげ、路地裏に連れ込む。


「いやっ、離して! あたしをどうするつもり!?」

「殺すんだよ。テメェの両親に頼まれてな」

「そんな……」


 どうせ逃げらんねぇし、ぶち犯してから殺すのも悪くねぇなぁなんて下卑た笑い声も、冷静でないシェンメイの頭には入ってこなかった。


「嫌、嫌、ころさないで、パパ、ママ、なんで……!」


 シェンメイの必死の抵抗と雨で濡れてしまっていたことも相俟って、男は手を滑らせシェンメイは地面に落とされた。


 這うように逃げるシェンメイ。

 だが当然追いつかれる。


「嫌だ、あたしを殺さないで……! 助けて、時計草…!!」












 ズズ…ズズ…






 何か這うような音が聞こえる。

 自分のものではない。


 聞いたことのないような、恐ろしい魔物の呻き声と息遣いのようなものも聞こえる。


 空気が凍った。


 音は次第にこちらへ近づいてくる。

 それは『出会ってはいけないもの』が近づいてくる音だと本能的に感じ取った。


 シェンメイも男たちも、恐怖心から動けなくなっていた。

 先程まで騒いでいたのが嘘のように強い雨音だけが響いていた。


 そしてついに──音の”正体”はすぐ目の前までやってきた。


「……、……、…………」


 それは見たこともない異形だった。


 見上げる程に巨大なそれは一見ただの木のように見えるが、太い幹の頂には禍々しい大輪の花が一輪だけ咲いていた。

 そして根の隙間から見える口のような部分には無数の鋭い牙。

 不気味な呻き声を漏らしていて。



 その姿は先程までの恐怖など比べ物にならないくらい恐ろしいものだった。


 異形は自身の触手で男たちを軽々と掴みあげ、遠くへ投げ捨てていく。

 残るはシェンメイ一人。




 ​───ころされる……!



 そう覚悟して強く目を瞑ったシェンメイの耳には、聞き慣れた声が聞こえた。






「シェンメイ、私だ」




 目を開けるとそこにあったのは見慣れた褐色金目──、時計草の姿だった。


「嘘、時計草!? 今そこに変なバケモノが……!」

「はー!? 変なバケモノとか言うなよ! あれは僕だ!」


 そう言うと目の前で異形の姿に化身する時計草。


「うそっ!? 時計草って人間じゃなかったの!?」

「この私を人間みたいなひ弱な劣悪種と一緒にするな。……それより怪我は?」

「え、えと、大丈夫」


 そうか、と呟く彼の目はいつもより穏やかに思えて。

 また彼の双眸に見蕩みとれてしまう。


「はー……、だから言っただろ。アンタの親はアンタを消そうとしてるって」

「まだ信じられない」

「では私が真実を見せてやろう」


 シェンメイを横抱きにして持ち上げる時計草。


「ひゃ……っ」

「うわ、雨で濡れた人間を触るとか最悪……。せいぜいアンタは光栄に思うんだな」

「自分で抱き上げといて、何、潔癖?それよりどこ行くの?」

「うるさい、黙ってろ」



 §



 そう言って向かった先はシェンメイの自宅。

 窓からそっと中の様子を見ると、笑い合う両親の姿があった。



『あの子がいなくなってせいせいした』

『ずっとしんでほしかった』

『早くこうすればよかった』




『本当はあんな出来損ない大嫌いだった』





 口々にシェンメイへの本音を笑いながら吐く両親。

 心臓が止まってしまいそうだった。


「そんな……愛してるって、言ってくれてたのに」

「アンタに与えられた選択肢は二つ。何も知らないフリしてこいつらの所へ帰り、また今日みたいな目に遭うか。こいつらと決別するかだ」


 シェンメイには苦しい二択だった。


「もうあんな目には二度と遭うのはやだ……でも、出来損ないのあたしは一人じゃ生きていけない」

「それなら​───、」


 時計草はシェンメイを雨に濡れない屋根の下に降ろし、彼女の前にひざまずく。


「──私の『家族』になるがいい」

「…………はぁ!??!?」

「そうだな、それがいい。神もそれがお望みだし」

「ま、まま、待ってよ! 家族って、その、つまり、プロポー……」

「言っとくけど、アンタの意見は聞いてやらないからな。助けてやったし、私の本当の姿を見たんだ、当然の対価だろ」


 時計草はシェンメイの返事も聞かず、再び彼女を横抱きにする。


「そうと決まれば神のもとへ行こう」

「神って何!? そもそもまだ返事──」

「うるさい。意見は聞かないって何度も言わせるな」



 §



 そう言って連れられたのは町外れの廃れた教会。

 そこにいたのは白い、髪も肌も服も全てが純白の、角の生えた男だった。


「おかえり時計くん、そしてようこそ、新しい『家族』」


 それは彼女が来ることを予見していたような口ぶりだった。


「あんたは……?」


 その問いかけに、白い男より先に時計草が口を開く。


「この御方は桔梗様、私の尊い神だ!」

「神じゃなくて『家族』だよ!? もう、時計くんは……」

「あ、時計草のパパ?」

「くっ、桔梗様が尊すぎて、今にも気を失いそうだ……」

「なんで!? 家族なんだよね!?」


 しばし気の抜けた会話が続いた。




「桔梗さん、だっけ? あんたは何、神様なの?」

「ふふ、どうかな……でもきみがわたしの『家族』になってくれるのなら、きみに自由な足と、永遠の愛を与えてあげよう。さぁ、どうする?」

「そんなことが本当にできるの?」

「信用できないかい?」

「……信用も何も、拒否権ないって聞いたけど」


 じと、と時計草のほうに目をやる。

 桔梗は困ったようにわたわたしだした。


「えぇ、そんなことを言ったのかい、駄目じゃないか時計くん」

「う、申し訳ございません……」

「シェンメイさん、嫌なら断ってもらってもいいからね」


 だが既に彼女の心は決まっていた。


「なるわ。家族ってやつに」

「ふふ、なるほど。そういうことか……」



 桔梗はシェンメイに目線を合わせた。

 桔梗の目が開かれる。

 瞳まで全て白く、同時にとても美しかった。


 だが時計草の金色の瞳のように蕩けるような気分にさせるようなものではなく、ただただ恐ろしく、不安にさせる瞳だった。


「あ……」






 こうしてシェンメイは絶命した。






 §



 生気なく横たわるシェンメイ……だったもの。


『家族』と化したその姿はもう以前の彼女のものではなく、人格も、記憶さえ、桔梗の『家族』に相応しいものに書き換えられてしまう。


「彼女の新しい名前は、そうだな……『柳』にしよう」

「……」


 目を覚ました時には、時計草のことも忘れ去っているのだろう。


「時計くん、寂しい?」


 白い悪魔桔梗は優しくそう問いかける。


「そう、ですね……」


 時計草は困惑気味に、そして自分に言い聞かせるように答えた。


「……新たな『家族』が増えることで、桔梗様が私だけの神でなくなるのが、少し寂しいのだと思います」

「ふふ、それでこそわたしの『家族』だ」


 悪魔は満足げに微笑んだ。


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