第5話 (回想)違和感




 三年生も秋になれば、毎月のようにどこかしらで模試が実施されるようになる。


「この間の模試、どうだった?」


「全然ダメだった。塾で志望校のランク下げろって言われちゃったよ」


 その日の朝も、確かそんな感じで数人が集まって模試の結果についてああでもない、こうでもない、と話していように思う。いつも遅刻ギリギリで登校する隆二はその場にいなかった。


 結果が良くなかった、としょぼくれる弘史に向かって、杳輔が真面目な顔でつっこむ。


「ていうかお前、ランク下げるって言ってもそれより下なんてもうないだろう」


 もっともな指摘に、弘史がにしし、と笑った。


「そうなんだよ! けど俺頭悪いから勉強しても全然できるようにならないしさぁ。だから思ったわけ。これはもう、進学は諦めてお笑い芸人を目指すべきなんじゃないかとね!」


「嘘だろ」


 突拍子のない弘の言葉に彰も思わず口を挟んだ。

 弘史の場合、冗談ではなさそうなところが怖い。

 ちらりとこちらを見やってから、弘史がにい、と口角を横に引っ張った。


「……て、言ったら担任に真顔で『無理です。君はそんなに面白くありません』て言われたさ! キビシイー!」


「正しい」


「正しい」


 うんうん、と頷く他の顔ぶれに、弘史が「めそめそ」と効果音を口にしながら泣き真似をする。

 呆れた様子の杳輔が眉間にしわを寄せた。


「お前なあ。そういうとこだぞ。もっと真剣に死ぬ気で悩め」


 辛辣な言葉は、それだけ杳輔が勉学に対してシビアに取り組んでいることの現れだ。

 弘史はしかし、顔を隠した手のひらの下でなお、口角を上げていた。


「そういえば、アイラは一高目指してるんだってな」


 ふと、誰かが思い出したようにアイラの名前を口にする。

 一高、とはこの辺りでは一番偏差値の高い都立高校だ。倍率も高く、年によっては七峰中から入学者を出せないこともあると聞く。


「俺も聞いた。なんでも医者を目指してるって話で、付属高校だと通うのに遠いし、とりあえず一高狙いだって」


「一高をとりあえずって言えちゃうのがすごいわー」


「全国模試も一位とったことあるだろ、アイラ」


「もう、すごすぎて嫉ましくもないな」


 次々と飛び交う女生徒の名前に、彰の好奇心が首をもたげた。


 アイラ、という生徒の噂は、学校中のあちこちで飽和している。

 アイラが何をした。アイラが何を言った。アイラが。アイラが。

 転校してから今までアイラの名前を聞かなかった日はない。

 同級生も下級生もみんながアイラを知っていて、語られる言葉の大半が肯定の評価とともにある。


 まるで崇敬の対象だ。

 カリスマ、と言うと俗っぽいだろうか。


 とにかくそこまで話題になる人物に、彰はかねてより興味を抱いていた。


「アイラって同学年だったのか」


 彰の言葉に、一人が「ああそうか」と頷く。


「お前、転校してきたばっかりだもんな。そうだよ。アイラは俺らと同じ三年」


「へえ。どこのクラスなの?」


 何気ない問いかけだった。特に他意があったわけじゃない。

 しかしその瞬間、場の空気ががらりと変わったのだ。

 驚くような、訝るような……いや、もはや心配するような眼差しで、クラスメイト達が彰をしばし、凝視する。

 やああって、戸惑うように誰かが言った。


「お前、何言ってるの」


 そんなことも知らないのかよ、という意味の言葉ではなかった。心の底から発言の意味が分からない、という反応だった。

 違和感が脊髄を駆け抜ける。

 変だ。何かが変だ。


 この話題は掘り下げてはならない。


 ほとんど本能的にそう察して、彰はその場をごまかした。

 とにかく場違いな質問をしたらしい、ということだけが、その場で理解できる唯一のことだった。



 

 肌触りの悪い違和感は、その日一日、彰の胸に居座った。

 どうにも消化できずに、彰は放課後を待って隆二に一部始終を打ち明けた。

 しかし。

 一通り話を聞いた隆二の反応は、クラスメイト達よりも、もっと変だった。

 嫌な雑音を耳にした時のように顔をしかめて一言、言い捨てたのだ。


「そんなものはいない」


「いない? いないってどういうことだ」


 食い下がる彰に、屋上のフェンスに背中を預けた隆二がため息交じりに首を振った。

 眼下ではラグビー部がたくましい声を上げて活動している。

 しばし考えるような間を空けてから、隆二が語り出したのは全く別の話だった。


「うちの親父は普通の人だし、俺も目に見えないものは信じないタイプなんだけどな」


「何の話だよ」


「まあ聞けって」


 片手で空気を押すような仕草をして、隆二が彰をなだめる。


「だけど去年亡くなった祖父はそうじゃなかった。なんていうか勘のいい人で、失くしたもののありかとか、誰が誰に会いたがってるとか、あ、今何々さんが電話かけてくるぞ、とか、そういうことの分かる人だった」


 一息ついて、隆二が彰を見据えた。


「そのじいちゃんが言ってたことがある。あれは関わったらいけないものだって」


 あれ、とはアイラのことだろう。

 じっとこちらを見つめる隆二の双眸が、何だか怖かった。


「そんな、幽霊や妖怪みたいに」


 笑い飛ばそうと口をついた自分自身の言葉に、彰ははた、と固まった。


 まさか。そうなのか。


 首筋に悪寒が這い上がる。

 お化けや幽霊を信じているわけではなかったが、真っ向から否定できるほどリアリストでもない。奇妙な体験とセットで説明されたらうっかり信じてしまうだろう。

 彰の反応から思うところを察したのか、隆二が再度首を振った。


「そうじゃない。あれは幽霊や妖怪とは違うものだ」


 そして付け足す。


「もっと、悪いものだ」


 それきり、隆二がアイラの話をまともに取り合うことはなくなった。

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