世界最高のヴァイオリンに秘められた謎

ネコ エレクトゥス

第1話

 先日NHKの衛星放送で未来のストラディバリを目指す三十台前後の若い匠たちによるヴァイオリン制作コンテスト、トリエンナーレのドキュメンタリーをやっていて、これが非常に面白かった。いったいどのヴァイオリンが優勝するのだろうか?釘付けになってみていた。

「私のヴァイオリンの美しさを見て下さい。」

「このヴァイオリンは素晴らしい音色がするでしょう。」

 どのヴァイオリンも美しいし、音色もすべて美しく聞こえる。素人には全く差をつけられない。どれも優勝させてあげたい気がする。ただこの百何十台の中から一つの優勝者が出るのだ。


 そして最優秀作が決定された。そしてそれがなぜ最優秀なのか全くわからなかった。

 大会後に参加した制作者たちのコメントが聞かれた。

「私の作品がなぜ劣るのか理解できない。」

「明確な判断基準を示してほしい。」

 僕もそう思う。だがそれは自分で学んで獲得していくしかない。そこで勝手に何が優劣を決定づけたのかを推理してみることにした(当たってなかったらごめんなさい)。

 推理のキーになったのは番組の中でも何回か語られたこの言葉。

「ヴァイオリンは弾けば弾くほど音がよくなる。」


 思うにストラディバリのように三百年近くも名器として愛用されるヴァイオリンというのは、作られた時点で何か「遊び」があるんじゃないだろうか。それが使い込まれてくるうちに全体にフィットして音がよくなってくる。その「遊び」は制作者がひたすら作り続けベテランになることで体得していくもので、学校などで教えるようなタイプのことではない。しかもその「遊び」を定式化して教えてしまったらそれは「怠惰」とかにもなりうる可能性のあるものではないのだろうか。とにかく経験を積んだ最高の制作者同士であれば説明しなくても「あれ」くらいで分かり合えるようなものがあるのだと思う。

 ただ若い制作者にはそれが分からない。彼らは現状での最高のものを作ろうとしてしまう。それは確かに美しくいい音色がする。ただ百年たった時どうなのか?もしかすると百年後にも素晴らしい音を響かせるヴァイオリンというのは制作時点では少し曇った音を奏でる可能性すら考えてみないといけないのかもしれない。

 しかしこんな感じでは素人にヴァイオリンの良し悪しが分かるはずもない。


 考えてみるとストラディバリが活躍していた十八世紀のヨーロッパというのは二百年後の完成を目指し大聖堂が建てられりしていたのだ。今のスペインのサグラダファミリアのように。ヴァイオリンの制作者たちも同じような心持で作っていたとしても不思議はない。そのゆったりとした心持がヴァイオリンの外観に美しさを加え、音色に豊かさを増し、さらなる寿命を与えることにもなるのだろう。そうするとその「遊び」というのは心持ち、信仰の問題なのかもしれない。あの時代の制作者たちはこんな言葉を言ったりもしただろうか。

「私が完成させなかった残りは神が完成させて下さる。」


 以上、素人による無謀な推理でした。当たってるかどうかは神のみぞ知る。

 


 

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