第7話 あとの祭り
「これですか。」
会議室の机に奇妙な銀色の球体を二つつなげたような形の機械が置かれていた。
「ああ、通訳機だ。明日の会談で使う予定になっている」
ヤジマ秘書官が答えた。ス・ネール星政府外相との会談の件で私に声がかからなかったのはこのためだったのか。私は納得した。だが、どうしてまた無名企業の製品を。私の疑問を察してヤジマ氏は説明した。
「天下りというやつだよ。とやかく言われないよう明日の会談で実績を作り、且つ知名度を上げようという魂胆らしい。」
「なるほど。でも、使えるのですか」
「君に来てもらったのは、そのためだ。タナベ通訳官。チェックしてもらいたい。彼らと来たら、大丈夫だと言い張るばかりで今日まで現物を渡さなかったんだ。公称値など当てになるものか。」
「わかりました。できる限りやってみましょう。」
私はこのような会談でよく使う表現を一通り試してみた。精度はまあ問題ないといったところだろう。ただ―
「やはり慣用表現に不安がありますね。特に故事成語の類は直訳になってしまうようです。近頃は日常的に使う人は殆どいませんから、初期設定では組み込まれていないんですよ。学習機能で何とかなるのですが、時間がありませんので。」
あの大臣はやたらと使いたがるのだ。私も何度泣かされたことか。そのおかげで今ではちょっとした「ことわざ博士」である。
ヤジマ氏はうなずいた。
「大臣にその旨伝えておこう。明日は君も同席してくれ」
「わかりました」
私は会議室を後にした。
翌日の会談は滞りなく進んだ。ヤジマ秘書官が、しっかりと釘を刺したのが効いたものか大臣は余計なことを一言も口に出さなかった。どうやら無事に終わりそうである。会談の時間も終盤に入り私とヤジマ氏は安堵の視線を交わした。と、その時それは起こった。
大臣があろうことか、打ち合わせになかったス・ラーグの件を持ち出したのだ。ス・ネールとス・ラーグが何百年にも亘る内戦を続けていることは、この星域では知らぬものはない。現在は双方とも疲弊し切って膠着状態となっている。大臣としてはこの機会に和平の橋渡しをして、株を上げて置きたかったのだろう。
「…しかし、時には『敵に塩を送る』ということも必要ではありませんか。『情けは人の為ならず』ですよ」
大臣の言葉に、ス・ネール外相の細く突き出した眼(それが眼であるならば)が輝いたかに見えた。
「いやはや良かった。良かった。」
会談は大成功、と私以外の誰もが思った。何しろ外相は大臣の助言に深く感謝の意を述べて上機嫌で帰って行ったのだ。大臣も機嫌が良く、控え室で祝杯を上げる準備をさせた。
「タナベ君、どこか具合でも悪いのかね?」
私の表情があまりに暗鬱だったせいだろう。大臣が直々に声をかけて来た。
「閣下…閣下は ス・ラーグがどのような種族かご存知ですか。」
「勿論だ。何というか、その…」
私は直截に言った。
「ナメクジです」
「君、それは表現として不適切では…」
「ナメクジに塩をかけるとどうなるかご存知ですか。」
「いや、私はそもそもナメクジという生物を直接見たことがないのだ」
「溶けるのです。つまり、『敵に塩を送る』とは、どういうことかと申しますと、あちらの言葉では『殲滅せよ』ということです。」
大臣の顔が蒼白になった。事態を飲み込んだようだ。室内は一転、気まずい沈黙に陥った。
「ところで」
十分ほど経って大臣が重い口を開いた。「『情けは人の為ならず』は、どのような言葉になるのかね。」
私は首を振った。言わずもがなである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます