新浦安


東京ディズニーリゾートから東へ一駅。千葉県浦安市の南部に「新浦安」という地域がある。

昭和末期〜平成初期にかけて開発されたニュータウンらしい。好条件の手伝ってか、不動産業を中心に栄える。

「新」浦安とは名ばかりの、実際には、広大な埋立地であるから、震災のリスクを常に伴う。


越してきた際、父は「ディズニーの隣の、夢の島」と賞賛した。ぼくはしかし「夢の人工島」と言い換えた。震災の、液状化現象の名残が、足元の至る所に見受けられたからだった。


「駅前に行けばなんでも在る」

父はそのようにも言った。けれど在ったのはチェーンの飲食店ばかりで、音楽スタジオは元より大型書店や映画館もなかった。それらを利用するには、バスに乗って浦安市街までいくか、電車に乗ってイクスピアリまでいかなければならなかった。


夜、ぼくは一万円のギターを背負って自転車を漕いだ。

潮風に煽られてザラザラになったワイシャツに袖を通して、独り、耳に挿さったイヤホンからはなにも流れず、車輪の廻る音だったり、夜風の頬を撫ぜていく音だったりが在るのみだった。


気に入りの場所があった。ぼくは大抵、どういった土地であっても、自分の気に入りの場所を見つけるのが得意だった。

湾岸沿いの、運送会社の、だだっ広い駐車場。髪切虫の触覚みたいな形の、橙色の街頭がポツンと立って、整然と並ぶ十トントラックの群れを、心許なく照らしていた。


トラックの隙間をくぐっていくと、ひらけた、コンクリート地のスペースがあった。

自転車を停め、ペーパークラフトかのように粗末なケースからギターを取り出し、防波堤によじのぼり、胡座をかき、東京湾目掛けてぼくは歌った。吐瀉にも似ていた。吐瀉することでしか保てない自我があった。

青さに潜む焦燥が蝋を溶かしていくのだった。


ときおり西の上空を京葉線が通過した。船橋方面へ向かう箱の中に、丸みを帯びた背広が見られた。

対岸を見遣れば、綿飴みたいな灯りが宙吊りになっていた。

それらは多分、翌日も、翌々日も、同じ時間、同じ数、同じ角度にて見られるだろうと、どうしてか確信のように思えた。


帰宅しても孤独と共に在った。

隣室のカップルのまぐわう音が壁越しに響いた。

小心者のぼくは、テレビを観ようにも、音量をゼロにしたり、字幕を表示したりした。それから、生きたくない、生きたくない、と譫言のように宣って、眠るのだった。


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