お狐様の戯れ

紅雨 霽月

本編

 本日はようこそおいでなさいました。

 私は当旅館名物の噺家のようなものでございます。ようなというのは、雰囲気の為だけに名乗っているものだと言うことです。

 え? どこにも私のことが載っていなかったって?

 それはそうでしょう。私、時間に縛られるのが嫌いでして、従業員の方や話を聞いてくださった方には口止めをしてるんですよ。私のことを言いふらして、忙しくさせるなとね。

 ですので、あなた様もどうか私のことはご内密に。

 さて、私のことはこれくらいにしておきましょう。私が得意とするのは怪談話。存分に肝を冷やしてくださいませ。

 え? 頼んでもないし、こんな季節に肝なんて冷やしたくない?

 ふふ、どうか私に目を付けられた不幸を呪い諦めてくださいませ。ああ、大丈夫ですよ。私はよく、お前の話は理屈っぽいと言われていますので、それほど怖いものではありません。

 こほん。では、始めさせていただきます。

 あなた様は忌み数というものをご存知でしょうか? 苦しみと音を同じくする九。宗教を起因とすると言われる十三。文化圏問わずどこにも避けられる数字というものは存在いたします。

 さて、それぞれの起源を辿っていくのも興味深いのですが、本日私が持ち寄ったのは怪談話。細かい起源など抜きにして語るといたしましょう。

 日本において最も有名な忌み数は四でしょう。死と音を同じくする不幸なその数字は結構な嫌われものではないかと思います。あなた様もどこかで見たことがあるのではないですか? 四階のない建築物に四号室の存在しない旅館。

 おっと、先に言っておきますが、当旅館にはちゃんと四号室もありますよ。なので、お手元の鍵を怖がらないでください。忌み嫌われる存在にも優しいがうちのモットー……、というのは建前でございまして、もっと重要な意味があるのです。

 見て見ぬ振りをするという言葉がございます。いちいち説明するまでもありませんが、見たくないものから目を逸らす、そんな意味の言葉ですね。

 忌み数に対する振る舞いも見て見ぬ振りをしていると言えるでしょう。ですが見ない振りをするには、その何かが存在しなくてはいけません。ですが、四階も四号室も存在しないのです。人々は存在しないものに対して見ない振りをしているのです。しかし、そんな間隙にこそ怪異は入り込んで来るのでございます。

 四階も四号室も所詮は名前でしかありません。下から四つ目、入り口から四つ目に対して、五階、五号室と名付けるのは経営者の自由でしょう。しかし、数字を扱う人々はその不自然な空隙に四階を、四号室を思い浮かべてしまうのです。

 例えば四階が抜けたエレベーター。もしかしたら存在しない四階に止まってしまうのではと考えてしまうのではないでしょうか。

 そう、存在しないはずなのに存在すると思わせてしまう。想像という隙間に怪異たちはその存在を滑り込ませてくるのです。

 ここで、とある旅館のお話を致しましょう。話の流れでお察しかと思いますが、その旅館に四号室はございません。

 しかし、四号室の扉を見かけたという話は後を絶つことがありません。それどころか、行方不明者の話まで上がってくる始末。

 警察沙汰にまでなってしまっているようですが、元々存在しない四号室が見つかるはずもなく、事件は迷宮入り。ひっそりと行方不明者の数だけが積み上がっていくのみ。

 しかし、そんなありもしない部屋から出ることが出来た人もいるにはいるのです。

 私は人伝に聞いただけですので、それが彼なのか彼女なのかは存じ上げません。知っているのはその部屋で起こった顛末のみ。まあ、話の便宜上、ここではAさんとしておきましょう。

 Aさんが異界へと迷い込んでしまったきっかけはほんの些細なもの。あまり細かいことを気にしないその気質は、館内案内図を見るなどということをしませんでした。ならば当然、四号室へ案内されようとも気づくはずがなかったのです。

 案内された部屋にはこれといっておかしな点はなかったそうです。畳敷の部屋に、高級感を醸し出す座卓。歓迎のちょっとしたお菓子。給湯器と急須と一人分の湯呑み。流石に細部は異なるでしょうが、雰囲気はまさにこの部屋と同じようなものだったのでしょう。

 そこには一人の和装の女性がいたそうです。そこにいるのが当然だとでも言うように正座をしていた彼女はここの従業員だと名乗ります。

 慣れない旅で疲れていたAさんは特に疑問を抱くことなく彼女のことを受け入れてしまいます。拒絶したところで、手遅れだったのでしょうが。

 Aさんは荷物を置いて温泉へと向かう準備をしますが、従業員を名乗る彼女は一向に動き出そうとはしません。不審に思いはしましたが、気にしないことにしました。

 しかし、部屋から出ていこうとしたその時、扉が開かないことに気付きました。がちゃがちゃと音はすれども、押しても引いてもびくともしません。

 Aさんは従業員に助けを求めますが、彼女はくすくすと楽しげに笑うだけ。

 ようやく異常に気付きますが、どうすることも出来ません。扉を開こうとするも、頑なに動きません。

 ゆらりゆらりと近づいてくる女性。妖しく光る瞳は人でないと主張しているかのようです。

 恐怖に震えて動けなくなって最後に目にしたのは、あり得ないほどに大きく開かれた真っ赤な口で……。

 悲鳴が途切れた後に残ったのは一つの怪異だけ。

 ……以上でございます。

 おや、何故逃げようとしているのですか。そこは私の話の素晴らしさを称えて拍手をするところでしょう。

 でもまあ、ご安心くださいませ。……既に手遅れなのですから。

 おやおや、今の話を聞いた上で逃げ出しますか。ふふ、当然扉は開きませんよ。

 ではでは、美味しく頂かせていただきますね。絶望のスパイスが私の大好物なのですよ。

 どうかあなた様は私の血となり肉となり生き続けてくださいませ。

 ……なぁんて、冗談ですよ。

 ここまで驚いてくだされば私もあれこれと準備を進めた甲斐があるというものです。

 大丈夫ですか? 立ち上がれますか? 手をお貸ししますよ?

 おや、そんなに怖がらずとも黄泉へと誘ったりはしませんよ。

 なんで扉が開かないのか? ふふ、最近は遠隔操作できる機器が簡単に手に入るようになって便利な世の中になりましたよね。

 私、人を驚かせるのが大好きなんですよ。その為ならどんな手段だって用いさせていただきます。

 さて、私は満足しましたので、あなた様も落ち着くために温泉にでも入ってきてくださいませ。景色が良いので、露天風呂の方に入ることをお勧めしますよ!





 お帰りなさいませ。お湯加減はいかがでしたか?

 おやおや、その顔は事実を知ってしまったという事ですね。うむうむ、細かいことはあまり気にかけないようではありますが、律儀さはあるようですね。鍵を預けない人も珍しくはありませんし。

 さて、私は聞き手が事実に気付いたその時にネタばらしをするのも大好きなんです。

 では、質問です。私は何者でしょうか?

 おっと、逃げようとしても無駄ですよ。先ほどもお見せしたように遠くから鍵をかけるのは得意ですから。

 来るな来るなと言われましても答えてくれるまで距離を詰めますよ。……そうしなければ、あなた様の事を頂くこともできませんし、ね。

 ……ふむ、化け物。まあ間違ってはいませんが、そこはせめて情緒を持って妖怪とでも呼んで欲しかったですね。

 ちなみに……、あ、いえ、やはりいいです。手掛かりらしい手掛かりもなくこんな質問をしたら不快な名前を聞きそうですし。

 では、別の質問。あなたはこれからどうなってしまうでしょうか。

 食べられる? いえいえ、そんなことは致しませんよ。人間なんて美味しくないですし。もっと健康に肥えましょう。

 それに比べるとここの料理は素晴らしいですよね。ああ、そういえばあなた様はまだ食べてないんでしたね。楽しみにするといいですよ。海沿いの旅館だけあって特に海産物は絶品揃いです。つまみ食いも捗るというものです。

 ……なんの話をしていたんでしたっけ。ああ、そうそう。あなた様のこれからの運命ですね。

 あなた様はこれから一生私たちのような怪異を意識し続けるようになるんです。

 夜の暗がりに、どこかから聞こえてくる物音に、視界の端を横切る影に。些細な物事の裏に怪しいもの達を思い描くようになってしまうようになってしまうのでございます。

 そんな夢想が我らの真の糧。人を襲うのもそうした方が存在を強く刻み込めるからこそ。

 本日の不可思議な体験をどのように記憶するかはあなた様のご自由に。ただただ覚えていてくださればわれらは救われるのでございます。

 さて、お疲れだと思いますのでここで私は退散させて頂きますね。

 あ、現実が受け入れられないからって、部屋に引きこもったり、別の宿に行ったら駄目ですからね! 先程も申しましたが、ここの料理は絶品なのでそんなことしたらもったいないです。

 ではでは、旅の者。また機会があればお会い致しましょう。

 我ら怪異はいつでもあなた様のお隣にいますから。

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お狐様の戯れ 紅雨 霽月 @seigetsu_kouu

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