第6話 (回想)空想の友だち


 身長百六十センチ前後。華奢で実際より小さく見える。

 髪型は黒髪のロングヘアーで、瞳は光の加減で赤く見えることもあるらしい。

 大きな目に整った目鼻立ち。滑らかな仕草。整えられた爪先。艶やかな唇。

 制服であるセーラー服は膝丈。ソックスは黒いスリークウォーター。秋口から切り替わる冬服は男女ともに上下黒の装いになるので、アイラの白い肌は相対してよく映えるという。

 文武両道で教師にもひるまない。優しく、親切で、人の悩みをよく聞いている。

 部活や委員会には属していない。赤色が好き。綺麗なものが好き。臭みのある魚は嫌い。

 怒ると、怖い。




 アイラについて知ろうとすると、噂だけで実に多くの情報が手に入った。

 容姿、性格、好き嫌い、判断基準、武勇伝。

 あまりに詳細な情報を繰り返し聞いたせいで、彰はもう、会ったこともないアイラをまざまざと頭に思い描くことができるほどだ。


 アイラ、というのは妙な存在だった。

 まず、プライバシーがほとんど存在しない。

 誰と何の話をしたか。どんなメッセージのやりとりをしたか。寝る時間は。登校時間は。スリーサイズは。かかさないルーティンは。

 およそ他人が知るべきではないようなことまで、広く学内に知れ渡っているのだ。


 これはちょっと気持ちが悪かった。

 他人のことをここまで把握している人々も、それを許している本人も何だか異常に思える。

 ぐるっと三百六十度、ストーカーに取り囲まれて生活しているようなものだ。

 自分だったら、と想像すると気が滅入りそうだった。


 奇妙な点は他にもあった。

 いくら探しても、アイラ本人に出会うことができないのだ。


 教室にも、廊下にも、学校中どこを探してもそれらしい女生徒の姿はない。

 気になった彰は保健委員という立場を利用して、クラス名簿に目を通した。

 しかし、同学年だけでなく、他学年、教員名簿まで引っ張り出してみても、アイラ、と読めそうな名前や苗字を見つけることはできなかった。


 どういうことだ。

 在籍者が名簿に載らないなんて、そんなことがあるだろうか。

 混乱する彰の脳裏に、ふと隆二の声が蘇る。


 ――そんなものはいない。


 いやいやいや。ありえない。

 だってじゃあ、みんなが毎日語っている、あれは何なのだ。

 あんなにも詳細に、あんなにもはっきりと認識されているアイラが、本当はいないかもしれないなんて、そんなことあるわけがない。


「どうなっているんだこの学校は」


 頭がおかしくなりそうだった。

 調べれば調べるほどわけが分からなくなって、彰は完全に行き詰まってしまった。




「なんだ少年。悩んでいるな」


 誰よりも早く彰の異変に気がついたのは素子である。

 いつもの調子で声をかけてくると、強引に授業を休ませて、彰を保健室へ引っ張って行った。


「まあ、訳を話してみたまえ」


 時代めいた大げさな喋り口調は場を和ませるためのものだろう。

 謎が謎を呼ぶ問題に、身動きが取れなくなっていた彰は、藁にもすがる思いで素子に全てを打ち明けた。


「なるほどねえ」


 一部始終を聞いた素子がシガレットケースからシナモンスティックを抜き出して口に咥える。

 愛煙家である素子が口寂しくなった時にタバコの代わりにしているものだ。

 考え事をする時や、集中したい時に、どうしても口元に何か欲しくなるという。

 他の教師の手前、通常はデスクの引き出しにしまわれているが、彰は委員会中、何度か素子がそれを口にしているのを見たことがあった。


 シナモンスティックを噛みながら、考えをまとめるように素子が窓の外に目をやる。

 転校から一ヶ月。

 涼しいくらいだった気温はぐっと下がり、ブレザーの下に指定の黒いセーターを着込まなければならなくなってた。

 保健室前にそびえるイチョウの木からはらはらと落ち葉が舞うのを眺めながら、素子が口を開いた。


「アイラはね、みんなのイマジナリーフレンドなんだ」


「イマ……? え?」


「イマジナリーフレンド」


 聞きなれない言葉を繰り返し発音してから、素子が説明を加える。


「空想の友人、と呼ばれる存在だよ。多くは幼年期に現れる現象で、空想の中で話したり、時には実際に視界に入り込んで遊びに付き合ってくれたりもする。成長の過程で失われてしまうけど、稀に大人になっても見えることがあるんだ」


「ええと……それは幻覚ですか? 思い込み?」


 空想の中で誰かと会話する、というところまでは理解できる。だが、実際に視界に入り込むとはどういうことだろう。

 何をどう尋ねて良いか分からずに、彰は自分の中に存在する知識の中でもっとも近い「幻覚」という言葉を使って素子に質問した。

 ううん、と首をひねってから、素子が言う。


「ちょっと違うな。イマジナリーフレンドは幻覚よりもっとはっきりとした存在だ。手触りや、体温を感じることもあるというし、一瞬で消える幻覚と違って、彼らはしばらくの間日常に留まり、定期的に現れる」


 素子によると、イマジナリーフレンドは保有する人間にとっては一つの現実、ということだった。


 一般に二十、三十パーセント近い子どもが成長の過程で保有したことがあり、就学の頃を境に減っていく。

 姿は人型に限らず、声だけや想像上の動物、ぬいぐるみなど、様々だ。

 また、イマジナリーフレンドの多くは名前を持ち、独立した人格を形成しているという。

 保有者の想像を超える言動をしたり、知らないことを知っていたりすることもあるらしかった。


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