純喫茶

純喫茶と聞いて、何を思うか。

副流煙のモクモクと立ちこめる、陰鬱とした照明の元で、カウンタースツールか、布地のソファかに、幾人かの初老の座っている、それぞれに、珈琲を飲んだり、煙草を喫ったり、新聞を読んだり、談笑したりして悠々自適に過ごしている。

ぼくには、真っ先に、こういった情景が思い浮かぶ。


十九歳のころ、純喫茶巡りに没頭していた。

アンチ・スターバックスというのではなかった。ぼくにとって、純喫茶とカフェとは、蕎麦屋とラーメン屋くらい別種のものに感じられ、優劣ということも考えになかった。

けれど、どうしてか、スターバックスが生まれれば、その近辺の純喫茶は死んでいった。イオンの巨大資本が、年季の入った商店街を蹂躙していくのに似ていた。


家族に連れられて名古屋を訪れる機会があった。

ぼくは当時「二十歳の原点」という本を読んでいた。作中の「シアンクレール」というジャズ喫茶に憧れて、似たような店のないものかと、グーグルマップを開き、目を皿にして探した。

時間的制約から、果たして見つからず、その地点から最短距離に位置した純喫茶に入った。


本山駅からほど近くに、その店は在った。「西原珈琲」という名前だった。

名古屋という土地は純喫茶とカフェとが共存していた。仲夏。海から吹く風に市内は蒸れていた。ハンカチで汗を拭いながら階段をのぼり、入店した。

家族とはバラバラに行動していたから、最も奥のカウンタースツールに腰掛け───午過ぎだったからか、客入りは疎らだった───、一先ず、アイスコーヒーを注文した。


店主の黙々と皿を拭く音の聴こえそうな静謐さが好かった。ぼくの席から窓は見えず、あまりの静謐さに、或いは、外界は滅んでいるのではないかと錯覚するほどだった。


卓上に本が並んでいた。既知のものが一冊もなかった。

「独りであること、未熟であること」不意に、二十歳の原点の一節を思い出した。ぼくは最も分厚い本を手に取って読んだ。

暫くして、シャツの中で汗が乾いていった。気化熱に震えながらアイスコーヒーを飲み干し、本当は、ブレンドとバタートーストとを追加注文したかったが、手持ちがなかった。


ディストピアの荒野にポツネンと在った純喫茶で、ぼくはどうしてか、人間社会の通貨を支払い、又、八月に蒸されていった。


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