第3話 紫煙、支援、孤立無援

 少女は村へと続く森の道を駆けた。

 騎士は助けてくれると言った。


 だからその情報を、急いで村に伝えないと。


 ――両親は無事だろうか。


 私を逃がし、町の外れの勇者を訪ねろと言った両親とパックおじちゃん。


 ――お願いだから。


 願いと祈りを乗せて、少女は力強く地面を蹴った。




 少女の目線の先に、うっすらと村の端が見えるころ、

 少女は目の前の光景に息を飲み、思わず足を止めてしまった。


 村はそこかしこから火の手が上がり、反面、悲鳴などの人の声はどこからも聞こえず。

 ただ闇を具現化したような化け物の影が燃え盛る村の中でゆらゆらと蠢いていた。


「そんな……」


 少女の体から力が抜け落ち、その場で膝をつく。

 絶望が足元から這い上がってきて、全身の毛穴を逆撫でた。


「あぁ……。こりゃ、ダメだな」


 ふいに背後から聞こえた声に気づき、少女は首だけを振り向かせた。

 そこには、先ほどまで呆けた顔で快楽に身を委ねていた枯れ木のような男が立っていた。


「あなたは。……どうしてここに?」


 少女がかすれた声で問いかける。


「あぁ……。どうしてだろうな。……お前さんの話を聞いて、故郷が懐かしくなったのか」


 男は頭痛でもするのか、こめかみを指で押さえながら苦しそうな表情を浮かべている。


「しかし、こりゃ。……もう手遅れだな」


 酔っ払いじみた足取りで二三歩進み、村を眺めながら男は呟く。


「そうだ、騎士様は……。ここに来る途中に騎士様は見かけませんでしたか!? 助けに来て下さると先ほど……」


「あぁ。騎士なら見かけたぜ。……必死になって国の入り口で前線を張って守りを固めてたよ」


 男はめんどくさそうにこめかみを抑えながら答えた。


「……入り口?」


「そうさ。やつらはここへなんか来やしねぇ。国を守るために、ラッタンは見殺しにするって決めたんだろう」


「そんな! それじゃあラッタンは……。村のみんなは!」


「あぁ、お嬢ちゃん。そんなに悲しむんじゃねぇよ。こんなことはさ」


 村の惨状を目の当たりにしてなお、事も無げにそう告げる男を少女は睨みつけた。


「おれを睨みつけてなんになる? 大体てめぇらは勝手なんだよ。普段は戦場なんかないものとして平穏に暮らしているくせに、いざ自分が被害にあったら『助けてくれ』だの『見殺しにするなんてひどい』だの」


 徐々に男の語尾が強くなる。


「いつでもそうさ! 『か弱い私たちを助けるのは当然だ』ってな。お前らは都合のいいときだけ弱者の仮面を被りやがる! そのせいで前線に出て犠牲になるのはいつでも勇気と義憤に駆られた能力のある人間だ。そいつらの存在を、お前たちは普段の日常生活で思い出したことはあるのか!?」


 男の目は血走り、口の端にたまった唾液が泡立っている。

 少女の頭は混乱していた。

 この男はなにを言っているのだろう。

 一人で興奮して唾を飛ばしわめき散らしている男と、騎士が助けに来ないと告げられた現実で、少女は酷い眩暈めまいに襲われた。


「……嫌だ。嫌よ! 嫌! 誰か! 誰か助けて!」


「助けは来ない! だったらどうする!」


 男が少女に向かい何かを投げつけた。それは少女の足元あたりに突き刺さった。


 ――短剣だ。


「戦え! 自分の身は自分で守れ! 頼るな! 祈るな! 世界は無関心だ! おれにも! お前にも! 誰も見てなんかいないんだ!」


 少女はゆっくりと短剣を掴む。通常の剣の半分にも満たないようなものだが、少女のか細い腕には、それはひどく重たく感じられた。


「……私。……そんな、出来ません」


 赤く目を腫らした少女が男を見上げた瞬間、少女の口に何かが押し込まれた。

 紙で出来た細長い筒状のものだ。

 その先端からはゆらゆらと煙が立ち上っている。


 驚きのあまりそれを振り払おうとするが、男が少女の頭を押さえつけ、身動きを取らせないようにする。


「……ゆっくりだ。お嬢ちゃん。ゆっくり、深呼吸をするように、息を吸うんだ」


 頭上から男の声が聞こえてくる。

 少女は言われるがままに息を吸い込んだ。


 ――すぅぅ。はぁぁ。すぅぅ。はぁぁ。


 二度ほどそれを吸い込んだのち、少女は激しく咳き込んだ。

 咳き込むごとに、白い煙が口内から溢れ出てくる。


「そう。それでいい」


 肺が灼けるように熱い。

 脳が浮くような感覚。

 視界がぼやける。



 ――と、その時。



 二人の背後で巨大な影が揺らめいた。

 その影の中心には真っ赤に光る眼があった。

 無数の触手がゆらゆらと蠢いていた。


 出来損ないのたこのようなそいつは、村を襲った魔物の一体だ。


 二人の姿を見つけ、その大きな口から粘着質の液体をだらだらと垂れ流している。


 ふいに、少女がゆらりと立ち上がった。

 その蛸の魔物に振り返り、虚ろな視線を向ける。


「……吐き気がする」


 少女に向かい、その身体を貫かんと凄まじい速さで触手が伸びてきた。

 しかし、少女は臆することなく身体をひねり紙一重でそれをかわす。


 恐怖心の一切が、どこか遠くに置き去りにされているように。


 少女が強く地面を蹴った。

 たったその一蹴りで、魔物との距離は消えてなくなる。


 突如として眼前に迫った少女に驚愕の表情を浮かべた魔物であったが、

 次の瞬間には、大きく見開かれたその眼球に少女の握った短剣が深く突き刺さっていた。


 ――キョアァァァァァァ!!


 魔物の悲鳴が木霊こだまする。


「あぁ……。それでいい」


 男は少女に咥えさせていた葉っぱの残りを恍惚の表情ですぱすぱと吸っている。


 少女はというとまるで狂った獣のように、魔物の身体へと何度も何度もその剣を突き立て続けていた。

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